ライツ2.0 〜AIによって「ライツ」意識はどう変わるか?
こんばんは、若宮です。
nvidiaがβ版を公開している、GauGANというweb appを試してみました。
SUGEEEEEEEE!
「ペイント」で書いたような落書きが、まるで本物の風景写真のようになって出てきます。
「いたちごっこ」の勝利?
GauGANの面白いのは、これがなにか実在の写真をコラージュしてつくられているわけではなく、「本物っぽい」写真をゼロから生成していることです。
GAN(generative adversarial networks):敵対的生成ネットワークという技術が使われているのですが、GANとは「敵対的」という言葉が示すように、ざっくりいうといわば「いたちごっこ」の技術です。
どういうことかというと、画像を「作るAI」と「見破るAI」を敵対させるんですね。「作るAI」は頑張って本物っぽい画像をせっせと作ります。それを「見破るAI」が見破ろうとします。振り込め詐欺グループが警察との「いたちごっこ」によって続々に洗練された詐欺シナリオを生み出すように、作るAIはこのいたちごっこを経て、”めっちゃ本物っぽい画像”を生成できるようになっていくのです。
著作権は認められるか?
この技術で僕が注目したいのは「っぽい」ということと「生成」ということです。なぜならここから「作者性」と「独創性」という(美学的な)論点が出てくるからです。
はたしてGauGANでつくられた画像に「著作権」は認められるのでしょうか?あるいは認められるとした場合、それは誰の著作物なのでしょうか?
wikipediaで「著作権」について調べると、
日本の現行著作権法では具体的に「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著作権法第2条第1項第1号)と定めており[32]、ここでいう、「創作的」については、既存の著作物との差異(表現者の個性)が表れていればよく、新規性や独創性は求められず、区別できる程度であればよいとされる。また、表現されている必要があり、文字・言語・形象・音響などによって表現されることで著作物となる。
とあります。「思想又は感情」とありますので、(少なくともAIが思想や感情をもつまでは)その権利が認められるとすれば「人間に対して」でしょう。
では、GauGAN上で描いた僕の「ラクガキ」のような絵は「創作的に表現」と言えるでしょうか?
INPUTした絵はこんな感じ。(30秒くらいで書きました)
そこから「生成」されるOUTPUTは、
構図としては、作者(僕)の表現にならっていますが、芸術的なクオリアとしてはもうまったくレベルが違うものになっています。
果たして僕はこの画像を「僕の著作物」と主張することができるのでしょうか?
この議論には、美学的な問題として「作者」という概念が見え隠れします。そして「作者」には多くの場合、「創作のための技工や手間」が帰せられます。
「いや、これってほとんどAIが頑張ってるじゃん。こんなちゃちゃっとやっちゃって作者って言える?」とあなたは言うかもしれません。
ですが、本来アートにおいても、必ずしも「作者本人」の「技工」や「手間」は必須ではありません。ウォーホルの「ファクトリー」や村上隆の「カイカイキキ」のように「アート・ワーカー」と協働してつくる作品もあるからです。
そういった尖った事例でなくとも、どんなアーティストであれ今やテクノロジーに全く頼らないことはできないでしょうし、他の人との協働関係はまったくない、ということはないでしょう。
そう思えば、僕はやはりAIと協働してこの作品をつくった「作者」であり、この作品は「僕の著作物」なのでしょうか。その時、「作者」の条件とはなんでしょうか?
「っぽい」?
さらに、GauGANでは「アートっぽい」フィルターっぽいもの(厳密には絵に「フィルター」をかけているわけではなく、それを元に都度「っぽく」生成しているわけですが)を選ぶと、アートっぽい作品まで生み出すことができます。
どうでしょうか?「っぽい」ですよね。
さて、「っぽい」ものに関していうと、著作権的にもう一つ議論しておくべきポイントがあります。それは「独創性」、あるいは「パクリ」の問題です。
これらの作品はとても、ある有名なアーティスト「っぽい」感じがあります。そしてもちろん、その「っぽさ」は僕が自ら修練して獲得した表現ではありません。
たとえば僕が、誰か特定のアーティストの特定のイメージを参照し、それをそのままに表現使えばそれは「パクリ」となるでしょう。しかしAIではそういった対象の特定性は極めて薄いのです。数万枚の「教師データ」を食わせてそこから学習し出てくるものは、「パクリ」とは呼び難いでしょう。(それを言えば、人間のアーティストも他のアーティストの表現に学んでいます)
そしてさらに、GANの場合「パクリ」から遠いのです。GANは「教師データ」を組み合わせているのではなく「いたちごっこ」により、いわばどんどん自助努力で「っぽい」ものをつくれるようになっていくからです。
この、「っぽい」けれどもパクリとはいえない作品たち、ここに著作性は認められるでしょうか?先程のwikipediaの引用を再度引きます。
「創作的」については、既存の著作物との差異(表現者の個性)が表れていればよく、新規性や独創性は求められず、区別できる程度であればよいとされる。
AI時代の「ライツ」とは?
風景写真や絵画的イメージだけでなく、GANを用いれば、存在しないけど「っぽい」人物やキャラクターも生成できてしまいます。
このようなことが可能になっていく時代において、「著作権」や「肖像権」などのライツは果たしてどうなっていくのでしょうか?
日本やEUでは、インターネットでの著作権侵害に対し規制を強める著作権法改正の動きもあります。意図的に誰かの権利を侵害することはもちろん論外なわけですが、無知や認識の甘さによって著作権を侵害してしまうというのはSNSを使っている人であれば誰しもが一度はやっている行為です。おそらく万引き以上にポピュラーな軽犯罪でしょう。
とくにSNSネイティブ世代ではライツの認識はどんどん希薄になっていますから、これをなんとか取り締まろうというのもわかります。しかし、AIによって、そもそも「著作権」を主張できるのかわからないような画像や音楽、さらには小説までがつくられようとしている時代においては、「ライツ」に対する考え方は変わっていかざるをえないのではないしょうか。
税金が重くなるとタックスヘイブンに金持ちが逃げていくように、規制を強めれば強めるほど、小難しい配慮をしないといけない「著作物」より、「ライツフリー」でほぼ製作コストがゼロに近いAI創作物に頼る割合があがることになるでしょう。そうすると誰も、(人間の)クリエイターの写真や音源を使わなくなり、彼らの収入源を奪ってしまうかもしれません。
かつて、リッピング技術が出てきた時、DRMやCCCDによってその権利と収入を守ろうとしたことがありました。しかし、CCCDは制約が多いせいで広まりづらくあまり奏功しませんでした。そしてそうしているうちに、音楽業界は「所有」という概念は希薄になり、ストリーミング中心のパラダイムに変わりました。従来の業界人にとって望ましくない変化かもしれませんが、そういいながら死んでしまうわけには行かないので、パラダイムの変化に合わせてビジネスモデルをアップデートする必要があります。
「権利」というのはアプリオリに存在するものではなく、人が定めるものなので、時代とともに増えたり、減ったり、変わったりします。AI技術の浸透によって、近代的な「ライツ」は、大きくその前提を揺らがされることになるでしょう。
来るべき「ライツ2.0」はどのようなものになるのでしょうか。