見出し画像

今こそ、都会にも自然を取り戻そう それが都市が生き残る唯一の道

観測史上最速で梅雨が明け、日本全国が猛烈な暑さに包まれている。外出するのも危険を伴う中、涼しげな記事が目を引いた。

軽井沢の自然を活かした体験や、個性を活かした教育環境が子供の教育に関心を持つ子育て世代を惹きつけており、軽井沢への移住を促進しているという。

軽井沢は私も何度も訪れたことがあるが、冷涼な気候だけでなく、質の高いレストランやカフェ、ホームセンターやショッピングモールなどのインフラも整っており、別荘族だけでなく移住先としても人気である。

そんな軽井沢に移住するというのは素敵な決断であるが、そこに至るには様々な議論や葛藤もあっただろう。移住を決断した人には心からエールを送りたい。

その一方で、移住したくてもできない事情を抱えている人もたくさんだろう。自分や家族の仕事、子供の学校や教育、地域との関わりなど、単にテレワークになったからと言って簡単には移住できない場合もあり、こうした記事を目にすることで羨望と焦りを感じる人も少なからずいるのではないだろうか。

標高による気温の違いはいかんともしがたいところはあるが、都会では自然体験をあきらめざるを得ない、という状況をそろそろ逆転させないと、大多数の人にとって、いつまでたっても求める生活の質(QOL)を実現できない社会になってしまうのではないか。そのような危惧も感じている。

自然の中でしか得られないものがある

自然に触れることは、単に個人の癒しというだけでなく、これからの日本の経済力やイノベーションを支えていくための重要な要素である。特に発想を転換し、本質的な解決策を導く上で、アートが重要な役割を果たすことが議論されているが、アートと自然は不可分の関係にある。

自然の中にいると、森の匂い、木々の葉に透ける太陽のきらめき、落ち葉の上を歩いた時の感触など、人間の感覚を刺激する様々な体験が得られる。

山に暮れる夕日、朝露の落ちる清々しい空気なども、単純な言葉では言い表せない感興をもたらす。

こうした体験は、アートにおいて不可欠と言っても良い要素である。例えば音楽家が曲作りをしていくとき、「ここは朝霧の並木の中を一人ゆっくりと歩いていくイメージ」など、自然をなぞらえて解釈することがある。そうすることで、曲の様々な部分のキャラクターを際立たせ、作曲家と演奏者のイメージレベルでのコミュニケーション、また演奏家と聴衆との間のコミュニケーションを成り立たせる。

また、最先端のデジタルアートにおいても、自然との関係はほとんど主要なテーマの一つと言っても良い。デジタルアートで世界的に活躍するチームラボの作品は、その多くが自然や古(いにしえ)の日本の田舎の体験を想起させ、再現し、拡張するようなものだ。

これらも、何らかの形で自然を味わう原体験が無ければ、制作することも、味わうことも難しくなるだろう。

養老孟司氏は、森の中には膨大な多様性があることを示唆している。森に住む虫の数だけでも数えきれないくらいあるようだ。一方で、都会ではコンクリートとガラス、アスファルトの割合が多く、物質的にも比較的単純化されている。

自然の中はエントロピーが大きい、と言い換えても良いかもしれないが、自然の中での体験は、単純な解を求める傾向に対して、異なる見方を提供することにもなるだろう。

芸術家と都市の密接な関係

こうした感性を特に大事にする必要のある芸術家も、大都市に住んでいる人が多い。素晴らしい音楽家の中にも、東京に住んでいる人は多く、首都圏各地のホールやリハーサル室を移動して回ったり、人によっては新幹線や飛行機で西に東に飛び回っている人もいる。

瑞々しい感性をもつ音楽家が、自然から遠く離れた都会に住んでいるのも意外な気もするが、それは聴衆(経済学的に言えば消費者、顧客)が都会に多いので致し方ない。特に美術と違い、音楽は生演奏に大きな価値があるため、顧客との近接性は避けては通れない。

とはいえ、世界的に見ればヨーヨー・マは緑豊かなボストンを拠点としていると言われているし、世界最高峰のオーケストラがあるベルリンも、運河や緑で潤いに満ちた都市である。自然環境へのアプローチを重視する音楽家、特に世界レベルの演奏家であれば、東京以外の都市に拠点を移すという選択も出てくるだろう。

顧客との近接性という観点から、都市に住むことが音楽家の宿命だとしても、もう少しできることもあるのではないか。都市に住む芸術家の中には定期的に自然に近いところを訪れ、感覚を取り戻す人もいる。こうした負担を強いずに快適に過ごせる環境を作らなければ、世界の中で芸術の中心地になることは難しいかもしれない。

自然の復興こそ、イノベーション都市の礎

世界的にGX(グリーントランスフォーメーション)の議論が高まっている。温室効果ガスの排出をトータルで増やさないようにする「ネットゼロ」や、むしろ植林等でマイナスにする「カーボンネガティブ」(マイクロソフトが提唱)など、重要な概念が提案され、取り組まれている。

しかし、都市も地方だけにCO2の吸収を押し付けて良い訳ではない。過密によるヒートアイランドは更なるエネルギーの消費とCO2排出をもたらす。都市が排出するCO2は都市で吸収するくらいのつもりで対策を取ることは、「都市の社会的責任」と言っても良い。

しかも、前述のように都市の中で自然を復興させることは、人々の感性を豊かにし、芸術家にとってより良い環境を提供し、ひいては創造性やイノベーションにも良い影響を与える。

都市を離れるという選択が可能であることが明らかになった一方で、それができない人もいる。また、皆が分散して住むことは、芸術へのアクセスなどを考えると良いことばかりではない。

歴史的な猛暑の中ではあるが、都市の社会的責任として、都市における自然の復興を考えてみてはいかがだろうか。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?