日本が世界に誇るべき概念。それが「道」。
先日ポーランド、ワルシャワから車で3時間も入った山の中の道場で、ポーランド人の空手チャンピオンに空手の指南を受けたことをこのノートに書いた(写真)。
私は別に空手をやるわけではない。全く初めてであった。このイベントは、ポーランド人の企業役員を集めたイベントだった。私はそこで人工知能の講演をするためにポーランドに行ったのである。そのイベントの一つの趣向として空手の訓練の時間が組まれていたのである。そこで企業役員の参加者は道着を着て、空手の指南を受けたのである。
この施設。入り口に英語、ポーランド語、日本語で、こう書いてある。
「武道とは、精神と肉体の鍛錬に依って、人格の完成を目指す道である」
さらにポーランド人の空手の先生に、武道の根底にある心得を教わった。まず教わったのは、武道とは小手先のテクニックではないことである。
「武道とは人に勝つのではない。自分に勝って、昨日の自分を超えていくことである」。
正直言って、私は感動した。これが日本が本来受け継いできたものであり、同時に最近失いかけているものだ。それをポーランドの山奥の道場で、ポーランド人のマスターに習ったのである。そしてポーランド人の子供から大人までがそれを教わっているのである。
もちろん近年このような伝統的精神は日本では薄れている。むしろここ30年の間に、このようなことは「根性論」「精神論」としてむしろ疎んじられたり馬鹿にされてきた面もある。
しかしあらためて、これは世界に日本が誇るべき中核となる概念だと思った。
人生100年時代になり、AIやIoTの技術の進歩はますます加速する中で、我々は常に変わることを求められる。リンダ・グラットン氏が指摘するように、いわゆる教育の期間、仕事の期間、引退の期間のという3フェーズモデルは成り立たなくなり、100年間常に変わりつつけることを求められる。これにそもそも人間は精神的に耐えられるのか、とユバル・ハラリ氏は問う。
しかし、100年間、命がつきるその日まで、常に昨日の自分を超え、人格を高めるという道を究めるのは、日本人にとっては自然な概念である。
もちろん電車の中ではスマホに触っていない人を見つけるのが難しいような大きな人の行動変化が起きている。
しかし一方で、茶道を淡々と続ける日常を描いた「日々是好日」が、本や映画で大変共感をもって受け入れられたように、我々には、道という概念が今も根底に常に流れている。そもそも茶道、書道、弓道、武道、さらには野球道、レスリング道のように、我々はあらゆることを人格を生涯にわたり高め続ける「道」として捉えてきた。
今回ポーランドの道場で、呼吸の仕方、声の出し方、黙想の仕方、お辞儀の仕方までをポーランド人に習った。そこで気づいたことがある。もちろん空手の先生やそのお弟子さんである13才の女の子は、当然ながら、大変きちんとしたお辞儀をする。ところが、ポーランド人の会社役員たちは、お辞儀が、我々のようにきちんと出来ないのである。基本のところで、日本人は一歩も二歩も先に行っているのである。
この「道」という忘れられようとしている概念を、科学的に立証することはできないだろうか。いいお手本がある。禅の瞑想が、鈴木俊隆老師他の尽力によってアメリカに渡って、さらにそれが最近になって心理学や脳科学的な科学的検証を受けて、「マインドフルネス」として一大ブームになっている。この「道」という概念も、世界に通用するもので、しかも空手特有なものでもない。
AI時代に、我々は素直に我々のルーツに戻り、さらにそれに科学的な新しいラッピングをして、現代に蘇らせる。これが日本を今後輝かせる希望の星ではないか。
「星」と聞くと、我々の世代には、あの星一徹が、夜空の巨人の星を指さしている姿が思わず目に浮かんでしまう。巨人の星は「スポーツ根性もの」と呼ばれた。そのテーマは、まさに「野球道」であった。
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