谷口ジローさんの作品がつくってくれたつながり
今、手元に一冊の本がある。漫画家の谷口ジローさん(1947〜2017年)の作品集『歩くひと 完全版』(2020年、小学館)だ。谷口ジローさんの作品の中でも国際的な評価を得る名作だが、ぼく個人としても大切な気づきを与えてくれた作品の一つ。今回は、ぼくが谷口ジローさんのことを好きになったきっかけや、『歩くひと』との出会いについて綴っていきたい。
海外の友人に教えてもらった谷口ジローさんの評価
実は、谷口ジローさんの作品を愛読し始めたのは割と最近になってからで、最初は恥ずかしながら食わず嫌いをしていた。
初めて谷口ジローさんの作品を知ったのはずいぶん前のことだったけれど、若い頃は手塚治虫さんの大ファンだったこともあり、積極的に作品を手に取ることがないまま歳月が過ぎてしまっていた。
そんなぼくに谷口ジローさんを読むきっかけをつくってくれたのは、海外の友人だった。もちろん谷口ジローさんは日本でも漫画家として評価を得ていたがそこまでじゃない。むしろフランスやイタリアでは高く評価され、アーティストとして尊敬されているという。
海外でそのような高い評価を得ていることから興味を持ち、そこから読み始めようと思ったことをよく覚えている。そうして初めて触れた作品が、『遥かな町へ』(1998年、小学館)だった。すばらしい作品だった。
本作はタイムスリップというSF的な要素がありながらも、情緒あふれる昭和の風景が美しく描かれている。主人公の純粋で誠実な人柄も相まって、日本人が忘れてしまった日本人の心が詰まっているように感じた。この作品を読んで、ぼくは谷口ジローファンのスイッチが入ってしまった。
そして、谷口ジローさんへの興味をより一層引き立てたのは、2021年公開のアニメ映画版の『神々の山嶺』(原題:Le Sommet des dieux)だった。
本作は、谷口ジローさんの同名の漫画を原作としているけれど、フランスのアニメーションスタジオがつくっているから、作画もタッチも谷口ジローさんのものとは異なっている。
ただ、内容自体も素晴らしかった。臨場感もさることながら、本作に登場する登山家・羽生丈二の山に取り憑かれた姿、描写をつい、不器用な自分と照らし合わせてしまう。クライマックスには思わず号泣しまうほどだった。
実際、本作に感動したのはぼくだけじゃなくて、世界中のアルピニストが大絶賛している。アルピニストたちは登山映画や漫画への評価は非常に辛口だと聞く。けれど、『神々の山嶺』に関しては世界中の著名なアルピニストも称賛している。
谷口ジローさんの世界観にリスペクトしつつ、自分たち独自の解釈から素晴らしいアニメーション作品へと昇華させたことは本当に素晴らしかった。
映画を観てすぐに漫画を買って読んで、本家の世界観に触れた。あまりのおもしろさに、誇張抜きにかぶりつくように読んだ。同時に、これまで食わず嫌いをして読んでこなかったことを深く反省した。
作品を好きになると相手も好きになる
『神々の山嶺』で素晴らしいと思った後は、『ブランカ』(1984〜1986年、祥伝社)やその続編である『神の犬』(1995〜1996年、小学館)などの作品を読んでいった。
そんな時に、さとなおさん(株式会社ファンベースカンパニーの会長・佐藤尚之氏)がひっそりと営むバーに遊びに行った時のこと。さとなおさんのバーには一面しっかりとした本棚にびっしりと本が並んでいて、来る人の好奇心を刺激するような空間になっている。
さとなおさんの蔵書を眺めていたら、谷口ジローさんの作品がいくつかあって、思わず「谷口ジローさん、いいですよね」と声にしていた。そうしたら、さとなおさんも「ここで谷口ジローさんの話をするとは思わなかったよ」と言って驚いてくれた。
当時はまだバーを開店する直前に招待してもらったから、谷口ジローさんの作品に反応したのは最初だったかもしれない。けれどさとなおさんはまるでぼくに合うウイスキーをチョイスしてくれるようにように、谷口ジローさんの作品を何冊か見繕ってくれた(ぼくはお酒は飲めないけれど)。
その一冊が『歩くひと』だった。その場でぱらぱらと絵を見せてもらって直感的にこれは絶対にいいと思って、すぐに購入し、週末にじっくり読んだ。
古き良き昭和の、本当になんてことないワンシーンが、とても心地よく描かれていて、ストーリーもごく平凡な日常が淡々と流れるように進んでいく。セリフも必要最低限、というよりも、日常の中で交わされるような、ごく短いやりとりだけが使われる。昭和の匂いや空気がそのまま蘇ってくるような余韻余情のある名作だ。
読み終わった時に本当に素晴らしい作品だったと思うと同時に、この本を勧めてくれたさとなおさんのことが、今まで以上に好きになったし、より信頼感が増した。昔から尊敬するさとなおさんという存在がより鮮明になった。
アイデンティティを「手渡す」ことで生まれるつながり
自分の大好きな作品を印刷された書籍として持つと、どうしても思い入れが生まれるし、ただ大量に刷られた本のうちの一冊ではなく、自分にとって宝物のようなものになる。
そんな大好きな作品を誰かに「手渡す」ということは、自分自身のアイデンティティの一部を渡すという情緒的な行為でもあるように思う。勇気のいる自己開示ともいえる。だからこそ、それをきっかけにその人自身を理解することにもつながるし、その人が大切にしている価値観も垣間見える。このようなつながりを生む営みは、Kindleではできないことだ。
もちろん、書籍のデジタル化は非常に便利なことは自覚しているし、ビジネスをする上ではより効率的にインプットし、より速く参照することは必要不可欠だ。しかし、デジタルになればなるほど、「シェア」はデータの交換のようになり、人間味のある情緒的・文化的な側面が失われつつある。
紙の本が売れなくなって、デジタルへのシフトが進んでいる。それによって売上を伸ばしている出版社も多い。しかし、同時にアナログが持つ良さについても再考の余地は残っていると思う。
日本のコンテンツ産業の振興に必要なこと
現在、日本の漫画やアニメなどのコンテンツは、もはや日本の主力産業といっていいほどの発展を遂げているし、世界的にも求められている。このようなコンテンツ産業のさらなる成長を支援するため、経団連は10月10日に「コンテンツ省」の立ち上げを提言している。
日本のコンテンツを成長させていくためには、アーティストやクリエイターが制作に集中できる体制や待遇の改善、持続的に収入を得る環境を整備していくことは急務だ。そして、「日本を芸術文化大国にする」をミッションに掲げるオシロ社としては、コンテンツ産業の振興にぜひ貢献していきたい。
一方で、谷口ジローさんのように、日本では漫画家としての地位でありながら、海外では芸術家として尊敬を集めているアーティストやクリエイターも多い。自省も含めて、コンテンツ産業の成長は「未来を創っていく」取り組みと同時に、現在や過去のアーティストやクリエイターの再評価も進めていくべきだと考えている。
同時に、日本のコンテンツ産業をより成長させていくためには、なによりもコンテンツを楽しみ、味わうための文化の振興・醸成も不可欠だ。コンテンツのデジタルシフトが進むにつれて、失われる魅力もあるのではないか。デジタル化、AI化が進む今こそ、コンテンツが持つポテンシャルを正しく捉え、新しい活かし方を考えていくこともあえてアナログに立ち返ることも大切なのかもしれない。