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誰もが自由を求めて働くようになった〜#この5年で変化した働き方

(Photo by Becca Tapert on Unsplash)
at Will Workのお題である、「#この5年で変化した働き方」に応えるために、この5年間で特に印象に残った出来事を振り返ってみる。

このお題の原点でもある、5年間で終了すると宣言したat Will Workのアニュアルイベントの第1回。偶然にも、ここに登壇させてもらった。その時は、ちょうど「渋谷をつなげる30人」を立ち上げた直後で、一つの都市に関わる企業・行政・NPOが相互信頼で結ばれたときに起こし得るイノベーションの可能性を報告したことを覚えている。その後、渋谷をつなげる30人は毎年開催し、今年度は第5期を迎えている。開催地域も、気仙沼、名古屋、京都、そして町田、横浜と広がり、今年はスイスに国際NGOを立ち上げ世界にProject30として広げていく計画だ。

この記事は、「働き方の自由」をめぐる5年間という切り口で書いてみたい。


自由を求めるムーブメント

私自身にとって、この5年間でもっとも印象的なできごとは、香港の自律分散型で続いたデモである。ちょうど日本では「ティール組織」という上司部下の関係のない生命体的な組織スタイルが話題となっていたころだ。誰もが主体的に立ち上がり、匿名でムーブメントを起こしていった香港デモは、未来の組織のあり方を予感させた。

この動きは歴史を動かす可能性を示したが、今のところは自由よりも秩序が優位を保っている。中国の共産党体制は、徹底したトップダウンにより、世界で最も効率の良い経済システムを維持している。

この一連のジェットコースターのようなアップダウンの激しいできごとは、「(長いものに巻かれて)生産性をとるか、(苦労をしても)自由であることをとるか」という問いを我々日本人にも突きつけているのだと感じた。


「働き方改革」から「働き方の自由」へ

日本に目を向けてみると、この5年間は「働き方改革」がもっとも大きなトピックだったのではないだろうか。女性活躍、同一労働同一賃金、定年延長など、世界から大きく遅れをとっている「誰もが働きやすい環境」をつくるためのイニシアティブだ。

しかし「働き方改革」の思想は、働き手を増やし、生産性を向上させるためのもので、ある意味で産業革命以来続いていた「経済社会に一人ひとりをはめ込む働き方」の意識と変わらないものだったと感じる。

それが、コロナ禍によって大きく変わった

オフィス出社がなくなり、私たちは通勤地獄から解放され、在宅で家族と過ごす時間も増えた。毎日在宅でオンライン会議をすることになり、自然に囲まれた広い部屋への引っ越しをリアルに考えるようになった。

私自身も、渋谷区から京都市へと住居を移した。会社の運営はすべてZoomとSlack上で行われているため、誰がどこに住んでいるかを気にする人もいない。ほとんどの仕事がオンラインになっているため、デメリットはほとんどない。それどころか、京都市の行政との強い関係性が生まれ、地域のSDGsを推進する新たなプラットフォームづくりを協働することになった。このような、地域からイノベーションを起こす事例は、これからどんどん増えていくだろう

社員はライフスタイルの自由を取り戻し、企業は通勤手当やオフィス費用、さらには残業代も削減することができる。このようなwin-winの関係により、「働き方の自由」を求めるトレンドはコロナ禍が過ぎても続くに違いない


誰もが自由を求めて働くようになった

香港のデモが強烈に求めた「自由」と比べると、日本の「働き方改革」は本質的な変化を求めたものではなかった。どちらかというと現状のシステムを維持するためであり、労働人口を維持し、少子化に歯止めをかけることで、企業中心の社会システムを守ろうとするものだった。

しかし、この5年で企業や自治体がSDGsに取り組むことが当たり前になったこと、そしてそこにコロナ禍が加わり、個人の意識も大きく変わったのではないか。それは、「経済社会に人間が合わせて働く」マインドセットから、「人権と地球環境を大前提として経済を回す」マインドセットへのシフトなのだと思う。

この5年間で私たちは、住む場所を選べる「場所の自由」、通勤時間の不要な「時間の自由」、そして仕事を通して関心のある社会課題解決に取り組む「テーマの自由」を手に入れたことだと思う。

皮肉なことに、香港のように制約が多いほど、自由の価値を感じやすい。一定以上の自由を手に入れてしまうと、そこから先は自由の価値を感じるには自己アイデンティティの確立が求められる。逆に、何をやればいいのか不安になってしまうこともあるだろう。

コロナ禍を乗り越えたのちに、またオフィスに通って非効率な会議と残業の毎日に戻るのか。学校はオンライン教育の可能性を手放して、再び教室に生徒を呼び戻し、退屈な講義を再開するのか。

この5年間で我々が手にしたものは、「自由」だ。

日本では、政府はありがたいことに、私たちの手にした自由を取り上げようとしたりはしない。元に戻る引力はとても強いが、私たちは、せっかく手に入れた「働き方の自由」を自ら手放してしまわないよう、肝に銘じておきたいものだ。

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