外からの刺激がきっかけで出会える「天職」
天職。
と聞いてどのようなイメージを持つでしょうか?パッと思いつくのは「自分にぴったり合う仕事」という感じかなと。
普段の生活の中で「天職」について意識する機会はあまりないのですが、今回、日本経済新聞とnoteの共同の連続企画として「#天職だと感じた瞬間」というお題で記事募集していたので、「天職」について考えてみたいと思います。
天職ってなに?
「天職」についてインターネットで調べてみると
とあります。私たちが一般的に使う「天職」は2つ目の「自分の生まれつきの性質に合った職業。」を意味することが多いでしょう。自分の性質に合った職業に関わることが出来たら、「天職に出会った」ということになるんでしょうね。
自分の生まれつきの性質
天職に出会うには、生まれつきの特性や性質、すなわち自分の「資質」が何かを把握することが求められるわけです。
上記の通り、資質は先天的な特性を示しているので、その先天的な特性に合った職業が「天職」になるわけです。
自分の天職ってなんだろう
では、私自身の資質はなんで、その結果私の天職がなにであるかを考えたいと思います。
私は現在、PeatixでCMOとしてPeatixのマーケティング全般を統括しています。Peatixをより多くの人に知っていただく、使っていただくためにPeatixとお客様とのコミュニケーションの設計を担当しています。また、様々なコミュニティ醸成に関わり、イベントなどでの登壇の機会も多くいただいています。
私は「人とのコミュニケーションが好き」「前向き」という生まれつき持っている性質があります。そのように考えるとコミュニケーション設計に関わる今の仕事は天職と言えるのかも知れません。
「天職」の定義に対する違和感
ただ、「天職」に関して定義などを調べていくと”生まれつきの性質”という部分に違和感を感じるのです。
例えば私の場合、先に書いた通り現在の仕事は天職の定義に当てはまると言えば当てはまります。ただ、現在の仕事に至ったのには紆余曲折がありました。
現在では多い時に1年に100件以上のイベントに登壇したりファシリテーションをしています。しかしそのような活動をするようになったのは5年ほど前からでした。Peatixは創業から11年以上経っていますので半分以上の期間は、イベントなどでも表に出ることはなく、イベントの現場に出る場合も撮影などを担当していました。そんな私が年に100回以上イベントで登壇するなど想像だにしてませんでした。
元々人とのコミュニケーションが好きで、ファシリテーションに必要なコミュニケーションの組み立てに関しても興味関心があったのに、目の前にあった自分の特性を活かせる仕事に触手が動いていなかったのです。
本来であれば、特性を認識しており天職が目の前にあり、手を挙げられる状況であればチャレンジするように思います。特に私は元々新しいことなどにチャレンジすることに躊躇しないタイプです。それでも6年間以上、目の前の天職に気付かなかったのです。
ここに天職の概念に対する違和感を覚えるのです。
外部から授かる天職
自分の特性にぴったりと合う、まさに授かりものとも言える天職ですが、自分の特性をベースに見つけるのではなく、外部要因や様々なアクションを取っている間に見つかるケースが多いのではないかと思うのです。
こちらの記事は、元々天職だと思っていた仕事から異動となった鏑木さんが、不満を持ちながら仕事をしていくうちに、自分がチャレンジしたいことに必要なスキルを身につけ、結果として自分がやりたいことにチャレンジできたと仰っています。
「天職」は定義でいうと自分の生まれながらの特性に合った仕事ということになるわけですが、このように外的要因によって得られた経験をベースに出会うのも「天職」と考えても良いと思うのです。
私の場合は、5年前に偶然参加した地域のコミュニティ活動のイベントで、コミュニティ活動の魅力に強く惹かれ、自分自身でコミュニティ運営をしようと思ったところから現在の仕事のスタートを切ります。コミュニティ運営をする中で、イベントを開催し、ファシリテーションをするようになっていったのです。動いていく中で、自分が元々持っていた特性が活かせることに気付いていくわけですが、最初のきっかけは、他の人が開催したイベントへの参加だったのです。
まとめ
自分自身の特性や周りに天職となる仕事があるかを強く意識していなくても、外部からの刺激、依頼、指示などをきっかけに新たな気づきを得て、そこから自分に合う仕事と出会うことがあるのです。
周りで起こる出来事、依頼ごとを前向きに極力受けることで「天職」と出会える。そのように思うのです。