コロナ禍で世界観が変わる ― コロナ・オンライン社会(中)
東京日本橋から京都三条の東海道五十三次を歩いた。四国八十八ヶ所霊場をお遍路巡礼した。西国三十三所観音霊場を巡礼した。お伊勢参りをした。かつて何日もかけて歩いていた道を、電車で移動できるようになり、車で移動できるようになり、飛行機で移動できるようになった。技術の進歩によって、速く、遠い所に移動することができるようになった。そこに行って、見て聴いたことがすべての世界観のなかを、私たちはずっと生きてきた。それが変わった。
1.自分を中心とした世界観が変わる
今、琵琶湖が見える山小屋のデッキで、この文章を書いている私の姿を南米ボリビアの高校生がグーグルアースで見ているかもしれない。私の山小屋は周り一面の雪、山から点々とつづく猿か鹿か熊の足跡を見ているかもしれない。その逆もできる。
自分を中心とした世界観がゆるむ。昔の日本は明治時代・大正時代までは、自分が生まれた場所がすべてで、自分の世界だった。その場所を中心に、自分の人生を顛末した。だから東京や大阪に行くと
びっくりした。
今は移動性が高まり、地方の子どもも、東京・大阪の話題のスポットを知っていたりする。東京・大阪に住んでいる人よりも、詳しかったりする。地球の反対側の子どもが行ったことがない国や都市の様子も、パソコン・スマホで入手してそこに行ったようなレベルで知ることができるようになった。誰かが発信している情報を見たり聞いたり読めば、地元の人以上に知ることもできる。これって人類史上初のことである。
平成時代の初めまで(=インターネット以前)は、事実上
世界は「距離性」の問題だった。
実際に自分が移動できる範囲が「世界」だった。これまでの移動手段で最も遠くに行けるのは、船であり電車であり飛行機であった。近くを移動する手段は、自転車であり自動車であった。人類は技術力をもって、「移動性」を飛躍的に高めつづけ、「世界観」を広げていった。それが人類史だった。 平成の初めぐらいまで、そういう世界観がすべてだった。その前提は
自分が実際に移動することが基本だった。
古代より、人々は自分の住む場所以外の場所を知りたいと願った。だからそこに行くため、何日も準備して、何日もかけて歩いた。移動技術を進歩させることによって、遠くに行けるようになり、国内のみならず海外の至る所に行けるようになった。国内外の名所旧跡・話題のスポットを本・新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどが積極的に紹介した。そのビジネスの本質は
そこへの移動の誘(いざな)い
だった。そこに、ここに、素晴らしいエメラルドブルーの海が広がっています、オーロラが見えます、中世の古城で結婚式ができますと、
そこここへの移動の誘いだった
そんなメディアの情報に触れて、興味が湧いたら、どんなに遠くても船と飛行機を使えば、地球のなかならば行こうと思えば行けるようになった。
そこに宇宙に行く人があらわれた。地球から3億km離れた小惑星「リュウグウ」に、「はやぶさ2」を飛ばし、そこの粒子をとって地球に持ち帰ることができるようになった。その絶対に行けない場所を、まるで行ったかのような「リアルさ」で体験でき、その雰囲気を感じたり、知ることができるようになった。
2.情報を受信したあとが変わること
情報の「意味」が変わろうとしている。これまでは、そこに誘う情報が中心だった。その情報に接して、そこに行って、世界観を広めることを目的とした誘う情報が中心だった。そんななか、絶対に行けない、これまで絶対に体験できなかった場所のリアルな情報が出てきた。そのリアルな情報に接して、感じ、体験とすることで、新たな世界観が生まれようとしている。こうなったうえに、
情報を受け取ったあとの
行動・変化が変わろうとしている。
たとえば宇宙から地球を見ることができるようになった。その写真や映像に感動する。しかしその情報に接しても宇宙に行きたいと思う人はどれだけいるだろうか?大半の人は宇宙に行けないし、行かない。そうすると、日本の民間人として初めて国際宇宙ステーションに滞在したZOZO創業者の前澤友作氏は、「すごい」ということになる。
宇宙に行ってどんな意味があるの?お金があったらどこでも行けるという人もいるが、前澤氏は「行きたくて、行く」準備をして、宇宙に行って、帰ってきた。行きたくて行けるようにして行った。これは伝説となる。「行けるけれども、行かない」と思った人との差は、とてつもなく大きい。
「行けるけれども行かない」と言う人は、耳学問で宇宙ステーションの中味をどれだけ詳しく知っていても、そこ、宇宙に行っていない。行っていないから、世界観は大きく変わらない。宇宙ステーションのなかでの人と人の会話は分からない。宇宙ステーションから地球を見て、前澤氏がどう感じたのか、どう考えたのかは、行っていっていない人は分からない。それを体験できないので、世界観は全然ちがってくる。
昔は殆んどの人が行けなかったから、本や新聞を読んで「知っている」という人が詳しいね、すごいねと言われ、「物知り」だと尊敬された。そこにネット・スマホ・SNSがでてきて、行けない所や会えない人でもいつでもどこでも知ることができるようになった。そんななかで手段をつくしてそこに行く人がでてきたら、その人がすべてとなる。こうして
行きたくて行けるようにして行った人
行けるけれども、行かなかった人
とでは、世界観は大きく変わってくる。このように「情報」に接した後のその人・企業の判断・決断のちがいが、その人の評価・企業の経営を大きく左右する時代になろうとしている。
宇宙だけではない。地球の知らない所もそう。たとえばボリビアにすごい高校生がいると聞いても、その高校生にボリビアまで会いに行こうと思う人は殆どいないだろう。しかしボリビアに行ってその高校生に会いに行った人の世界観は、情報は手にしたが「行かなかった」人の世界観とは、全然ちがってくる。
そのボリビアの高校生に会ったら、日本人と同じだったよ。
しかしこういうときは、日本の高校生はこうだけど、ボリビアのその高校生はこんな感じで、こうだった。
現にそこに行って、そのボリビアの高校生と会って話をしてきたとすれば、行った人は行かなかった人とはちがう世界観を持つことになる。
これからバーチャルが高まれば高まるだけ、リアルが求められていく。しかしそのリアルはそれまでのリアルではなく、新たな本物のリアルであることが求められる。これこそ、コロナ禍後を考えるうえで大切な論点である。
3.「移動性」という制約を超えた新たな世界観
平成の初めまでの世界観は、まず情報があって、そこに行く手段、特に移動距離性があって、それをもとにしてできあがる世界観だった。だから海外に行っていない人は、海外に何度も行っている人の話についていけなかった。「海外に詳しい人」といって、ともすれば中味よりも「行ったことがある」という事実が評価された。それががらっと変わる。
たとえばニューヨークで、あるストリートミュージシャンが話題になっていると聴いたら、これまでならば、実際にニューヨークに行って、その場で聴かなければ、体験できなかった。
それが今は日本にいて、ニューヨークのストリートミュージシャンのパフォーマンスをYouTubeやTikTokで、LIVEで見聞きすることができるようになった。日本に居ながら、そのショーに「参加」できるようになった。その経験は、現にその場に行って見聞きするという経験よりは「浅い」が、ストリートミュージシャンのLIVEのパフォーマンスを日本で視聴できる体験ができるという「現実」が確実にうまれつつある。
ストリートミュージシャンのパフォーマンスをLIVEで観て聴いて、感じることがある。それをLIVEで観た人とLIVEで観なかった人とでは、感じ方がちがってくる、世界観がちがってくる。このようにして私たちの世界観は
移動性という制約を超えつつある。
コロナ禍前に、これら画期的なオンライン技術は生まれていたが、それを活用して発信する人・企業、それを受信する人・企業は少なかった。その技術は知っていたが、時期尚早だとか効果がないからといって、使わなかった。だから社会への具体的な実装はすすまなかった。それが、コロナ禍の移動制約によって、一気に進んだ。私たちは、人類史上初の新たな世界観に入ろうとしている。ビジネスも学びも暮らしのルールも、がらっと変わろうとしている。
リモートで、国内のみならず世界の人とビジネスをする店が珍しくなくなった。たとえば知り合いの大阪の和菓子屋さんがニュージーランドの人に、和菓子を売りだした。
従来ならば、こう考えた。ニュージーランドで和菓子が売れるかどうかわからない。売れるかどうか、事業として成り立つかどうかは、実際にそこに行って、試験的に販売してみないと分からないと考えた。だからなかなか決断できなかった。
それが「情報手段とロジステックと決済口座」を整備・確保すれば、現地に行かなくても販売できるようになった、事業をたちあげることができるようになった。このように根本的にビジネスのルールが変わった。ビジネスの前提である「移動距離性」という制約がとり外された世界観となった。これが当たり前と思い、取り組んでいる人・企業と、そうではない人・企業とは、とてつもなく大きな差がすでにでている。
これからはオンラインビジネスだ、DX人材の育成だといっている場合ではない。画像・音声の次元で、LIVE性・世界同時性が達成している。自分が、自社がそこに行かなくても、体験できる、同時性が確認できるという世界観は、それまでのビジネスモデルを劇的に変える。
そこに行かなくとも、行ったのとほぼ近い世界観となろうとしている。そしてこの人類史上初の世界観は、さらに進化する。メタバースやロボットが出てきて、自分の家のキッチンで「有名シェフ」があなたのために絶品料理をつくってくれる時代がくるかもしれない。
コロナ禍の今は「よ~いドン!」だから、若い人も年輩者も、同じ条件である。しかし「移動距離性」という制約下に縛られたこれまでのビジネス観から変わらない、変われない人・企業はこれからの社会のありようは想像できない・デザインできない。ではどうしていけばいいのかは、明後日に考えたい。
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