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「たまたま」という偶然性が自分の彩りになる

殺人事件とか詐欺とか増税とか殺伐したニュースばかりが目につく昨今、年末にほっこりする記事を見かけました。

このニュースを報じた十勝毎日新聞の人気コーナーに「私の赤ちゃん」というのがあるそうだが、25年前に同じ日の記事に並んで載った2人が、偶然の出会いを重ね、引き寄せられるように結婚したそうだ。

地方ならではの偶然性でもあり、必然性でもある。

記事が出た3年後に家族同士が偶然出会うことも、この2人が高校生の時に、たまたまバイトで出会うことも。たまたまと書いたが、たまたまではないのかもしれない。

ところで、非科学的だと言われるかもしれないが、「人の縁」というものは不思議なもので、この「たまたま」がある相手とない相手がやっぱり存在する。

たとえば、渋谷のスクランブル交差点で、すれ違いざまにたまたま昔好きだった相手と遭遇するになんてことは確率論からいえば、相当低いはず。その時間にそのピンポイントの場所にいなければ発生しないし、たとえ、時間と場所が一致したとしても、その瞬間に互いに相手を視認しなければその「たまたま」は起きない。

また「たまたま」の出会いがあったとしても、その縁が続くというものでもない。

いや、逆なのかもしれない。

私たちは実は忘れてしまっているだけで、このありえないような「たまたま」を何度も経験しているのかもしれない。しかし、多くの「たまたま」はその瞬間で終了している。終了したからといってその「たまたま」が無意味なものであったというものでもない。

「たまたま」で作られた縁がその後も続く場合もあるが、その一回限りの縁もまた別の何かの「たまたま」を作り出すための縁だったのかもしれないのだ。

記事の結婚の話からは遠ざかってしまうが、人の縁というものはその縁が続くことよりも、刹那の縁であっても、必ずその人の中にその「縁によって生まれた新しい自分」が作り出されることにこそポイントがあると思っている。

これは、拙著「居場所がない人たち」のメインテーマとして書いたことたが、人は誰かと出会い、何らかの接触をした時点で、その人によって生まれた自分というものが芽生える。それは本人がそのことを意識せずとも、必ず地層のように本人の中に残り続ける。

それを私は「彩り」と表現した。

誰かと接続すれば、あなたの中にその人と出会ったことでしか生まれない色が発生する。その色は決してあなたの中で、他の色と混じり合うものではなく、「その色」として残り続ける。
多くの人と接続すればするほどその色は増えていく。そして、その色はモザイク状になってあなたの中にあり続ける。時にそのモザイク状の色が自分の中で移動することによって、誰かによって生まれた違う色同士が隣り合うことにより、俯瞰すれば別の色として見えるようにもなる。

人との縁によって生まれた一色が、他のたくさんの一色と関わることによって長い人生の中で無数の色へと変化していく。人の縁とは、続く続かないは関係なく、自分の中の彩りを豊かにしていくものだろう。

ちなみに、本との出会いも自分の中の彩りを加えることの一助になります。拙著は今キンドルで無料公開中ですので、この機会にあなたの「たまたま」に加えてみてはいかがでしょうか?

また、旅も彩りを付け足してくれるもののひとつです。できれば、一人旅がおすすめ。

2023年ももうすぐ終わります。今年、あなたは誰と出会い、どんな色を付け加えたことでしょう?

来年もまた、そんな「たまたま」がたくさん巡ってきますように。よいお年を。


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。