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デザインを経営に戦略的に活用するとは?ーミラノサローネ2021特別編で気づいた変化。

「デザイン」という言葉が時代の時々で、対象や意味が大きく変化してきました。今やデザインの対象は物理的なモノにとどまらず、社会、コミュニティといったカタチのない範囲の広いものを含んでいます。経産省も数年前から「デザイン経営」という表現で、経営資源として戦略的にデザインを使うよう促進をしています。

そこで日経新聞電子版で「デザイン経営」に関する記事がどれほどあるのか検索してみました。今年だと1か月に1-2本の記事という感じです。日経デザインなどに範囲を広げれば日経関連媒体として「デザイン経営」をもっと取り上げていると思いますが、本体の記事としては思ったほどの数ではない、まだまだ感が強いです。

無印良品のアドバイザリーボードをつとめるデザイナーの原研哉さんの以下のインタビュー記事を読むと、デザインにまったく縁のなかった人は「ああ、デザイナーってこういう人を語る人なんだろうね」と向こう側の話として受け取り、デザインに縁のある人は「デザインの幅の広さや意味が分かる」と反応するでしょう。

物理的な商品企画の枠を超えてデザインが重要であると認識し、それを活用していくにはやるべきことが多いのです。特に日本の現状についてぼくが抱く印象は、従来のデザイン枠にいる専門デザイナー(インダストリアルデザイナーやグラフィックデザイナー)と社会で大きな範囲でデザインを捉える「新しいタイプのデザイナー」(例えば、ソーシャルイノベーションをリードする人)の間に距離があり過ぎ、お互いの素養が上手く交じり合って活用できていないということです

前者は後者を「デザインを分かっていない」と批判し、後者は前者を「古くて頭が固い」と愚痴ります。だから、原さんのような両方の言語を知る人が重用されるわけです。

以上の乖離現象は、毎年ミラノデザインウィークを訪れる日本の方たちをみても確認できます。どこぞのメーカーの新作をどの有名(または新進気鋭の)デザイナーが発表したか?に注力する人が圧倒的に多く、デザインウィークを企画しそれを支える人たちの考え方がどう変化しつつあるかには関心が低い。

これはある程度、どこの国の人にもある傾向です。だが、「日本のデザインレベルは高い」と他から思われ、自らもそう思っているわりに、デザイン観がアップデイトされていないと感じます。

このデザイン観のアップデイトぶりを、今月開催されたミラノデザインウィークの本丸であるミラノサローネ(見本市会場で開催される国際家具見本市)の特別編として開催された、Supersaloneとその周辺の事情から追ってみましょう。

サローネを主催する会社の社長が38歳の女性になった

これまで家具業界やデザインの世界は、リーダーは圧倒的に中年以上の男性の世界とみなされていました。そこに30代の女性がサローネのリーダーとして登場したのです。

マリア・ポッロは祖父の創立した家具メーカーのボードメンバーですが、こういう家系によくある二代目や三代目は経営学を学び・・・という道ではなく、ブレラ美術大で舞台美術の学科を卒業し、オリンピックのようなイベントや劇場のセットの制作やコーディネートに従事します。その後、家業に入り、国際コミュニケーションやサステナビティに力を入れ、ハイブランド企業としての地位向上にも努めています(例えば、ハイブランドの集まりであるアルタガンマに加盟)。

その彼女が、例年4月に開催するサローネがパンデミックにより2020年は中止になり、今年も4月に開催できずに9月に特別編(supersalone)を開催するという緊急事態への対応に迫られるなか、リーダーの地位についたのです。下の写真は、会場を訪れたマッタレッラ大統領を案内するマリア・ポッロです。

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彼女は「デジタル化、サステナビティ、国際化」の3つが課題として大事だとある雑誌の取材に答えていますが、今回のアーカイブをみると積極的に会場をまわり、各ブースで出展者と楽しそうに会話する場面があります。聞くところによると、彼女はお祖父さんに連れられて小さな頃からサローネの見学をしてきたし、インテリア業界のコミュニケーションは女性の活躍が多いこともあり、新しい立場に違和感はないようです。

強い企業が空間を独り占めするブース構成に新しい提案

これまでのサローネは、お金のある企業がより大きな面積をとり、莫大な施工費をかけて独自の世界観をいかに排他的に演出するかが勝負でした。しかし、今回の特別編は別のアプローチを採用しました。再利用可能な材料を使った少々幅のある壁に沿ったブース構成です。もちろん、ここでもブース横幅を多くとれる企業が有利なのは否定できませんが、インクルーシブが重視され、より公平感が優先されています。

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しかも家具、雑貨、照明など従来のゾーニングがなく、家具と照明が並んでいるために単調さを回避できます。そして、こうしたブースの先には頻繁に行われるトークのための階段状のスペースが複数あります。ブースの余分なスペースに客を押し込む感じが強かったこの手の場の意味を変えようとする意欲がみえます。下の写真です。

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また、同じくパビリオン内の食事の空間は、日本でいえば「立ち食い蕎麦カウンター」的な扱いであったのに対して、よりゆったりと落ち着いてグルメを楽しめるようになっていました。

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この特別編に6日間でおよそ6万人が訪れました。驚くのは30%が113か国からの人だということです(初日と2日目に限れば、半分以上が外国人)。2019年の入場者は40万人ほどでした。現状、その規模と比較するのは有益ではないでしょう。知るべきは、これだけデザインを対象に人の国際移動がはじまっている、ということです。また多種のデジタルプラットフォームへのアクセスがあり、このコミュニティへのアクセスはイタリアとイタリア以外で半々です。

ポッロの目指すデジタル化、サステナビティ、国際化が、この先どういう結果をみせるか、期待するに十分な地点にたっているといえます。

ミラノデザインがより目にみえるシステムとして動き始めた

ミラノとその周辺の地域を中心としたデザインシステムについては、昨年7月、デザイン文化の観点から以下の記事を書きました。

見本市の会場の外、市内の各所で開催されるイベント、フオーリサローネの歴史を紹介しました。それぞれの人やコミュニティが自律的に動くことを可能にするネットワークの存在があり、かつそれが常に活性化するような「巻き込み力がある」のがデザイン文化であると思います。

これが20世紀後半のイタリアデザインの大成功を導いたわけです。実際、ミラノを知らない人がミラノにきて「イタリアデザインをどこで知れ、どこで実感できるの?」と思ったとき、その目的に相応しい施設がありませんでした。街中の家具などのショールームをまわるのがミラノのデザイン体験だったのです。

数年前からトリエンナーレ美術館に時代をつくった作品が常設で展示されるようになりました。それは前進であったのですが、ミラノデザインやイタリアデザインを一望できたという満足に達するには距離がありました。そこに用意されたのが、今年前半にオープンしたイタリアデザイン協会の博物館です。

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ここには(日本のグッドデザイン賞に対応する)コンパッソドーロを受賞した歴代の作品が展示されています。その時々に何を基準に何を評価してきたことがリアルに分かります。

この博物館の展示品の一部が上記、サローネの特別編会場でも展示され、かつ特別編の会場構成は建築家であり、トリエンナーレ美術館の館長、ステファノ・ボエリが担当したのです。ボエリはガリバルディ駅近くにある「垂直の森」と呼ばれるベランダもすべて緑で覆った高層ビルの設計で名の知れた人ーつまりは、サステナビリティの旗手ーです。

即ち、イタリアデザイン協会、トリエンナーレ美術館、サローネの3者がお互いに協力し、デザインのありようの可視化に努め、それがシステムとしてよりはっきりとしてきたのです。

実は昨年9月、ミラノデザインウィークがフオーリサローネのレベルだけ開催されました。オンラインイベントと並行していたといえど、本丸のサローネがなかったためか、人出があまりなかったのです。今年はグリーンパスというワクチン接種証明を携帯することで人の移動が可能になったこともありますが、やはりサローネ特別編があったからこそ、市内全体の動きが(今の状況にしては)ダイナミックに生まれました。

若手デザイナー輩出のプラットフォームつくりが評価される

上記の記事ー「デザイン文化」をデザインするーミラノデザインウィークの変遷ーで紹介したサローネサテリテという場があります。記事からコピペしましょう。

サローネサテリテは、後述するフオーリサローネと呼ばれる見本市会期中に市内で多数実施されるイベントの「もう一つの選択肢」としてできました。若手デザイナーには自作を発表したいが、市内の一般の(レンタルフィーも安い人出の少ない)場では量産を引き受けてくれるメーカーとなるビジネス当事者にアピールしずらいので、発表の機会を創って欲しいとの希望がありました。サローネ主催側がそのリクエストを受けた結果、スタートしたのです。個人や大学単位で参加し、これまでのおよそ20年間に1万人以上のデザイナーがここから巣立っていきました。そのため創立者のグリッフィンは「デザイナーのマンマ」と呼ばれています

会場構成をしたボエリはグリッフィンとのオープントークのなかで、彼女の実績をとても称えています。以下、真ん中の女性です。ボエリは右側の男性です。

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そして、彼女は今月、ミラノ工科大学デザイン学部から名誉修士号を授与されました。名誉学士や名誉博士号はよく聞くのですが、修士号はあまりなじみのない言葉かもしれませんが、名誉修士号です。

ここで注目すべきは、グリッフィンはいわゆる従来の専門デザイナーではないという点です。ヴェネズエラ生まれのイタリア人である彼女は、1960年代なかば、のちにB&Bとなる家具メーカーの創業者のアシスタントになり、同時に国際コミュニケーションの担当となり、その後にサローネ主催側にまわり1998年、サローネサテリテを主導してきたのです。

彼女はミラノ工科大学での授受式で「私はモノをデザインしたことは一度もない」とスピーチのなかで述べています。しかし、その現場を伝える、それもさまざまに文化の異なる地域の人に、彼女はいくつかの言語を操りながら行っていたのです。昨年、彼女の自宅に伺う機会がありましたが、そのインテリアデザインのセンスにはユーモアとエレンガンスが備わっています。

そして、その能力がサローネサテリテで新たに発揮され、世界の数々の若いデザイナーの背を押してきました。つまり、モノの目利きであり、それを作る才能の目利きであり、コミュニティをつくるに長けた人ということになります。

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もうひとつ、肝心なことがあります。彼女の名誉修士号はProduct Service System Designというコースから受けています。対象が限定されたインダストリアルデザインなどではなく、モノとサービスなどをシステムとして対象に学ぶコースです。昨年、ぼくが訳した『日々の政治ーソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』を書いたソーシャルイノベーションの第一人者、エツィオ・マンズィーニの思想を受け継いでいるコースです(ちなみに、マンズィーニは「モノのデザインをデザインの唯一のモデルとする時代は終わった」と語っています。しかし、ポッロやグリッフィンのようにモノへのセンスは求められるのです)。

即ち、このPSSDの考え方が現在のデザインの姿であり、その実践者は多数の旧来枠の専門家でもあるわけですが、国際的なコミュニケーシの実践者もこの姿にフィットしているのです。特に女性はどこの企業でもコミュニケーションを担当する例が多く、有利なポジションにいます。ポッロとグリッフィンの2人のキャリアは、それをよく表しているでしょう。

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ぼくたちは遠い昔のこともアップデイトしていくのがよい

やや余談になるかもしれませんが・・・。

8月、ミラノの王宮で開催されていた1500-1600年代の女性画家の展覧会をみました。これまでルネサンス期を含む、これらの時期の画家とは男性だけと、特に疑いもしなかったと思います。しかし、この数十年間、その頃の女性画家が見いだされています。

男性画家の奥方、貴族の家庭の娘、あるいは修道女たちです。音楽、舞踏、文学と並んで、絵画は教養の一つであったようです。下記はエリザベッタ・シラーニの1663年の作品です。

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往々にして、我々は「あの時代はこうだった」と一つのカラーで染め上げて納得するところがあります。ぼくは、100点以上の女性作家の作品を見ながら、綿々と続くクリエイティブな女性たちが生きた時の流れを思うのでした。

この延長線上に、新しいデザインのあり方があり、そこに女性が活躍する場が広がりつつあるのです。デザインを語るネットワークであるデザインディスコースが、今後、さらに充実していくはずです。経営にデザインを戦略的に活用するとは、ロジックや数値に依存し過ぎないやわらかい(言い換えれば、打たれ強い)システムをチームでつくれるようにすることと同義といってもよく、そうなれば社会はもっと面白くなる・・・・

写真:Salone del Mobile
*イタリアデザイン協会博物館の展示品と女性画家による絵画の2枚は除きます。

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