世界のEV化は日本経済の死刑宣告に近しく、水素エンジンが蜘蛛の糸である
官民で歩調の揃わない日本のEV
脱炭素の社会に向けて、内燃機関からEVへのシフトが先進国を中心に行われてきている。日本政府もこのような世界の情勢を踏まえて、EVへのシフトを方針として打ち出している。それに対し、日本自動車工業会会長であり、トヨタ自動車の豊田章男社長が「EV一辺倒」に問題提起をしている。
一方、政府は自工会の意向に対してあからさまな不快感を示している。
両社の議論は、完全に平行線をいっている。外野からみていると、世の中の変化に対応しきれない日本の自動車産業がイノベーションのジレンマに陥っているようにもみえるだろう。しかし、EVに関わる事象は、そんなに単純ではない。
他の先進諸国は官民一体でEV化の準備を進めてきた
そもそも論として、完成車メーカーがEVを歓迎しない理由はほとんどない。なぜなら、内燃機関よりもEVの方が歴史が古く、完成車メーカーはできるだけEV化したいという自動車開発の歴史があるためだ。1830年代には電気自動車の原型が作られ、1873年にはイギリスで最初の実用的電気自動車が製作されている。トーマス・エジソンも電気自動車を開発していた。それでは、なぜ電気自動車が普及しなかったかというと、それは単純に蓄電池の問題だった。当時の技術力では、長距離航行できる蓄電池の開発ができなかった。
しかし、蓄電池の問題があるものの、各完成車メーカーは電気自動車の開発を続けてきた。その理由は、エネルギー変換効率の問題だ。内燃機関で発生するエネルギーを機械エネルギーに変換すると、ディーゼルで40%、ガソリンで30%程度しか変換できないと言われている。つまり、半分以上のエネルギーをロスしている。それに対して、電気エネルギーから機械エネルギーへの変換は最も効率が良い。80~90%の変換効率であり、ロスがほとんどない。また、運動エネルギーは電気エネルギーに変換することが可能であるために走行中に蓄電することでエネルギー効率はさらに高まる。このようなエネルギー変換効率の問題から、完成車メーカーは内燃機関よりもEVのほうが輸送機器として好ましいという開発史がある。
それでは、なぜ自工会はEVに後ろ向きなのか。それは提言にまとめられているように、「規制緩和」「インフラ整備・充電器の不足」「雇用の確保」が問題の背景にあるためだ。つまり、政府が動いてこなかったので自動車業界としては動きたくても動けなかった。しかも、方針を出しても、政府は相変わらず変化しようとする気配はない。
規制緩和は、日本国内での電気自動車の実験がやりにくいという問題だ。自動運転にしろ、電気自動車にしろ、日本の法規制は世界的にも厳しく、実証データを集めることが困難だ。仕方がないので、トヨタとホンダは技術開発とベンチャー投資に重点を置いてきた。EV特許の競争力は、トヨタは世界1位で、ホンダは世界3位であり、技術力は世界有数である。
インフラ整備は、単純に充電器の数だ。人口1万人あたりの充電器の数は先進国最下位であり、充電器も首都圏に集中して地方に分散されていない。日本で最も自動車の保有台数が多いのは愛知県だが10平方キロメートルあたりの充電器の数は3~5であり、保有台数の少ない首都圏や大阪よりも少ない。にもかかわらず、昨年度は充電器の数が減少傾向に転じている。
もっと衝撃的なのは、EV最大手のテスラの充電ステーションの数だ。欧米は言わずもがな、中国と韓国、台湾でも足の踏み場がないほどに充電ステーションが充実している一方で、日本には数えるほどしか充電ステーションがない。
雇用の確保は、内燃機関とEVだと自動車という同じ業界ではあるものの、ビジネスモデルが大きく異なるので、既存の自動車関連会社が立ち行かなくなる。例えば、EVにはブレーキパッドが必ずしも必要ではなく、ブレーキパッドが必要だとしても10年間に1回交換するかどうかである。内燃機関の自動車だと3年に1回は交換する。そうすると、単純計算でブレーキメーカーの売り上げは3分の1になり、事業が成り立たなくなる。エンジンオイルがなくなるので、オイルメーカーも大打撃を受ける。
現在、自動車部品関連メーカーは約4千4百社あり、売上高合計は約33兆円だ。このまま無策でEV化すると、産業規模を維持することは困難になる。これらのメーカーの下請け、孫請け企業も存在するため、影響は更なる甚大なものになる。というよりも、資本力のある大企業は変化に対応できるが、日本企業の99%を占める中小企業には変化に対応する資本力がないために下請け、孫請け企業のほうが深刻だ。
メーカーだけではない。EV化によって事業が立ち行かなくなるのは日本全国にある自動車整備工場も同じだ。EVは、いわば巨大なパソコンだ。自動車開発だけではなく、整備やアフターサービスの在り方も大きく異なってくる。しかし、自動車整備工場の多くが機械のエンジニアであって、巨大なパソコンとなったEVのメンテナンスはできない。時代の変化に適応できるのはごくわずかだろう。自動車整備の認証工場は、日本全国に約9万以上あり、約54万人の従業員が働いている。コンビニの数が日本全国で約5万軒であるため、今のコンビニの数の2倍の倒産と失業者がでる恐れがあると想像してもらうとEV化の恐ろしさがわかるだろう。
これらの変化に対応するために、他の主要先進国はどのようなことをしてきたのか。対策は単純である。政府主導で充電器を増やし、税制改革でEVを買うように促して内燃機関は高額所得者の嗜好品とし、市場を緩やかに醸成することで自動車関連企業がEV化に移行する準備期間とトライアンドエラーができるようにした。例えば、電動スクーターの規制を先んじて緩和することで、整備工場のデジタル化を進めることもできた。これらの準備ができたので、満を持して2035年からEVにシフトの宣言をしている。
日本は全国力を持って水素エンジンに注力すべし
正直、あまりに出遅れているために、今からEVで日本企業が競争力を保とうとするのも現実的ではないだろう。政府の成長戦略の軸とされている、車載用電池も数年前から日本メーカーは中韓のメーカーに追いやられている。
そのような中、日系自動車メーカーが活路を見出そうとしているのが水素エンジンだ。水素は燃料として非常に扱いが難しいために敬遠されてきたが、既存の産業構造を大きく変えることなく、脱炭素を達成できるために注目を集めている。そして、世界戦略としてみたときにも、欧米メーカーと差別化ができるために筋が悪くない。
EVの普及には、世界戦略としてみたときに致命的な欠点がある。それは、「高品質で安定した電力供給が可能であること」であり、このことはほぼ「十分な原子力発電が可能な国」と同義である。再生可能エネルギーのみで電力供給をしている国としてアルバニアがあるが、それは人口と面積が岩手県と長野県を足したくらいの大きさしかない国だからできることだ。自動車市場として潜在能力の大きな国は多くの人口を抱えている。インド、インドネシア、ブラジル、ナイジェリアなどでは高品質で安定した電力供給はまだまだ難しい。これらの新興国や途上国向けに新しい脱炭素の輸送機器として、水素エンジンはEVの代替となり得る。しかも、水素の扱いは難しいために、新興国や途上国による技術の模倣が困難だ。
つまり、EVにシフトした世界では、自動車は2つの市場に分割される。「先進国ではEV、新興・途上国ではガソリン車」か、「先進国ではEV、新興・途上国では水素エンジン車」かである。地球環境の観点から見れば、明らかに後者の方が優しい。また、多くの人口を抱えながら、原子力発電ができない国には日本も含まれる。
日本の国際競争力を維持したいのであれば、EVは捨てても良いくらいだ。今、EVに投資をするのは液晶テレビで惨敗を喫した家電業界と同じ轍を踏むことになる。EV化するには、日本の意思決定は遅すぎた。水素エンジン車で、日本が新興国と途上国のリーダーとなれるかどうかが分水嶺だろう。