さほど高くない壁でさえ越えられない -ヴェネツィアビエンナーレで見たこと。
2か月ほど前に書いた下書きを途中で寝かせたままにして気になっていた記事がありました。
10月の半ばの原稿です。中東のある空港で書いたものです。アラビア半島の片方で生じたばかりの事態に対する興奮にあまり引っ張られたくないと、途中で書くのをやめたのです。
しかし、年も終わりに近づくにつれ、アラビア半島の状況はさらに焦げ臭く、黒海の北側はより悲観的観測が多くなっているなか、この記事を最後まで書き上げてアップしておきたいと心境の変化がありました。
そこで以下を書き終えました。
<2023年10月15日に書き始め、12月17日に書き終えた>
ミラノから東京に向かうに中東の都市で乗り換え便を待っている。アラビア半島の地中海側で起きているニュースを機内で見ながら、半島のペルシャ湾側に飛ぶフライトマップをちょこちょこと眺め、ひとつのことを、ここに書いておきたいと思った。
9月後半に訪れたヴェネツィア・ビエンナーレのことだ。ヴェネツィア・ビエンナーレは、年ごとにアートと建築が交互に開催される。
およそ半年間、「ジャルディーニ」(公園)という常設の各国パビリオンがあるゾーンと中世の造船所からの由来をもつアルセナーレの2か所を中心とし、世界中から多数の人が訪れる。今年の建築ビエンナーレ会場を歩き回っていて、頭を弾丸が貫通したと感じる展示があった。
ジャルディーニにあるオーストリア館だ。
館内の壁にある、このような文章が目に入ってきた。即座に、何を言っているのかが分からなかった。オーストリア館と思って入ったけど、見間違えだったのか?と自分を疑ったほどだ。下の写真、建物の右下に白く「オーストリア」とあるだけだから、館名がそう印象に強く残っているわけでもなかったのだ。
実は展示だけを見ていると、ヴェネツィアの住人を主体としたソーシャルイノベーションがテーマになっているように読める。例えば、次のような説明を読んでいれば、そう思うのは当然であろう。
いや、「そう読める」ではなく、まさしく、それをテーマとしている。だから、ヴェネツィアの住民の活動のためにオーストリア館がスペースを貸したのか?と早とちりした。会場のど真ん中にある模型を、ぼくはちゃんと見ていなかったのだ。特に、大きな文字「参加(partecipazione)」が掲げてあるにも関わらず、何の参加なのかをよく理解していなかった。
しかし、一つ一つの解説を読み、オーストリア館がとてつもなく挑戦的なことをやってきたことにやっと気づく。上記の子どもたちの「壁向こうに行けない」とは、このジャルディーニにはビエンナーレの半年間の会期中は入場料を払わないと入れない。そして、残りの半年間も「閉鎖中」として入れないのだ。
常に、壁の向こうは別世界である。仮にサッカーボールが壁の向こうに飛んで行ってしまえば、簡単に取り戻すすべがない。
そして、その「別世界」では自由であるとか、ジェンダーギャップをなくそうと主張し表現する人たちが「世界の先端」を自負しているーーこれは、そうとうに歪な現実ではないか?とオーストリアの建築家が考えた。彼らが提案したのは、壁を越える橋をかけ、ビエンナーレ会場の周辺住民と会場のオーストリア館を直接つなげることだ。
実際に、彼らはビエンナーレ財団に提案し、何度も掛け合った。開かれたビエンナーレの姿として、この試みはビエンナーレにとってもプラスである、と。しかしながら、ビエンナーレ財団はこの提案を却下したのである。
その一連の活動の経緯をそのまま展示したのが、今年のオーストリア館であった。オーストリア館の活動には、他国のパビリオンも賛同を示して応援もしたが、施工は叶わなかったのだ。建築許可がおりなかった。
ジャルディーニの各国パビリオンは土地を借りて建設されていると思うが、だからといって自ら主張することに遠慮していないオーストリア館の姿勢に、ぼくは衝撃を受けた。こうしていかないと、さほど高くない壁でさえ越えられない、と彼らは判断したのだろう。
ヴェネツィアの小さな地域のなかでも「開放」を試みることが大いに大変で、それを外国人たちが「参加」しながら突破口を探っている。この現実を目にしたとき、ジャルディーニにあるそれまで訪れた他国のパビリオンの展示が一気に記憶の彼方に飛んで行ってしまう感覚をぼくは覚えた。
それ以来、この「さほど高くもない壁を越える」ことの難易度の高さをずっと考えていた。そうしたら、2週間ほどたった10月7日、アラビア半島の地中海側で紛争が開始した。
↓(ここからが今日書いた部分)
そして、今日、次のルポを読んだ。下書きをアップする機会を逃してはいけない。
冒頭の写真©Ken Anzai