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米国も日本も格差拡大って言うけど、格差がないことは幸せなのか?


世界は変わった。新型コロナウイルスの危機は格差の拡大や民主主義の動揺といった世界の矛盾をあぶり出した。経済の停滞や人口減、大国の対立。将来のことと高をくくっていた課題も前倒しで現実となってきた。古代ローマの平和と秩序の女神「パクス」が消え、20世紀型の価値観の再構築を問われている。あなたはどんな未来をつくりますか――。


…とのことですが、よくいわれる「コロナ後は世界が変わる」的な論調って個人的には疑問です。変わらないですよ。変わってほしい人達が、自分達の儲けのために言ってるだけです。仕事がテレワークなんかに全部意向することなんて絶対にないし、若者が地方に移住するなんてこともあり得ません(中高年者の移住はあるでしょう)。

コロナごときで世界は変わったりしません。

歴史をひも解いても、疫病の前後で世界は変わっていない。世界が変わるのは、産業構造と経済的要因です。戦争も根本は経済的要因によって発生します。

少なくとも、ここで書かれている先進国における中間層の縮小と所得格差拡大なんて、コロナがあろうとなかろうと、以前からあった流れでしかありません。

近年、アメリカの所得格差が拡大したとか言われます。米国の国民所得で上位1%の富裕層が占める割合は、80年の11%程度だったものが最近では20%超になった、と。同様のことはアメリカほどではないけど、日本でも言われています。

日本の場合は、アメリカのような大富豪一極集中というよりは、高度経済成長期を支えた「中流のボリューム層」が薄くなったという面もあります。団塊の世代が高齢者となり、一気に低所得層へ変換したことも影響しています。

80年代から見たら、アメリカも日本も格差拡大したというのは間違っていません。しかし、もっと俯瞰で見るととどうでしょう?日経の記事では、恣意的なのか、データを1979年以降でしか開示していませんが、1820年からの日米英の長期ジニ係数の推移を見てみましょう。

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近年格差が拡大したといっても、戦前の格差に比べたらまだまだです。日本も戦前まではアメリカとほぼ同等で推移していたことがわかります。成金や財閥があったわけですから。

格差が是正されたのは、皮肉にも1929年の世界恐慌以降です。ちなみに、100年前のスペイン風邪が現代のコロナとよく比較されますが、1918~1920年のパンデミックで経済的に何か世界が変化したかというと何も起きてはいません。

むしろ、サッチャー以前のイギリスの方が「ゆりかごから墓場まで」と言われていたように、手厚い社会保障に基づく格差のない社会を実現していたと言えます(今は崩壊してますが)。

1820年からの200年の周期で見れば、アメリカの格差が拡大したとはいっても、全盛期の3分の2に過ぎません。そういう意味ではまだまだ世界は真の格差社会まで達してはいない。真の格差とはこんなものではないし、真の格差社会だとみんなが不幸になるかというとそうでもなかったようにも思います。

とはいえ、40-50代で大学生の子を持つ親にしてみたら、子どもの授業料がとても高くて払えないという悩みを持つ人も多いでしょう。子育ての格差を実感している人も多いと思います。

国立大学はまだしも、私立大学の授業料の高騰ぶりは、一体どこの経済成長国家だ?と言いたくもなる右肩あがりです。

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何より、親の給料自体は、彼らが30年前、大学生として入学した頃の親の給料より下がっているという逆転現象。私大の場合、理系や医学薬学系になればこれ以上の金額を6年間求められます。

もし地方出身者なら、東京への住居費や仕送り代も合わせれば、額面年収の3分の1を子どものために割かなければならなくなります。一人ならまだしも、複数子がいればさらにかかります。

これは格差拡大というより、中途半端な中流意識の延長による苦しみで、本来私立大学で学べる層というのは特殊で、それが今や私立大に行く学生数の方が多いという状態になってしまっています。

それでも親が払ってくれればまだいいでしょう。子自ら有利子奨学金をもらって通ったとしても、後でくるのは返済地獄。借金返済のためだけに働く毎日になる本末転倒ぶりです。まるで一生苦しむために進学したようなものです。

本日新総裁となった菅さんが、上京して自分でバイトして生活費を稼いだとかいう話が拡散されていますが、71歳の彼の時代と今とでは圧倒的に私立大の学費が違う。学費が5倍以上に膨れたのに、給料はむしろ下がっている。無理ゲーでしかありません。

格差の無い社会、全員が大学に行って学べる平等な社会。大きな政府によってそれが無償保障される国ならともかく、すべてを自己負担で賄うのだとしたら、それは「格差のない社会」ではなく「平等病におかされて自ら格差を作り出す社会」に他ならないと思います。大学など進学しなければ、もっと幸せな人生を遅れたかもしれません。格差がないように見せかけて、実のところ、下手に手を出したら、致命傷になりかねない大火傷をする社会、それが実情ではないですか?

ぶっちゃけ、進学する意味のない大学なんて山ほどあります。でも、みんな大学行くから…となってしまうわけです。

こんな状況で、出産費用ゼロだの、子育て給付金を多少もらえたとしても、子どもを安心して産もうと思えるでしょうか?下手すれば親子共倒れです。

それこそ、前提として格差のない社会だという幻想を皆が信じてしまっているから起きることでもあります。



そして、同じような幻想に惑わされているのが人口減少問題です。

先進国を中心とする人口減少に至っては、何度も言いますが、今に始まったことではありません。随分前から、少なくとも20年前くらいから、各国も国連でさえも推計予見していたことなのに、なぜ「今になって発見された危機! 」みたいにメディアが取り上げるのか、そっちの方が不思議です。

日本の人口は2100年には、今の半分の約6000万人程度になります。日本だけではない。中国だって今の14億人が7億人に半減するかもしれません。西欧の先進諸国も半減まではいかなくてもおしなべて減少します。国の人口が1000万人レベルの北欧の小国がどんなに頑張ったところで、世界の先進国の人口は確実に減ります。

唯一、減らないのはアフリカ諸国だけでしょう。

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しかし、それは当然なんです。人口メカニズムは、国の発展(特に医療と日公衆衛生)と相関して決定づけられる。単純に言えば、医療が発達している国は乳児が死ななくなる。乳児が死ななければ母親はその子を育てることに専念するので新しい子を生まなくなる(生もうとする動機が弱くなる)。結果、出生率はさがり、人口は減少する。そういうメカニズムで動くのです。

「多産多死」→「多産少死」→「少産少死」→「少産多死」へと至るメカニズムについてはこちらの記事に詳しく書いています。

メディアは現在の危機を煽りたがります。人の不安と恐怖を煽りたがります。そうしたメディアにのせられ、日本的全体主義が形作られて、日中戦争から太平洋戦争へと大衆が扇動されていったという愚を思い出してほしいものです。

それについてはこちらに書きました。


メディアは、50年単位で過去最低とか、「未曾有の出来事」とかすぐ言いたがりますが、案外未曾有の出来事なんかなくて、大体過去の歴史に同じようなことは存在していたりします。人類にとってもっとも教訓とすべきは、メディアの話ではありません。少なくとも、歴史上、経済や人口がどう流れてきたのか、その推移は川の流れのように現代につながっているものです。流を見れば、ある程度未来の予測はつきます。人口予測などはその最たるものです。

私たちが今向き合うべきは、正月の餅による窒息死やヒートショック死の死亡者数よりはるかに少ないコロナなんかではない。そんなハリボテのお化けにオタオタするのは一刻も早くやめにして、長い目での歴史の流れを感じながら、不可避なものは不可避であると認識し(少子高齢化や人口減少など)、それらの障壁をどう乗り越えていくのか、もしくは、乗り越えるのではなくそもそも避けるのか、という考えにシフトしていくことです。

全員が結果として平等の社会なんてあるわけがないのです。平等であることより、それぞれが無理せず、それぞれの安心と幸せを感じることの方がよっぽど大事なことです。

疫病などまた100年もすれば何かしらやってきます。しかし、我々の日常はこれからも毎日続いていくものです。朝起きて、仕事に行って、ご飯を食べて、酒を飲んで、笑って、泣いて、楽しむ日々が続くのです。何も変わらない、人間の営みが続くのです。

たいしたことのない路傍のコロコロ石なんかいつまでも怖がっている場合ではないのです。そんなものは蹴飛ばしてしまいましょう。

何かを変えたがっている人は、現状に不満があるのでしょう。不幸なのでしょう。でもね、あなたが不幸だからって、他の皆も平等に不幸にしようなんて姿勢は下の下だ。「皆揃って貧乏になりましょう」とかわけのわからない事を言い出す人もいるけど、自分がそうしたいならお一人でどうぞ。誰かを巻き添えにしないでくれ。


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。