見出し画像

モビリティ・シフトへの長い道のり

岡山駅から離れていて不便な路面電車の停留所を、駅前まで100mほど延伸して乗り継ぎの利便性を高めようとする計画が、必ずしも地元住民から歓迎されていないらしい。

記事にもある通り、背景にあるのは純粋な交通政策の議論ではなく、議会の権力争いなどの別な要因なのかもしれない。

だが、反対派の理由とされる渋滞への心配というのは、岡山に限らず起こりうる議論だろうと思う。自動車産業育成という思惑もあったのだろうが、高度成長期にマイカーによるモータリゼーションが進められ、路面電車の多くが廃止されて、大都市では地下鉄に、その他の都市ではバスに置き替えられた。かつて、市電が縦横に走っていた政令指定都市である札幌や京都といった街では、市電の路線網からすればはるかに少ない路線の地下鉄が作られ、それを補完するバス路線網が再編されて、市電は、京都では全廃、札幌では1路線だけがのこされた。

しかし、高齢化が進んだ日本で、地下と地上の移動を余儀なくされる地下鉄は、エレベーターの設置が進んでいるとはいえすべての出入口にあるわけでもなく、必ずしもお年寄りだけでなく、ベビーカーを押した親などにとっても使い勝手が良い交通手段ではない。

そして、昨今問題視されるようになった高齢運転者による事故の問題と、それによって推奨されるようになった運転免許返納を考えると、足腰が弱った状態で免許を失った高齢者の足の確保に有効な解決策がなくなる。必然的に公共交通機関に頼らざるを得なくなるのだが、その公共交通機関の利便性を高めるよりも、マイカーの利便性を優先せよ、というのが、岡山での延伸反対派の主張、という受け止め方も出来る。

こうした議論が起きていることを考えると、新たな交通に対する考え方、ここでは、MaaSや自動運転、新世代の路面電車であるLRTなどといったものも含めて「モビリティ」と呼ぶことにしたいが、それが一般に受け入れられるまでには、長い道のりがありそうだと思わざるを得ない。

たとえば日本で新しい路面電車と言えるLRTが新たに導入され成功しているのは富山くらいで、宇都宮など新設に向けて動いている都市もあるが難航している。

世界的には、すでに1980年代からLRTを含む路面電車の新設が進められている。リンク先の資料によれば、1978年~2002年の24年間で世界の69都市でLRTを含む路面電車が新設されているが、この間日本ではゼロである。

こうした日本の現状を考えると、LRT(路面電車)よりもさらに馴染みがない自動運転車によるモビリティの本格的な導入などには、技術面よりも、人々の心理的な抵抗の方が大きな課題としてたちはだかるのかもしれない。

高齢化だけでなく、二酸化炭素の排出に伴う環境問題や、人口減による人手不足や税収不足によるインフラ維持の問題まで、今後の日本にとって、LRTに限らず新たなモビリティの導入で解決や緩和が期待される社会課題は多面的だ。

もちろん、新しいもの、変化することに対する人々の抵抗感は当然の反応であるし、その不安を取り除き、理解し納得してもらうための手間と時間を惜しむべきではない。

岡山の件もそうなのだが、モビリティの問題について、単に新奇性のある話題としてだけでなく、もっと根源的なところから掘り下げて、議論が深まる必要があるのだろうと思うし、そのためにも、例えば富山のような都市が、LRTだけでなくトータルな次世代モビリティの導入で経済的にも繁栄し社会課題の解決にもつながった、という成功事例が出来ることが大切なのではないかと思う。

こうした新たなモビリティの導入とは対照的に、60年代の成功事例である新幹線は、未だに整備を求め、新規に建設する動きが続いている。

いつまでも、マイカーや新幹線に固執しているのでは、交通分野でも「失われた数十年」の年数を更新することになりかねないのが懸念だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?