「消費の個人化」加速。「家計」から「個計」へ【コラム14】
5/20発売の日経ヴェリタスにて、1面から4面にかけての大型特集「孤客をつかめ~超ソロ社会、商機探る企業」が組まれました。末尾に僕のインタビュー記事が掲載されています。この記事は、テレビ東京の「Mプラス11」でも13分に渡り、たっぷり紹介されました。
© 日経ヴェリタス
また、特集記事の一部抜粋版が、5/23の日経電子版にも掲載されています。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30747620R20C18A5K10100/
僕は、4年前からソロ男プロジェクトをスタートし、「消費のソロ化」について声をあげてきましたが、近年になってようやく流通や飲食産業、旅行業や金融などで徐々にソロ需要に対する供給力が追い付いてき始めているという感があります。たとえば、4年前には「ひとり旅」用のプランすら存在しませんでした。
あと20年もたたないうちに、日本の独身者は全人口の半分を占めるに至ります。一人暮らしも全世帯の4割に達します。独身生活者はもはやマジョリティであり、彼らの支持を得られない企業は淘汰されていくかもしれません。
誤解があるのですが、独身=一人暮らしではありません。
実は、未婚者は単身より親元未婚(親と一緒に暮らす未婚者)が増えています。彼らは決して経済的に自立できない貧困層や引きこもり層ばかりではありません。家賃や光熱費などあえて無駄な出費をすることを避けるために、親元でソロ生活を続ける「しっかりソロ」もたくさんいます。
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当然ながら、一人暮らし未婚と親元未婚とでは、趣味領域の出費の多寡が違います。親元未婚では、収入の半分以上を自分の趣味に費やす人もいます。こうした層の消費支出は。現在のような家単位の家計調査では可視化されません。国の統計もソロ社会化に合わせて変えていくべき必要があるでしょう。世帯視聴率が意味をなさなくなったように、世帯単位、家単位の家計調査は役に立たなくなります。
いずれにしても、大量生産・大量消費型の時代は終わりつつあります。100万人が1回だけ買うというマス型の売り方は今後通用しなくなっていきます。これからは、1万人が100回買い続けてくれる仕組みを作る必要があります。1万人のコア層が100回買い続けてくれる仕組みが構築できれば、100回は1000回、1万回になる可能性がありますが、1回しか買わない層は、未来永劫1回しか買わない。1回しか買わないから、継続的な購入を実現するためには、別の新商品を出し続けないといけないという負のスパイラルに陥ります。
人口が右肩上がりに増えていくという前提条件の下では、それでよかったでしょう。しかし、今後は人口減少が不可避です。にも関わらず、増えない人口に頼った商売が通用しないとことは小学生でもわかる計算です。客の数を増やすなんて発想はオワコンです。
モノやコトを売るという発想も時代遅れです。モノ・コトは所詮手段でしかなくて、それを使って得られる自己肯定感や社会的役割の提示なくして、消費者はお金や時間を提供してはくれません。
それが僕の提唱している「エモ消費」です。「エモ消費」というのは精神的充足のために、(主に独身が)刹那の自己肯定感を得るための消費であると以前この記事でも書きました。
https://comemo.io/entries/7261
「刹那の自己肯定感を買うなんて、なんて不幸せな人たちなんでしょう」というコメントもいただきました。でも、所詮すべての幸福感は刹那的なものなんです。冷静に考えれば自明ですが、永続する幸せなんてありえないし、永続的だと考えていることも「永続的であってほしい」という生存バイアスでしかないのです。
マス型の売り方、100万人に1回ずつ買わせるマーケティングをずっと繰り返してきたのも、刹那の連続でしかない。マス広告による大量消費というのが、そもそも刹那的なものなんです。もっというと、人生そのものも刹那の連続でできている。
これは独身だけの話ではありません。結婚して夫婦となった人たちも、共働き比率の増加に伴って、夫婦別財意識が高まりつつあります。一家の家計を専業主婦が取り仕切るという家族の形から、夫婦がそれぞれ自分の稼ぎの中から共同で出費するものと、個人のために出費するものを分ける時代となります。夫婦であっても「消費の個人化」が進みます。
「家計」ではなく、「個計」になっていくのです。
迫りくるソロ社会とは未婚の問題ではなく、我々全員に関係する問題です。結婚しようが子どもを産もうが、誰もがソロに戻る可能性があるということを忘れないでほしいと思います。