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AI時代だからこそ、「誰がコンテンツの裏側にいるか」が重要
AI時代においては、"何" を言うかよりも、"誰" が言うかが重要。こういう価値基準が、どんどん加速していくと思います。というより、すでにその現象は明確になりつつあるようにも見えます。SNSの世界などは、まさにその顕著な例ではないでしょうか。
ChatGPTをはじめとする生成系AIは、短時間で(質・そして量ともに)圧倒的なコンテンツを作り出すことができるようになりました。最近は、各界の専門家でさえ「自分よりも生成AIの方が高度なアウトプットができてしまう… なんだこれは!」などと、自嘲気味に降参を宣言するような声も増えてきました。
しかし面白いのは、読む側の受け取り方はまた違うということです。たとえば人間味あふれる専門家のサトウさんがいたとして、サトウさんが「いや〜、◯◯については、自分が書くよりAIが書いた方が良くまとまったものが出るな..」と思ったとしても、AIに丸投げされたコンテンツを読みたいと思う人はあまり多くないでしょう。
AIがまとめるコンテンツは、いまや相当なクオリティになりました。ですが、そもそも何かの文章を読むとき、私たち人間は無意識のうちに「この情報はどのくらい信頼できるのだろう?」と考えます。「書いている(確認・編集している)のは誰か?」「その人の専門性や実績、これまでの発言や行動はどうだったか?」を評価します。
だからたとえ(まったく)同じコンテンツであったとしても、信頼できる専門家が確認し、編集した上で発信したものと、どこかの誰だか分からない人が生成AIからコピペしたものとでは、私たちの受け取り方はまったく違うということになります。
これが、まさに "何" を言うかよりも、"誰" が言うかが重要という世界です。AIは、"何か” は言えますが、人間である "誰か" になることはできません。いくらAIの精度が向上しようと、人間は、いつまでも人間の書いた(あるいは編集責任を持った)コンテンツに触れたい、と思うものです。
まったく同じコンテンツだったとしても、「誰が」発するかによって、その影響力や重みは極めて大きく変わってしまうという事実。
それだけを聞くと、もしかすると「それは不公平だ」と感じてしまう人がいるかもしれません。しかし実際には、ある言葉やコンテンツが生まれるまでに積み重ねられた人生経験や努力、人柄、周囲との関係性などはものすごく重要なファクターです。
これは、私たちが、言葉そのもの以上の “何か” を受け取ろうとしている、そういうことの表れかもしれません。
では、「信頼できる人」「影響力を持つ人」は "既得権益" なのかというと、私はそうは思いません。過去には名声を博し、大きな影響力を振るっていた人が、時代や人々のニーズの変化に対応できずに姿を消してしまうことも多々あります。
各種のSNS上で目立つ人々も、入れ替わりが激しい世界です。一時的に脚光を浴びても、その後の姿勢や情報発信の質が伴わなければ、あっという間に人々の関心は離れてしまう、そういう時代です。
だからこそ、「現時点での努力」こそが大切だと思うのです。
AIが多くのタスクを代替できるようになったからといって、私たち自身の価値が下がるわけではありません。むしろ、AIによる大量の情報生成が可能になったからこそ、人間が「本当に届けたいメッセージ」を磨き、自らの言葉を持ち続けることが大切です。
そのためには、自分の知識やスキルを更新し続ける学びの姿勢はもちろん、日頃の言動やまわりへの配慮、良いコミュニケーションが欠かせません。地道ではありますが、そうした積み重ねが信頼を生み、少しずつ「まわりの人に話を聞いてもらえる状態」を作るのです。
この過程は、一朝一夕でできあがるものではありません。しかし、だからこそ誰にでも開かれている可能性があるともいえます。たとえ初めは聞き手が数名だったとしても、丁寧に向き合い、心をこめて言葉を届け続けることで、いずれそれが10人、100人、1,000人… へと広がっていくでしょう。
その過程で築かれた「自分」という土台があるからこそ、同じフレーズでも、心に響くような重みを帯びるのだと思います。
AI時代においては、ともすれば「(生成された)内容のすごさ」に注目が集まります。しかしながら実際は、「誰がコンテンツの背景にいるか」「どんなストーリーや信念のもとで発信されているか」が、これまで以上に多くの人にとって判断基準になっていくはずです。
私も自分が発するコンテンツについて、学びを続けながら責任をもって取り組みたいと考えています。そうしてはじめて、自分の言葉が相手の心に届き、真の意味での共感や学びにつながる、そのように思うのです。