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池江選手に五輪辞退を強要する人間は、あのマスク拒否男と同類ではないか?

東京五輪に関しては、開催にしても、中止にしても、個人的にどっちでもいい派なのですが、東京五輪を開催させるために緊急事態宣言を出して、どうでもいい自粛要請という名の強制をする東京都のやり方は全く賛同できないし、「五輪を中止するなら自粛しなくていい」というならそっちを支持する派です。五輪なんかより、日常の商売の継続の方が数百倍大事だと思うからです。

かといって、ツイッターなどで盛り上がっていると聞く五輪中止派の論法はあれはあれで「どうなの?」と思わずにはいられない。感染が拡大しているのだから、商売の自粛と同様に五輪も中止すべきだという理屈だからです。

相変わらず、テレビのワイドショーでは、感染者の数だけフォーカスして、コメンテーターはこの世の終わりみたいな口調で煽るけれども、コロナが確認された2020年2月からの1年2か月の累計でも累計死者数は10226人(厚労省オープンデータによる4/30までの数字)です。死者数が増えたといわれる2021年1月~4月の累計でも月当たり1692人の死者数です。

これを、2019年の人口動態調査から、1か月あたりの死者数で比較すれば、癌は31369人でコロナの19倍、心疾患でも17310人ですからコロナの10倍以上、結核やB型肝炎などの感染症死亡者も1か月あたり1962人なので、コロナより多いことになります。

こう書くと、人の命は数字ではないと顔を真っ赤にして怒る人がいるのですが、感染者の数を毎日のように錦の御旗みたいに掲げて大騒ぎしてるのはどっちだと言いたい。そもそも医療の現場でも当たり前のようにトリアージは行われているのであり、現実問題として医療のリソースを割くべきは、コロナより圧倒的に罹患者の多い他の病人であることは当然です。コロナ患者一人を救うために癌患者19人を放置していいかと言われれば、それは違うと思いますよね。

五輪がどうだとかいう以前の問題として、そもそもこれは何の緊急事態なのか?という話を冷静に見つめなおした方がいいと思うわけです。むしろ、政府や都知事の政治生命の緊急事態でしかないんじゃないの、と。そんなものに付き合せされて、生業を犠牲にさせられてはたまったものではない。

そんな中、こんなニュースがありました。

日経の記事では取り上げられていないが、実際に池江選手本人にどういうメッセージが投げかけられたというと以下。週刊女性PRIMEの記事から引用します。

《池江璃花子さん、オリンピック出場を辞退していただけませんか? 人の命より大事な夢などありません。このまま選手として参加したら、コロナで多くの人を死なせた東京オリンピックにあなたも加担したことになります》
《池江選手ほどの実力があり、影響力のある選手だからこそ、「今の状況のオリンピックには出ない」という決断をして欲しいと思います。そんな池江選手に、他の選手達も続くでしょう》
《子どもの運動会が無くなった、修学旅行も無くなった、部活動もできないと聞いてもオリンピックは必要だと思いますか?》

酷いものです。

去年の春は、自分らの恐怖や不快の払拭のために自粛警察などというほぼ違法行為に等しいことをやる人間がいましたが、今また、自分らの五輪中止の主張を通したいがために選手に対してこういう卑劣な要求をする愚か者がいる。

お願いの体をしてるが脅迫ですよ。これを読んだ池江選手がどんな気持ちになるか想像つくでしょうに。

再度繰り返しますが、年間死者1万人程度の病気、そんなレベルの感染症を過剰に恐れて、人間としてやるべき行為じゃないことを正義の名の下でやって恥ずかしくないの?と思います。でも本人たちは、恥ずかしくないんだろうな、もはや。正義だと確信してるから。

自分だけが正しいと確信している人間はもはや狂人と一緒です。

正しさなんて人の数だけある。時には互いの正しさをぶつけ合うことも別に否定しない。だけど、それは自分の方が正しいと相手を屈服させるものではない。ましてや、自分の正しさのために誰かを犠牲にしたり、利用したり、脅したりするなんて、一番やってはいけなことではないのですか?

都知事が常軌を逸していることについてはここに詳しく書いたのでもう繰り返しませんが、

同様に、一部のメディアの担当者もおかしくなっているし、それを毎日のように聞かされている視聴者も無意識に洗脳されている。これが恐怖なのは、前にも書きましたが、満州事変後の日本が戦争へと突き進んだ暗黒の昭和時代にそっくりなことです。

近衛や東条が戦争を引き起こしたのではない。高橋是清に至っては、明確に戦争反対を打ち出している(だからこそ暗殺されたのだろうし)。軍部だって、少なくとも対米戦争したら負けることは明らかだと事前にシミュレーションしている。にも拘わらず、戦争へと突き進んだのはメディアとそれに煽られた大衆という独裁集団による。それを「空気」と言い換えてもいい。

変異株は恐ろしいのだ、若者でさえ重篤化するのだ、と手を変え、品を変え、コロナの恐怖を煽り続ける一部のメディアは一体何がしたいのでしょう?実際若者の死亡者なんてでてはいないのに。

こういう情報もあります。

「インドの変異ウイルスは、実は致死率が低い(ドイツのミュンヘン工科大学と東京大学のAI生命倫理研究コアの医療統計解析から)」

こういう情報はテレビでは流れませんね。都合が悪いからでしょう。毎日タレントのようにテレビに出ている感染症の専門家といわれている人たちに言いたいのは、「あなたたちはテレビに出ることが仕事じゃないでしょう」ということ。毎日テレビに出て小遣い稼ぎする暇あったらちゃんと本業でこういう情報出せばいいのに?

少なくともいたずらに不安を煽って「死ぬぞ、死ぬぞ」と言い続けるオオカミおじさんより、こっちの方がよっぽど有益だと思う。

勘違いしないでいただきたいのは、だからってマスク拒否男みたいな自分勝手な振舞いを推奨するものではない。あんなのは極端だし論外。

しかし、頑なにコロナを恐れて、「自粛すべきだ、酒を飲むべきじゃない、家に居ろ、何もするな、五輪なんかやめろ、それに賛同しない者はすべて悪だ、だって自分が正しいのだから」と言ってる集団は、頑なにマスクを拒否し、自分は間違っていないと主張するあのマイク拒否男と同じ穴のムジナではないのか?

空気をまったく読めないのもどうかと思うし、空気に完全に支配されてもいけない。

勿論、人間である以上、ある程度「空気を読む」行動は必要だし、それは社会生活上のひとつの技術でもあるので否定しないのだが、「空気を作るために特定の誰かを生贄にする」という行為は絶対に慎んだ方がいい。


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。