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死と生について思う

 2022年は、「著名人」と呼ばれる人がたくさん、亡くなった。毎年そうなのかもしれないが、2022年は多くの「著名人」が亡くなったな、という印象がある。

 日経新聞で2022年に亡くなった著名人の特集がされていた。

 これだけ多くの方が亡くなった。そしてここに掲載されていない「芸能人」の方で、2022年に亡くなった方も多く知っている。ただそれは著名人に限らない。僕の知らない方でも知っている方でも、多くの方が亡くなった。

 僕の親父は、今年6月17日に91歳で亡くなった。父方の叔母は8月に亡くなった。母方の叔父は11月に亡くなった。個人的には、身近な人との別れをこれだけ経験したことは初めてだった。

 親父は3月くらいから入退院を繰り返していた。しかしまだ、すぐ亡くなる、という感じではなかった。調子を落として入院、元気になって退院、ということではあったが、入院するとスッキリと回復して元気になっていた。

 僕は、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(武蔵野EMC)の学部長として、カリキュラムの一環として学部の全一年生が入寮している小平学生寮に、通常は僕も住んでいる。5月、6月は親父の入退院や、家での生活をサポートすることもあり、小平寮と二世帯で住んでいる実家(そして病院)がある大森を行ったり来たりしていた。

 親父はとても無口だった。親父とはそんなに仲がいいわけではなかったが、悪いわけでもなかった。ただ親父も年老いて、僕もいい年の大人になると、同じ敷地内で住んでいても、顔を合わせることもあまりないので、そんなに話をすることもなかった。

 ただ入退院や、生活のサポートとなると高齢の母や姉、僕の妻が献身的に介護していたとしても、力が必要なことがある。だから意識的に父のサポートをするようになった。結果として、小学生くらいまでの頃を除けば、一生で一番、親父と触れる時間となった。

 親父は老い先短いから、という意識はほぼなかった。体を支える腕力や、運転手として必要だからとサポートしていた。親父は、普段あまり接触しない僕がたくさんサポートする姿を見て、自分はもうすぐ死ぬのか、と心配し、僕に「俺はもうすぐ死ぬのか」と聞いてきた。僕は「いんや、そら年はとってるけど、治ればまた退院できるよ」と普通に答えていた。
 
 しかし結局、それから10日経たないうちに、親父はどんどん状態が悪化し、6月17日に亡くなった。いよいよ悪化してきた、これは長くないかもしれない、と覚悟したのは15日頃だ。16日夕方に妻が見舞いに行った時には、もう意識がなかったとのことだったので、僕も一人でその直後に行った。

 親父は意識を取り戻した。そして僕の腕を掴み、「ありがとな」と言った。そしてしばらく時間を過ごした後、「もう大丈夫」という感じで手で合図した。僕は帰ることにした。そうしたら、ベッドで親父は手を振っていた。今、その時の写真を見ると、本当にぐっとくるものがある。親父は最後の力を振り絞って僕にメッセージを伝えてくれた。

 その夜、皆で再び病院に行った。親父は意識を取り戻さなかった。そして翌朝、眠るように息を引き取った。僕はその時、大学の授業に来ていたからその瞬間は一緒にいなかったのだが、亡くなっているのがわからないくらい、すーっと息を引き取ったとのことだ。だから、前日のやりとりは、親父の最期のコミュニケーションだった。この時のことは、僕が死ぬまで鮮明に記憶に残るだろう。

 半年が経って、親父の部屋の片付けをしている。親父のメモや、大事にしていたものを見るにつけ、親父との思い出が蘇ってくる。親父の部屋には、まだ親父が生きているかのような感覚がある。

 人の死は悲しい。しかし、親父や叔母や叔父の死を経て、そして著名人の方の多くの死を経て、死とはなんだろうと、本当に今年は多くのことを考えた。もちろん答えはない。ただ、「死んだら全てが消える」という感覚ではない何かが、自分の中に生まれている。

 そもそも、生きている、ということはどういうことなのだろうか。生きているのが素晴らしくて、死ぬのは最悪なことなのだろうか。例えば、僕は写真に写っている。動画にも写っている。それは僕である。僕は本を書いている。この本は、僕である。僕はnoteを書く。これは僕である。僕の記事で話している僕は、僕である。

 もちろん、そういう「作品」だけではない。僕が誰かと親しくなり、その誰かに話したこと、その誰かが感じている「僕」は僕である。誰かの記憶に残っているのはまごうことなき僕である。それは、肉体としての僕は死んでいても、何かしらで残っている。

 10年ほど会ってない友人がいた。その友人の記憶は鮮明に僕の中にあった。ただ10年会っておらず、この先もいつ会うかわからない。そう思っていたら、実は亡くなっていることを知った。生きていると思えば「いつか会える」と思っていたが、亡くなっていたから、もう会えない。しかし、僕の中にあるその方の記憶は、何も変わらない。僕の中の彼は、会おうが会わまいが、その記憶である。

 人の記憶に残るかどうかで言えば、死のうが生きようが、その人の記憶には残り続ける。一方で、自分自身は、死ぬともう、そこから先は意思を持って起きて、飯を食い、人と話し、仕事をし、寝るということがない。それは悲しい。そういう明日がやってこないとしたら、僕もとても悲しい。

 しかし人は必ず死ぬ。起きて生活して寝る人生を永遠に送り続けるわけにもいかない。それに、永遠にそれをやり続けたいとも思わない。そう考えると、死ぬことは悲しいと言い切れるものではない。

 そうすると、人間の平均寿命まで健康で暮らせればいいのか。しかし平均寿命というのは、他の人と比較しての話でもあるから、自分としてはいつまで生きていれば人生を全うできたとするのか。それは自分で決めるしかない。決められないが、決めるしかない。そして、決めたらそれで納得できるものでもない。

 そう、思考をしていくと、死について悟ることはできないことがわかる。これは人それぞれかもしれないが、僕は少なくとも、「こうと決められるものではない」ということだな、との認識だ。残るのは、こういうことだ。

 人は必ず死ぬ。
 そしていつ死ぬかは誰にもわからない。明日生きられるかわからない。
 その人の生や死がどういう意味を持つかは、誰にも(自分にも)決められない。

 とすると、死ぬ瞬間に「やりきった」と思えるかどうかが唯一のポイントなのだろう。もちろんその瞬間にそう感じる余裕があるかどうかはわからないが。

 だからみんな言うのか。僕もそう、意識はしているけれど、やっぱりこういうことなんだ。
 今この瞬間を精一杯生きる。
ということ。死は○○である、生きるは○○である、わからないから、これしかないのだ。

 

 

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