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コロナ禍でガクチカがない学生に採用担当はどうすべきか?

コロナで従来通りの学生生活を送れなくなった

2020年、世界中に広まったコロナ禍によって、私たちの生活は激変した。そして、その変化した生活も3年目を迎えようとしている。不自由な生活にうんざりしながらも、なんとなく慣れてきたという人も多いと思われる。しかし、学生にとっては「不自由な生活を強いられた3年」というシンプルな問題ではない。社会人にとっての3年と学生にとっての3年の重みは大いに異なる。
今年、4年生になる学生はコロナ禍の影響を最も強く受けた世代でもある。学生生活の標準的なモデルは、1年生で多様な情報に触れて学生生活の方向性を見つけ、2年生で打ち込む活動を決め、3年生で活動の成果を出し、4年生で卒業後の進路を見つけ出すというものだ。
今年の4年生は従来通りの1年生の生活を送り、自分の方向性を見つけ出し、2年生で本格的に活動に打ち込もうと意気込んだところでストップがかかった。海外留学を志していた学生は海外渡航を断念しなくてはならなかった。飲食・観光系のアルバイトも働き口が次々となくなった。サークルや部活動の多くも休止に追い込まれた。研究や勉学も同級生とのコミュニティ形成や指導教員との関係性構築で不慣れなオンライン環境でどうにかしなくてはならなくなった。これから学生生活で目いっぱい力を入れようというときに梯子を外された形だ。
その結果として、「ガクチカ」がない状態で就職活動に臨まなくてはならない学生があふれた。ガクチカ難民という言葉も出ている。

ガクチカのない学生に企業は配慮すべきか?

「ガクチカ」とは、新卒採用のエントリーシートや面接試験で定番となっている質問「学生時代に力を入れたことは何ですか?」という質問の略称だ。学生時代の活動から、仕事に対する姿勢や考え方、本人の興味関心を知ることができ、入社後の活躍のイメージを掴みやすいとして、新卒採用の場面では伝統的に重要視されている。
このような状況に、企業側も学生に同情して配慮をすべきではないかという声も聞こえる。
それでは、このような学生に対して企業側が特別なことをすべきだろうか。調査をしたわけではないので確かなことは言えないが、おそらくは今年度の多くの企業にとって、だからといって特別な配慮をしていることは稀だろう。たしかに学生には同情の念を禁じ得ないが、それと企業の採用活動は別問題だ。

ガクチカが優れている人を採用するのが新卒採用じゃない

採用活動の基本は、自社の求める人材と最も適合した応募者を見出し、入社してもらうことだ。求める人材に対して、オーバースペックでもいけないし、スペック不足でも行けない。そして、優秀だと判断されても、志向性や価値観が適合しないことも望ましくない。
応募者が適合しているかどうかを判断するのは、基本的に3つの基準を用いる。1つ目は、企業文化との適合だ。会社全体の風土や重視している価値観、事業戦略として向かおうとしている方向性と合った人材かどうかだ。総合商社なのに海外志向のない学生を採用してはならないといった話だ。2つ目は、職務との適合だ。入社後に任された仕事を遂行するだけの能力や資質があるかどうかを判断する。新卒採用では、直近の仕事というよりも、会社に入ってから伸びそうだなどのポテンシャルを感じられるかで判断されることも多い。また、近年では、急速なデジタル化によってSNS活用などのニーズが高まり、新規学卒者にSNSの素養と実績を求める企業も増えている。3つ目は、職場との適合だ。会社の方向性と合致し、ポテンシャルを認められた応募者であっても、配属直後に一緒に働く社員と相性の悪い人材は好ましくない。そのため、選考では既存社員と気持ちよく協業できそうかが判断基準の1つとなる。
これら3つの基準を判断するのに、ガクチカは1つの判断材料以上の意味を持たない。もしガクチカで判断したいと考える応募者の興味関心の所在や実績について知りたいと思うのであれば、インターンシップや半日のプロジェクト型試験などの面接以外の手法を用いることで代替できる。どちらの手法もオフラインでもオンラインでも実施可能だ。例えば、「カーボンニュートラルをPRするための動画を応募者4名が協力して作成してください。制限時間は4時間です。成果物ができたらプレゼンテーションをお願いします。プレゼンテーション後に面接官と個別面談をします。」といった課題はオフラインでもオンラインでも可能だ。
ガクチカは新卒採用の選抜で広く普及した質問だ。しかし、だからといって絶対的でもなければ、必ずしも必要というわけではない。要は、学生の資質が企業の求める人材と合致しているのかを判断できれば良い。

コロナ禍だからガクチカができないは本当か?

コロナ禍によって、学生にとって従来よりも厳しい学生生活を送ることになったことは間違いない。それによって不調をきたしたり、思い描いていた通りの学生生活を送れずに意気消沈した学生もいる。実際に、大学で教壇に立っていて、そのような学生とも会って来た。それには同情する。
一方で、キャリア論を教える立場で言うと、だからといって生じた不自由がキャリアで決定的な不利になるかというとそうとも言えない。キャリアの節目をデザインするという「キャリア・トランジション理論」の基本は、「キャリアは計画した通りには進まない。不確実性は無数にある。」ということだ。長い社会人人生で、予想だにしていない理不尽や不合理なことは無数にある。
スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授は「計画された偶発性理論(Planned Happenstance)」にて、キャリアは偶発的で不確実な要素から受ける影響が大きく、このような不確実性に対して柔軟であることが望ましいと述べている。コロナ禍は間違いなく、偶発的で不確実な要素だ。しかし、思うようにいかなかった現実に絶望や固執してしまうのではなく、切り替えていく柔軟性を持つことができたかは大きい。
例えば、教え子の中には米国留学を志して、1年生ながら米国NASAのプログラムに応募し、夏休みに渡米していた学生がいる。彼はNASAでの短期留学をもとに「宇宙建築学」を学びたいと交換留学プログラムでの年単位での留学を目指していたがコロナで断念することになった。夢を断念せざる得ないかった彼の当初の絶望は大きなものだった。傍から見ていても不憫に思えるくらい不安定だった。しかし、彼は持ち前の行動力を活かして、地方活性化のプロジェクトを企画・運営する学生団体を立ち上げ、コロナ禍で苦しむ観光地の支援を仲間たちと行う。その活動の中で、テイクアウト専門の韓国料理店の経営や学生プログラマー団体の組織化など、起業家精神を養っている。現在は、学生の夢を応援するプラットフォームを創り出し、そのプラットフォームに参加することで、学生がやりたいことを実行するための支援や仲間探しができるようになっている。そこから、学習機会の少ない過疎地での学習塾経営や空き家対策のリノベーションなど、さまざまなプロジェクトが生まれている。

企業や大学も、コロナ禍で思うように生活ができなくなった学生のために様々な支援をしている。お菓子つくりのECサイトで上場企業の「Cotta」は、物流センターのアルバイトとして100名弱の学生を雇用している。交通の便の悪い物流センターへの送り迎えのために、送迎バスで大学のキャンパスまで学生の送り迎えをし、試験機関には労働負荷を減らすなどの配慮をしている。大分市内のシェアオフィス Oita Midtown は、コロナ禍で元気のない飲食店や観光施設のPRと学生の支援として、学生が観光PR動画を制作して公開するYoutubeチャンネル「Oita Midtown Channel」を設立している。

オンラインでのインターンシップやビジネスプランコンテストも増えた。これによって、それまで首都圏ではないと参加できなかった活動に地方の学生でも参加できるなどのメリットも生まれた。

学生にとっても、ガクチカの機会がなくなったわけではなく、これまでの形式がなくなっただけで形を変えて多くの機会が生まれている。ガクチカは作ろうと思えば、だれでも作れるのだ。重要なことは、予期していない理不尽な事態に巻き込まれたとき、どれだけ柔軟に対応し、プランBを見つけることができるかだ。大学も企業も、数多くの機会を提供してくれている。
ビジネスの不確実性が高まる現代において、逆境を活かして新たな機会を掴む能力の重要性が増している。学生にとっては、コロナ禍で逆境を活かす能力を鍛える場にもなった面があると言えるだろう。


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