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「労使交渉」の未来を妄想する

毎年恒例、今年も各社で春の労使交渉が始まっている。

日本では、毎年2月頃から各社で「春交渉」「春闘」と呼ばれる労使交渉が行われるのが通例だ。

ここでいう「労使交渉」とは、労働側(労働組合)と経営側で、賃上げや制度改革など、競争力強化のために、今後の方向性を話しあう重要な場のことである。

今回は『働き方改革の世界史』を参考に、世界各国の労使関係のあり方を見ながら、「労使交渉」というテーマで思うことを書いてみたい。

「労働組合」ってなに?

労使交渉において労働側の議論の卓につくのは、多くの場合「労働組合」だが、そもそも「労働組合」とは何だろうか? 

日本の労働組合法では「労働組合」を以下のように定義している。

労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体

企業で働く人たちが労働条件を向上させる(お給料を上げる、在宅勤務という選択肢を増やす、etc……)ためには、経営者と交渉する必要がある。なぜなら、労働者の働く条件を改善するということは、限られた経営リソースをどう分配するか、という話でもあるからだ。

しかしこの時、1人の個人が単独で経営側と交渉しようとしても、まさに多勢に無勢、経営側の圧力に押し潰されてしまうのがオチである。

ならば、沢山の労働者が一致団結することで、経営側と話しあえるだけの発言力を持とう!ということで結成されたのが「労働組合」だ。

ウチとソト、2つの「闘争」の場

ここでちょっと注目したいのが「労働組合」において「どんな人たちが一致団結しているか」である。

「春闘」を見れば分かるとおり、日本企業の場合、基本的に会社と交渉するのは「企業内労働組合」だ。つまり、ここで一致団結しているのは「同じ会社(ウチ)の人たち」である。

会社の労働条件について話しあうんだから、同じ会社の人たちと団結するのは当たり前じゃないか、と思うかもしれないが、実はこれは世界的にみるとかなり珍しい。

日本以外の多くの国では、労働組合は企業横断的につくられるため、一致団結するのは、会社の「ウチ」の人たちではなく「ソト」の人たちなのである。

では、会社の「ソト」の人たちと何をベースに繋がっているのかというと、基本的には「職業別」や「産業別」など、「仕事」でつながっていることが多い。

たとえば、工場で働く工員の人は他の会社の工員の人と一緒に「技能工組合」に加入するし、店舗で販売やサービスに携わる店員の人は「販売員組合」に入る。

こうなってくると、1つの会社の中にさまざまな組合支部が乱立することになるため、日本企業で働く人の感覚からすると、カオスで面倒くさそうな印象を持つかもしれないが、「闘争」の舞台が「ソト」に開かれていることはメリットもある。

たとえば、ある会社の労働条件に問題がある場合、企業を横断した組合があれば、同じ仕事に就いている他社の人たちとの比較が簡単になるため、1社だけ労働条件が著しく低い、ということはなくなる。

一方、日本の労働組合は「ウチ」に閉じてしまっているため、他社の状況と比較するのはそう簡単ではない。

また、日本のように「ウチ」に閉じた労働組合の場合、声をあげようとしても経営側のしっぺ返しを恐れて本音を言えない可能性が出てくるが、「ソト」に開かれた労働組合であれば、その心配も少なくなる。

つまり、労働条件を向上させるための「闘争」においては、「ソト」と連携した方が交渉力は高まりやすいのだ。

実はここに、なぜ日本では「春闘」という形で一斉に各社が時期を合わせて交渉するのか、という疑問に対する答えがある。

要するに、企業横断型の労働組合が力を持たない日本では、せめて「ソト」の会社と労使交渉の「時期」だけでも合わせることで、団体交渉力を高めようとしている、というわけだ。

「闘争」と「協調」のバランス

さて、ここでさらに1つの疑問が湧いてくる。

企業横断型の労働組合という「ソト」のしくみを持つ日本以外の会社では、労働条件に関する社内(ウチ)の個別かつ特殊な問題については、どうやって話し合っているのだろうか。

この問いに対する答えの1つとして、欧州の主要国で導入されている「従業員代表制度」を例に挙げることができる。

これは従業員の中から仕事や役職などのバランスを考慮して代表者を選び、その人たちが経営の意思決定に参加する、という仕組みだ。

つまり、日本以外の社会では、労使関係を調整するしくみとして、会社の「ソト」と広く連携して「闘争」するしくみと、会社の「ウチ」で経営側と労働側が「協調」して話し合うしくみの2つが存在しているのだ。

とはいえ、労使関係のあり方は日本以外の国でも多種多様だ。

たとえば、ドイツは両方のしくみをうまく取り込むことで労使関係の調整が比較的スムーズに行われてきたのに対し、「ソト」の「闘争」だけを軸にしたイギリスやアメリカでは、「ウチ」の「協調」が希薄だったためにさまざまな問題が起きた。具体的には、イギリスでは労働秩序が崩壊し、アメリカでは労使がお互いに無関心な状態に陥ってしまうなど、企業として統制をとるのが難しくなってしまったのである。

ここで改めて、日本の会社に目を移してみると、「企業内労働組合」という「ウチ」の「闘争」のしくみが、実は「協調」の機能も兼ねていることがわかる。たとえるなら、お互いに抱きしめ合いながら、殴り合おうとしているようなものだろうか。

「ソト」の「闘争」ばかりに力を入れ、「協調」の機能が薄かったために失敗したアメリカやイギリスとは反対に、「闘争」も「協調」も「ウチ」で行っている日本企業では、逆に「闘争」の方がうまく機能せず、馴れ合いや妥協、そして組合自体が弱体化するという現象が起きた。

結局のところ、大事なのは「闘争」と「協調」のバランスなのだろう。

インターネット時代の「労使交渉」

ここまで、日本だけでなく海外も含めた労使関係のあり方について見てきたが、最後にぼくが所属するサイボウズという会社について、「労使交渉」という視点で考察してみたい。

サイボウズには、今のところ「労働組合」が存在しない。

職種別労働組合など、会社の「ソト」と連携した「闘争」が一般的でない日本の会社で、「ウチ」の労働組合すら無いとなると、サイボウズで働く人たちはどうやって働く条件についての問題を解決しているのか、という疑問が湧くかもしれない。

結論から言えば、サイボウズでは基本的にすべての情報を公開し、もやもやすることがあれば、適宜、「質問責任」を果たすことで、働く条件に関する問題をみんなで解決していく、というスタンスをとっている。

誰かが「こんなことで困ってる!」とオープンな場で声をあげると、それに共感する人たちがわらわらと集まってきて、関係者を巻き込みながら議論がなされ(人事メンバーもここに入っていくことになる)、制度的な変更を伴う場合は、経営会議に草案を持ちこんで承認/非承認を決める、という流れだ(そしてこの経営会議も誰でも参加OKかつ、議事録・録画動画は即日全社に公開される)。

すべての情報をオープンにして、誰もが経営に参加できる状態にしておけば、労働条件の問題をみんなで「協調」して解決していけるだろうという、ある意味、「だれでも従業員代表」的な考え方と言えるかもしれない。

ぼく自身、前職時代に労政を担当していたこともあり、サイボウズ社内で起きているオープンな労使コミュニケーションについては、本当に興味深く感じている。

多くの場合、労働組合は「職場会」「支部会」「本部会」など、ヒエラルキー構造になっており、上から順に会社の経営情報を落としたり、反対に、ボトムアップで職場の困りごとを吸い上げたりと、労使の相互コミュニケーション機能を担っている。

これがサイボウズの場合、そもそもすべての経営に関する情報がオープンになっているため、労使間に一切の情報格差がなく、かつ、1人ひとりがもやもやを自由に発信できてしまうがゆえに、困りごとを吸い上げるも何も、共感を得た困りごとはどんどんシェアされて、あっという間に会社中に広がっていく。

最近では、社内で盛り上がっている議論を週に1度、一覧に編集して投稿する人が現れたり、月に1度、社内で重要そうなテーマを動画にまとめて発信するメディアが立ち上がったりと、情報の流通網まで進化し始めた。

こうなってくるともはや、ヒエラルキー型のコミュニケーションというよりインターネットやSNSの世界観に近く、かっちり「労使交渉」と銘打って社内の議論を取りまとめるまでもなく、毎日のように、そこら中で議論が始まり、そこに自然と人事も巻き込まれていく、という新しい構図が生まれている。

もちろん、まだ人数規模が1000人程度だからこそ、今のやり方で利害調整が成り立っている部分もあるだろうし、今後、どこかのタイミングでサイボウズに労働組合が発足する可能性もあるだろう。

それでも、日々、さまざまな問題がオープンに議論され、沢山の集合知によって新しいやり方が提案されている現状を見ると、今後もテクノロジーの力を使って何とかうまくやっていけるんじゃないか、という気持ちもどこかにある。

すべての情報が公開され、多様な距離感が受容されたインターネット時代の会社において、この先の未来、一体どんな労使関係が形成されていくのか、人事の実務担当者としては、多少の緊張感を持ちつつも、本音を言うと、わくわくする気持ちの方が勝っている。

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