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死を考えることは生きるを考えること。かもね。


みなさんこんにちは、澤です。

前回の記事も、とてもたくさんの方に読んでいただいてうれしいです!

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さて、今回は「ボクの死生観」です。

まずはこの記事。

西行さんかっこいいぃぃぃ!!!
無茶苦茶かっこいいぃぃぃ!!!

いや、ほんとかっこいいの一言ですわ。
なんなんこのかっこよさ。

何がかっこいいかって、自分の理想の死に方を持っていて、それを実現しちゃうとこ。
それも、結構晩年までめっちゃがんばってから、理想の死に方まで生きたこと。
本当に憧れます。

こういう「死生観」って、いろいろな場所で話題になりますね。
最近だと「終活」なんてキーワードで語られたりとかして、非常に多くの人が興味を持っていることがうかがえます。

まぁ、そりゃそうですよね、生死って、人間にとって一番大事なことですし。
でもって、死なない人はいない。
一人当たりの人生の割り当ては一回のみで、その条件を拒むことはできない。
(人生二回目以上の人は個別に連絡ください)


「理想の死」を考えるときは、「どう生きるか」もセットで考えないといけないわけですね。
死に方だけ決めておいても、死ぬ時の精神状態がいけてないのは、ちょっと残念な気がします。
西行さんも「東大寺直すからちょっと来てくんない?」って頼まれたのを、「いやいや理想の死に方そろそろするからやめとくわ」ではなく「まぁ、色々自分も責任感じてるし、いっちょ行ったるか」って思って行動するあたり、「死に方」と「生き方」をセットで考えてたんだろうなぁと予想するわけです。

ボク自身は、あまり人生を丁寧に考えていなくて、本当に適当にずっと生きてきました。
ボクは若い頃「自分を大切にする」って言葉が大嫌いでした。
なにしろ自分のことが大嫌いだったので、そんな嫌いなものをなんで大事にしなくちゃいけないねん、と思ってたわけです。

じゃあ人生に絶望して死を選ぶのかというと、積極的に死ぬほどの理由もないので、とりあえず生き続けてました。
ぶっちゃけ、「生まれてきてよかった!」「人生最高!」ってな思考になることは全くなくて、「死ぬことはいつでもできるから、とりあえず生きておこう」と思ってました。
多分、こんな感覚で三十代半ばくらいまで生きていた気がします。

その辺りから、なんか仕事がうまくいき始めたりして。ちょこっと生きるのが楽しくなってきました。
何より、なんとなく周囲からすごく頼られたり認められたりしている実感が得られ始めたので、生きることにポジティブな感情が得られるようになったわけです。

今では、お陰様で本当に楽しいことばっかりやってて、ストレスを感じることがほとんどありません。
人生の満足度は爆上がりです。

ただ、面白いことに、死に対する考え方はあまり変わっていません。
「まぁいつ死んでもいいかな」という感覚には、ほとんど変化が起きないのです。
多分、元々生きていることに執着がなくて、人生を過ごすことは大いなる暇潰しに過ぎないって考えているみたいです。
なので、出世競争とかステータス獲得とかにもあまり興味がないのではないかなと思ってます。

割と最近、ボクとかみさんのそれぞれの父親が、天国へと引っ越しをしました。
とても寂しいことではありますが、これも不可避なことではあります。
そして、二人に共通しているのは「後悔する死を迎えていない」ということです。
二人とも、長患いすることなく、比較的短期間に引っ越し準備を整え、ギリギリまで人生を楽しんでからこの世を後にしました。

かみさんの父親は、看護師の人に病床で「何か今からでもやっておきたいことや、いきたい場所はありますか?」と訊かれた時、「もう何もかもやり尽くしたので満足です」と答えたそうです。

あまりにもかっこよすぎませんか?
後で伝えきいた時、痺れました。
こういう気持ちで死を迎えいれたいなって心から思います。

最近のボクは、欲しいものは遠慮なく買ってしまうようにしています。
少々高くても、生活が破綻しないようなら、買ってしまいます。
昔どこかで見た「買う理由が値段なら買うな、迷う理由が値段なら買え」というポリシーが素敵だなと思い、経済的に余裕の出た今、しっかり実行しています。
トップ画面も、どうしても欲しかったランドクルーザーを購入し、納車日にかみさんとおしゃれして出かけた時の写真です。
この車で夫婦でドライブに出かけるのは、人生最高の時間の一つです。

ボクは幸い、今この瞬間にくたばってもそれほど後悔はしなくてすみそうです。
後悔の種になるようなことはせず、楽しい思い出をどんどん作るために日々生きていきたいなと思います。


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