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江戸に花開いたストリートエンタメ業

江戸時代の江戸が現代と酷似している話は過去に何度もとりあげている。大都市である江戸に人口集中することも然り、独身男性の男余り現象然り、外食産業が栄えたことも然り、女性の社会進出によって未婚化と離婚増加になったことも然り。現代の推し活のようなものすらあった。

こちらの「居酒屋の起源」の記事もものすごく読まれました。

さて、江戸において、というより、江戸の活気を生み出した最たるものは「棒手振り」稼業。

棒手振りとは、魚・青物などをてんびん棒でかついで売り歩く人のことを指す。

いわゆるストリートスーパーのようなもの。

江戸の町を描いた歌川広重などの浮世絵をみれば、かならず棒手振りの姿が絵描かれている。
棒手振りは江戸北部だけで5900人、50業種もあった。ざっと並べても、野菜 魚 アサリ シジミ 豆腐 納豆 味噌 醤油 塩 海苔 浅漬け 奈良漬け ゆで卵 焼きトウモロコシ 醤油飯 餡かけ豆腐 けんちん汁 団子 大福 飴 羊羹 カリントウ お汁粉 冷や水 薬 桶 ほうき かご 苗木 花 金魚 鈴虫 に至るまで実に多種多様の物を売っていた。

中には珍商売もある。売っているのがモノではなく、エンタメを売る者もいる。

「考え物」という商売があった。
これは、簡単にいえば家々にクイズの問題を書いた紙を投げ入れ、ほどほどの時間を経た後で「さきほどの問題の解答知りたいですか?」と言って現れ、解答を教えてお金をいただく商売である。要するに「クイズの押し売り」である。

おもしろい問題や納得できる解答であれば金を払ってくれるが、つまらない問題だと「解答なんていらない」と追い返されるので、問題作りは真剣である。


下記の絵の中にも棒手振りが描かれているが、赤枠で囲ったところに注目していただきたい。

『東都歳時記』斎藤月岑 編纂/長谷川雪旦 画

拡大するとこう。

一見、親孝行の息子が年老いた母親を背負って歩いているだけのように見えるが、これも商売である。「親孝行の息子であることを見せて、周囲の人たちから感心だとお金を受け取る」のである。

しかし、実はよくよく見ると、これは息子が母親を背負っているのではなく、背負っているように見えるのは人形で、人形を胸に抱き、背負われていると見える母親が自分の足で歩いている。

江戸の人はこれにまんまと騙されたわけではない。そんなことは百も承知で「よく考えたね」「おもしろいね」という意味で投げ銭をしていたのである。

単なる物乞いではない。それでは粋ではない。むしろエンタメ業として金をいただく大道芸なのである。

そのほか、江戸期には歌舞伎がエンタメ産業として栄え、歌舞伎役者は「千両役者」などともてはやされた。今の金額換算で1億円以上を稼ぐというものだ。多分、おひねりなどもあるからもっと稼いでいただろう。ちなみに、時代劇で有名なお奉行の遠山の金さんの年収は3億円だそうだ(但し、金さん個人の年収ではなく遠山家の収入なので、そこから家来の経費などはかかる)。

落語などの寄席も栄えた。
浮世絵や黄表紙など出版産業も栄えた。
今でいうゴシップ紙のような瓦版も栄えた。
女だけではなく男もおしゃれに気を使い、ファッションとしての着物の染物屋や男用の美容商品も売れた。
髪結い(今でいう美容師)の仕事は需要も高く稼ぎも良かった。
その後の結婚相談所の原型となる仲人業が生まれたのもこのころだ。

ある意味、江戸時代において、世界に先駆けてエンタメ産業やサービス産業が花開いたことは事実であり、生きる上で必要な「食」でさえエンタメ化されて、今に至るグルメ産業や外食産業につながっている。ちなみに、江戸で外食産業が栄える原因は独身男が多かったためである。

別に「江戸時代は良かった」とか「江戸に回帰しろ」などという話をしたいわけではない。そうした歴史的経緯をふまえて現代に起きている課題を見つめ直すと新たな視点が生まれてくるという話をしている。

ポイントは消費力である。
別に江戸の民が皆裕福だったわけではない。大工の年収は250万円程度、棒手振りなどで生計を立てていた町人の年収は(売る商品の内容によった違いはあるが)、原価を差し引いたらせいぜい手取りは150万円程度だったという。

しかし、それで十分暮らしていけたそうだ。大体月1両あれば町人は一人暮らせた(10万円程度)。なぜなら、長屋の住居費としての家賃は月7000-8000円程度であり、生活費そのものは安く済んだ。そもそも町人に所得税も社会保険料も消費税もなかった。ちなみに、女性もほぼ働いている。

稼ぎの絶対額は少なくても、その中から江戸の民は心を躍らせるエンタメにお金を使った。その消費が次なる事業を生み、それがやがて大きな産業にまで発展した。

社会制度の異なる今と江戸とを同次元で比較することはできないが、江戸時代中期以降経済を活性化させてきたのはこうした民の消費力である(江戸の商人の顧客は江戸幕府創世記は、ほぼ参勤交代してくる大名家の武士だったが、中期以降武士が困窮化してからは、町人が主役となっていた。武士相手に商売しても借金を踏み倒されたりしたので)。

そのかわり、地方の農村の民は苦しんだ。農民は年貢として半分の重税を課せられ、自分で米を作っておきながら飢饉で餓死する例も多かった。農民をやめて江戸に人口集中するのも当然だったのだ。

このような話がお好きな方はぜひ拙著「ソロエコノミーの襲来」をお読みください。一章まるごと使って江戸の話を書いています。


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。