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これからの「投資」の話をしよう 〜非-経済資本を増やす、未来との結び目としての投資論

お疲れさまです。uni'que若宮です。

今日は「投資」について書きたいと思います。


未来がないから「投資」しない?

日経でこんな記事が出ていました。

「日本株はもはや泥船だ」。東京都の兼業投資家、乙丸英広さん(40)は12月に入り、約1千万円分の日本株をすべて売却した。2020年はマスク関連株などで利益が出たが、今年は買った株が下がるばかり。「なぜか日本株だけ上がらない」という焦燥にかられ、不満を抑えきれなかった。
岸田文雄政権が掲げる「新しい資本主義」にも不信が募る。「金融所得課税を強化すれば、富裕層や起業家が海外に逃げてしまうだけ。残った国民がみな貧しくなっていく気がしてならず、そんな国の株に投資したくない」。SNS(交流サイト)でつながる投資仲間たちも同じ考えだ。

これを読んで僕はちょっとがっかりしました、同時に、「投資」ということの意味をもうちょっとみんなで再度考え直すべきではと感じました。

どういうことかというと、僕は基本的に「投資」というのは可能性を増やし、未来をつくる活動だと考えています。これからのベンチャーであったり、いま元手がない企業に対し、お金に余裕があるところから資金が集まれば、それをレバレッジして新しい事業が生まれ、育っていくことができる。未来の価値を増やす行為です。

なのでその本質において、「投資」には「未来への燃料」という動機が必要だと思うのですよね。しかし、上記の記事では投資は「未来を創造する手段」としてはまったく考えられていないように思います。

「買った株の値が上がるか、上がらないか」

これって未来をつくろうとするよりも勝ち馬に乗って儲けたい、というだけのように思えるのです。日本に(いま)未来がない、と思うのならだからこそ未来を増やすためにむしろ投資が必要なのです。なぜそこに投資し、未来をつくろうとしないのでしょうか。

上記の記事のような投資スタンスは、「投資」ということをとても近視眼的に・狭く捉えている気がします。


「投資」の2つの意味

たとえば「投資 意味」とネットで引くと

利益を得る目的で、事業・不動産・証券などに資金を投下すること。

と出てきます。

「利益を得る目的で」というのが第一義なのですよね。この考え方でいえば「勝ち馬に乗る」ような投資の方がうまい投資ということになるのもわかります。

しかし「投資」とは本当に利益を得るためだけのものでしょうか?

「投資」についてもうちょっと詳しく、たとえばwikipediaでみてみると、

投資(とうし、英: investment)とは、主に経済において、将来的に資本(生産能力)を増加させるために、現在の資本を投じる活動を指す(現代において、生産能力の増加しない商業活動はこれに含まない)。広義では、自己研鑽や人間関係においても使われる語である。

とあります。

こちらのほうがもう少し意味合いが広く、「将来的に資本(生産能力)を増加させるために、現在の資本を投じる活動」とあります。

ここで言われていることは「投資」の目的の本質は「利益を得ること」ではなく「資本の増加」であるということです。

一緒じゃん?と思われるかもしれませんが、ちょっと違うのですよね。たとえばあなたが100円もっているとします。空腹でいまにも倒れそうです。そこであなたはおにぎりを買うとします。

もしそのおにぎりを食べてしまえば、利益はゼロ円です。しかし空腹から脱し、元気になってまた働けるようになります。(資本(生産能力)を増加)

逆に、そのおにぎりを食べずに120円で誰かに売れば20円利益が出ます。しかし、もし20円儲かっても空腹で倒れてしまっては本末転倒だという気がします。

あるいは、そのおにぎりが80円でしか市場で売れないものだとしたらどうでしょう?「利益」視点で考えると80円でしか売れないものは100円で買うと「損」だから買うべきではない、という結論になるでしょうか。こちらの場合も損をしなかったからといって空腹で倒れてしまってはやはり意味がありません。(日本株には投資したくない)

単純すぎてちょっと乱暴なたとえなので恐縮ですが、何を言いたいかというと、同じ「投資」という言葉でもそれを「利益を得る目的で、事業・不動産・証券などに資金を投下すること」と考えるときと、「将来的に資本(生産能力)を増加させるために、現在の資本を投じる活動」という視点で考えるときで、投資判断や価値判断が変わるよ、ということです。


「将来的に資本(生産能力)を増加させる」

僕自身はやなり、投資とは単に利益だけを目的とするのではなく、「将来的に資本を増加させる」というものだと考えています。

単に利益を目的とした投資は「投機」に近く、たとえばNFTの「アート投資」とかもそうですが、それがアートという資本や価値を増やすための視点をもたないのであれば「消費」としてむしろ価値を下げる事になりかねません。

また「投資」において重要なのは、「将来的に資本(生産能力)を増加させる」の「将来的に」という観点です。要はタイムスパンをどれくらいで取るか。

「資本増大のための投資」であってももちろん、生産能力があがれば結果として利益も生まれていきます。ですのでその部分では「利益のための投資」とベクトルが一致します。しかしちがいは、どれくらい長期的な視点で考えるかということです。

たとえば黒字化までに3年かかるが売上が伸びている事業があるとします。これは間違いなく「将来的に資本(生産能力)を増加」させますから、プラスの投資です。しかし、短期的に会計年度で切れば赤字です。しかしこれは会計年度が1年だからで、もし会計年度が3年や5年だったら評価はかわってくるのです
将来に目を向け価値を増やすための投資は、その可能性を信じられなかったり考慮できなければマイナスに思えてしまいます。(「日本株はもはや泥船だ」というのはどちらの態度だと思われますか?)


長期的視点に加え、もう一つこれからの「投資」において大事な観点、それは「資本」の内実だと僕は考えています。

これまで「資本」という時にはほとんど「経済資本」のことしか考えられて来ませんでした。故に「経済資本の増大」≒「利益」という感じになっていた。

しかし「資本」とは「経済資本」だけではありません。たとえば企業にとっての「社会関係資本」や「文化資本」のような観点がこれからはより重要になってくるのではないでしょうか


「これからの投資」のリターンとは?

いま某所で、ソーシャル・イノベーションや社会の未来をつくるための、あたらしいベンチャー投融資のエコシステムをつくるコンソーシアムというのに参加しています。


以下は昨日その会でお話したスライドの一枚です。

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ソーシャル・イノベーションを活性化するために、このスライドで言いたいことは、以下の2つです。

一つは新しい事業価値の評価指標をつくること。これまで事業価値の評価はDCF法など「利益」や「キャッシュ」をベースにしたものが基本となってきました。しかし、実際には↓こちらの記事でも書いたようにこれからの時代の「事業が生み出す価値」は経済価値のみならず、社会との関係や文化への影響側面の重要性が大きくなってきています。

しかし、いまだにこの価値評価の方法は経済的なものしかありませんから、どうしてもソーシャルベンチャーというと「儲からない」と言われたり、投資というよりは寄付や補助金でまかなわれるものというイメージが強い。(実際まったく経済的に回っていない事業もありそれはそれで問題なのですが)赤字ではなく事業を続けられていて、かつ事業によって社会的なインパクトを出しているのであれば利益額がウン百億とかにならなくても、イノベーションとして十分評価されるべきではないでしょうか(よく言っているのですがイノベーションとは短期的な「広さ」だけでなく、「長さ」や「深さ」も含めた四次元的な積分値として測られるべきだと思います。↓Voicyでもそんな話を)。

逆に、利益をどれくらいだそうが社会関係的、文化的に悪影響を与えたり「負債」のある企業はこれからは支持されなくなってくるでしょう。

そして、この「指標」のアップデートと表裏ですが、「投資」目的もアップデートされるべきだと思っています。

強調したいのは、これがあくまで「投資」のはなしであり「寄付」や慈善的な行為を増やそう、という話ではない、ということです。資本の捉え方を経済資本だけでなく社会関係資本や文化資本に拡張して考えると、その「投資」によって共鳴する人々とのネットワークができたり経営のために重要なカルチャーを強化できるのですから、しっかり「将来的に資本(生産能力)を増加させる」ことにつながっており、ちゃんとリターンがあるのです。(実際、投資で得られるものが経済的利益のみではなくつながりや学びであることをすぐれた投資家ほど知っているでしょう)

このように考えると「ベンチャーキャピタル」の機能もこれから変わってくるでしょう。これまではLPから集めたお金を投資運用し「経済価値」を増やして、それをLPに返すことがベンチャーキャピタルのビジネスモデルであり、存在意義でした。

しかしこれからのベンチャーキャピタルは投資によって「社会関係資本」や「文化資本」を増やすことも考え、そうした資本をLPにリターンとして返していくような発想をもっと持って、「未来との結び目」として機能していくことが重要ではないかと考えます。


岸田首相が提唱する「新しい資本主義」が経営者からはずいぶん不評だそうです。それが不評な理由は「分配」という発想にある気がしてなりません。「分配」は割り算だからです。利益が割り算されて減ると「成長」が弱くなる、というのが反対の声の主な発想ではないでしょうか。

「分配」すると減る、という考え方は基本的にゼロサム的な価値観に拠っています。そこには未来への投資という観点が希薄であるように思えます。分けると減る、ではなくシェアすることで全体の価値が増える、そう考えることはできないでしょうか。

本当の「新しい資本主義」とは平等のための割り算の「分配」ではなく、また利益や経済資本のみではなく、「経済資本のみならず社会関係資本や文化資本まで含めた資本の増大」を目指し、未来を増やすための「投資」として経済を循環させていくことではないでしょうか。

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