「ドル買い」ではない。「円売り」である
円売りであってドル買いではない
ドル/円相場は遂に20年ぶりの高値をつけました:
黒田日銀総裁が財務官だった頃以来の水準です。足許の円安については様々な解説が飛び交っていますが、FRBの正常化プロセスに伴う米金利上昇を主因として取り上げ、「ドル高の裏返し」と解説する向きが散見されます。結論から言えば、これは(少なくとも年初来の動きに関して言うならば)明らかに事実誤認です:
図は名目実効為替相場(NEER)に関し、年初来および特に円安が加速した3月中の変化率を比較したものです。G7通貨のほか、参考までにトルコリラの変化率も付けました。ドル相場は年初来で+0.4%と横ばい、3月中に限っては▲0.02%と上昇すらしていません。これに対して円相場は年初来で▲4.9%、3月中は▲5.0%と大幅下落であり、「トルコリラよりはまし」という風情です。この円安地合いを「ドル高の裏返し」と解説するのは無理があります。為替市場で進んでいるのは明らかに円売りであってドル買いではありません。確かに日米金融政策格差、端的には日米金利差もドル/円相場を押し上げる材料には違いありません。しかし、そこで材料視される度合いはオーバーキル懸念を纏い始めているFRBの引き締め姿勢よりも、このご時世でも指値オペ(無制限国債購入)に踏み切る日銀の緩和姿勢の方が大きいのではないでしょうか。
円売りを止める契機は
そもそも過去1年間を振り返っても円安はドル高の結果ではありませんでした。図に示すように、実効ベースで見ると、ドル安と同時に円安になっているシーンは結構ありました:
特に3月に入ってからは「緩やかなドル安」に「激しい円安」がぶつかることでドル/円相場では円安・ドル高という仕上がりになっていただけで、為替市場全体でドル高だったわけではありません。前掲図でも示したように、NEERベースで見た円の下げ方は突出しており、日本固有の要因が作用していると考えるのが普通でしょう。それが独特の金融政策姿勢と足許で悪化が著しい経常・貿易赤字状況ではないでしょうか。後者が構造的な要因として定着するかどうかが懸念すべき話であり、「構造的な円安ではない」と突っぱねることは真摯な分析態度とは言えないと私は思います。今、日本国としては構造的な円安を懸念しつつ、結果として「そうではなかった」となれば幸運と思えば良いのではないでしょうか。
仮に「円安を止めたい」という思いを為政者が抱いた場合、金融政策に関しては総裁交代を契機に緩和路線のレジームチェンジを印象付けることで、経常・貿易赤字状況に関しては原発再稼働を契機に鉱物性燃料の輸入抑制を印象付けることで円売りに対抗する余地はあるように思います。
もちろん、一国のエネルギー政策は原発再稼働以外にも考えるべき論点はあるでしょうが、金融市場にアピールするという意味に限れば、やはり原発の先行きが注視されているのは確かです。
筆者は、今回の円安局面は日本要因に起因する部分が小さくないと見る立場なので、金融政策や原発再稼働を含めたエネルギー政策の転換を上手く情報発信することで相応の効果を期待することは可能だと考えます。「円売りのピークアウトはいつか」との照会は非常に多いものですが、これら2つの政策対応は契機になり得るものでしょう。
米金利はしばらく円安抑止の助けにならず
もちろん、上では「日銀の緩和姿勢の方が大きい」と言及しましたが、FRBの引き締め姿勢、端的には米金利動向も無関係とは言えません。3月は2年金利が10年金利に並ぶ(逆イールド化する)ほど急騰し、その際にドル/円相場が顕著に押し上げられていました:
過去1年を振り返ると円安の波は2021年初頭(①)、2021年秋(②)、そして2022年春(現在、③)の3回ありました。①と②では10年金利主導という印象でしたが、③は2年金利も含めた全般的な米金利上昇が重なっています。金融政策姿勢が反映されやすい2年金利の動きにドル/円相場もある程度は連動しているのだとした場合、FRBのハト派傾斜が米金利の反転に繋がり、そのまま円売りを抑止する期待はあります。その意味で米金利動向次第で円売りが抑制される部分もあるでしょう。
とはいえ、その展開が直ぐに訪れる気配は感じられません。利上げ幅の50bpsへの拡大は今後2会合(5月・6月)で既定路線と見なされており、その後にインフレのピークアウトが確認されたとしても「50bpsから25bpsへの縮小」を1つのステップとして利上げ自体は継続されそうです。そうなると、どんなに保守的に見積もっても5月(50bps)、6月(50bps)、7月(25bps)、9月(25bps)と利上げが重ねられる展開は避けられそうにありません。そこから11月(25bps)、12月(25bps)と続けてもFF金利は2.25%で中立金利(2.50%)を下回るため、理屈の上では「緩和的な金融状態」が続くことになります。仮に、7月以降、50bpsを1回でも挟めば中立金利に至るし、2回挟めばこれを超えてきます。こうした政策金利イメージは4月5日、ブレイナードFRB理事が今年後半には「より中立的な位置」に達し、その後必要に応じてさらなる引き締めを行うと公言していることと整合的です。今年のFRBの金融政策は中立金利に復帰するという意味での正常化(≒中立化)であり、本当の引き締めは来年以降という主張は一応理屈が通っていそうです。FRBの政策姿勢が反転し、米金利もピークアウトすることは円安が止まる1つの理由になるでしょうが、他力本願である上、年内に期待できそうなイベントとは言えません。
かかる状況下、円独歩安とも言える為替市場の地合いは年内持続力を持つと考えるのが妥当でしょう。年内に130円台定着を臨む展開にさほど無理はないように思えます。円安で世論をけん引することで始まった黒田体制が、円安によって世論の離反に直面し苦しむことになるという実に皮肉な年となりそうです。