賞をいただくことのネガティブな側面
これまでありがたいことに、いくつか業界において大きめの賞をいただく機会に恵まれました。本当に光栄なことなのは前置きした上でですが、世の中に「100%良いこと」はなく、一見どんなに良さそうに見えることでも大抵負の面もセットで持っています。「隣の芝は青く見える」という言葉がありますが、その青くない部分を書いてみたいと思います。
もちろん賞を頂いたおかげで訪れた機会、チャンス、お仕事は数多くあり基本的には非っっっ……常にありがたいことなのですが、外部ではなく内面にネガティブな影響が出ることがままあります。
とにかくめちゃくちゃ申し訳ない気持ちに苛まれる
嬉しい反面でやってくるのは申し訳なさ。受賞報告ポストを見ているとしばしば申し訳なさそうに、肩身狭そうにしている人を見かけますが、気持ちは分かります。「なぜ自分なのか」「本当に頂いていいのか、もっとふさわしい人物がいるのでは」「何か勘違いされているのではないか」「取り消されるのでは?」「作品を見てガッカリされないだろうか?」と際限なく疑念が渦巻いて疑心暗鬼&ナーバスに。
特に女性は自信を持ちにくく、インポスター症候群(詐欺師症候群)にかかる人が多いと言われています。何か評価されることがあると「自分は詐欺師で、世間は何か勘違いしているに違いない」「たまたま運がよかっただけで私の力ではない」と罪悪感を感じ、自責的に考えてしまう症状です。
結婚、昇進など一見ポジティブに見えることでも、人生の変化は人にストレスを多大に与えると聞きます(幼少からの夢が叶い沖縄移住&結婚した同僚も適応障害を発症していた)。おそらく「受賞」もその一種なので、嬉しいと同時に自分にストレスがかかっているというのは自覚し、メンタルをケアしてあげた方がいいかもしれません。
(本件に関連して、メルカリ広報のりちゃがとても良いポストをしていた……)
何か世の中に還元しないとヤバいんじゃないかという気がしてくる(し、実際ヤバい)
世の中には陰陽のバランスというものがあり、強い光が当たるとその分闇も濃く発生します(人気絶頂の芸能人の家族が凄惨な亡くなり方をしたり)。
ですが、「なんだか不当なほど自分にいいことが起きているのではないか」と恐怖を感じるときは、世の中に還元することで不安が和らぐため、それに没頭することに。
自分の場合は受賞後の数ヶ月間は独立志望のクリエーター向けのノウハウを書きまくってブログで無償でばらまいたり、ボランタリーで同業者でノウハウを共有しあう会を開いたり、身銭を切ってささやかながら感謝祭を開いたりしていました(もちろん、恐怖だけではなく本当に感謝していたという理由もある)。
でも実際に脚光があたっている間の振る舞いというのはよく見られているので(尊大になっていると周囲が去っていく)、調子がいいときほど謙虚に、利益を独占せず、還元を意識すると安心だと思います。その後大きな不幸が起こりにくい気がする。
そこで満足し、緩やかにオワコン化する危険性
何かしら評価をいただくことで、「何くそ」「今に見てろよ、いつか一発当ててやる」というハングリー精神が薄れやすい面も。次に何か挑戦するまでになかなか腰が上がらなかったり、お墨付きをいただくことで「次に失敗できない」「泥を塗ることはできない」と勝手にプレッシャーを感じることがあります。
あと、ひとつ作品を評価されるとその作品に対して取材&展示依頼が集中するため、その対応に追われて気づけば新しいことを始めるのが後手にまわり、緩やかにオワコン化していくことも。それは停滞の一種なので、何かひとつ作品があたった時こそ「さっさと次いこ」の意識が大事だと実感しています。
(学びにしている小倉ヒラクさんのブログたち)
過去の自分の武器であった「挑戦するメリット」が「失敗を犯すデメリット」に転化し、今の自分の武器である「型をなぞるメリット」とぶつかり合うことになる。このシーソーが「過去を守る」ほうに傾くと、悪い意味で己の「古典芸能化」が始まる(スゴい古典芸能は常に挑戦しているのだが)。
変化や失敗を恐れず、時代に柔軟に適合し、「別に失敗してもええやん」「誰も見てないんだから勝手にやればいいやん」というマインドに切り替えるまでに、自分の場合は割と労力を要しました。
やはりアウトサイダー精神や野良犬マインド、チャレンジャー意識というのは非常に大事なので、何か評価されることがあってもその牙は抜かずに大事に持ち続けることをおすすめします。
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