注目したい「家計の円売り」の行方
円ショートは巻き戻し完了
先週の円キャリー取引に関する連続投稿は大変多くの方に関心を持って頂きました。そこで論じたように、筆者は事が起きてから円キャリー取引の残高を争点として議論を展開し、それが円安の主因だったかのように語る風潮には賛同できない立場です:
半ば独り歩きしている感もある「600兆円」という残高は過去2年半の円安局面において殆ど使われてこなかった数字であり、この巻き戻しでドル/円相場が元の水準(円安の起点は2022年3月の113円付近)に引き戻されるかのような議論は唐突感を覚えます。
下記記事でもコメントさせて頂いておりますが、05~07年は欧州における円建て住宅ローンの隆盛などがパリバショックやリーマンショックの前から取りざたされていました。なぜこれをはっきり記憶しているのかというと、筆者は当時、欧州委員会経済金融総局に在籍し、これを調べるように命じられたことがあるからです:
しかし、「皆がそう思うことはそうなる」という市場の特性を尊重し、円キャリー取引が2022年3月以降の円安局面を主導してきたとしましょう。下記、現状整理をしておきたいと思います。※今回は日経COMEMOとして配信させて頂きます。
投機筋の持高という意味では多くの市場参加者が円キャリー取引の代理変数として注目するIMM通貨先物取引は8月6日時点で既に巻き戻しが完了しています:
8月6日時点の円のネットポジションは▲9.8億ドルでこれはネットポジションが円ロングになっていた2021年3月9日週以来で最小となります。つまり、2022年3月に始まった今次円安局面では最小ということになります。
筆者は何度も「問題は投機ポジションが去った後の水準」だと述べてきました。投機的取引である以上、必ず反対売買されます。今回のようにポジションが中立化されるような展開は遅かれ早かれ必ず訪れます:
本稿執筆時点で残ったドル/円相場は145~147円というレンジ取引です。もちろん、これが着地点と断言はできないものの、円ショートポジションが完全に解消された水準としてはやはり円安気味であるようにも感じます。
もちろん、ここからネットポジションがロングに傾斜していく可能性もないわけではないでしょう。現に、グロスポジションで見た時にロングの残高は積み上がる傾向にあり、8月6日時点の57.30億ドルはやはり2021年3月9日週以来の高水準となります。円買いに賭ける向きも増えています。
しかし、これも「日銀の連続利上げが可能」という前提で積み上げられたものでしょう。日銀の利上げなかりせば、円がネットロングに転じ、持続性を帯びるという展開は考えにくいところです。なお、ショート同様、ロングの積み上がりは将来的な巻き戻し(円売り戻し)の圧力として警戒する筋合いにあります。この辺りは今後、注目されうるポイントでもあります。
今後は「家計の円売り」に注目
今後の注目点は「家計の円売り」の行方です。財務省「対外及び対内証券売買契約等の状況」における投資家部門別の対外証券投資を見ると、投資信託委託会社経由の買い越しは1~7月合計で+7兆8695億円まで積み上がっています。このままいけば買い越し額は13兆円以上、前年(約+4.5兆円)の約3倍になりそうです。問題は日経平均株価が史上最大の暴落となり、ドル/円相場も急落した8月初頭のショックを経てもこうした異次元の買い越しペースが続くのかどうか、です:
QUICK資産運用研究所の推計によれば、8月7日に関し、設定額から解約額を差し引いた金額は1609億円の資金純流出だったことが分かっています:
1000億円以上の資金流出は、新NISAが始まってから初めてであるという。同報道によれば、今年1月4日から8月7日までの資金動向を見た場合、資金が純流出になったのは今回を含めてわずか3回(4月5日、7月8日、8月7日)しかなく、今回(8月7日)の流出が最大だったとも指摘されています。
個別ファンドの動向については本欄の関知するところではありませんが、「家計の円売り」の代名詞でもある「eMAXIS Slim」シリーズの「米国株式(S&P500)」や「全世界株式(オール・カントリー、通称:オルカン)からも純流出が見られており、オルカンに至っては史上初めて日次ベースで1億円以上の純流出になったとも書かれています。
こうした推計報道を確認するまでもなく、今回のショックは新NISA開始以降、成功体験しか知らなかった日本の個人投資家層に痛烈な一撃を見舞ったことは間違いないでしょう。この痛みを乗り越えてハイペースの「家計の円売り」が続くのか、それとも例年ペースに戻るのか、はたまた売り越しが続いてしまうのか。今後の円相場を語る上でも重要な要素と言えます。
仮に9月に発表される8月の投信経由の対外証券投資が大幅が買い越し減少(もしくは売り越し)に転じ、それが9月以降も持続するとした場合、年初来の円安相場を支えてきた需給要因の1つが剥落することになるでしょう。同時にそれは年初から順当に進捗してきた資産運用立国の動きが躓くことも意味します。少なくとも「積み立て」で投資する以上、「下落で手放す」を繰り返せば収益が上がる理由はないのですが、この辺りが資産運用立国元年を迎えた日本国民にとってどう映っているのかは今後半年の関心事です。
なお、こうした需給環境については既に今年上半期分のデータが出揃っています。デジタル赤字やキャッシュフロー(CF)ベース経常収支などについて照会も増えているところですが、次回のnoteでまとめたいと思います。