アート思考的「違和感さがし」のすゝめ
お疲れさまです。メタバースクリエイターズ若宮です。
今日はちょっと「違和感さがし」というのをおすすめしていたいと思います。
アート思考の授業で「違和感さがし」という宿題を出しています
僕はいま、長野県立大学の大学院で客員准教授を拝命していて、アート思考の授業を持っています。
授業では、既存の価値観に囚われずに自分起点のイノベーションを生むためのマインドセットとして、アートや芸術家の創作について考察しながら、レクチャーだけではなくワークショップやアートの鑑賞、フィールドワークなどで体感しつつ学んでいいただいています。
授業はだいたい座学とワークが半々くらいですが、毎週、宿題も出しています。
アート思考は一度やり方を学べばOKというものではなく、実践し体幹をつくっていくことが大事なので、教室の中だけでなく日常生活でも継続的に実践するための宿題なのですが、毎年出している宿題の一つに「違和感探し」という課題があります。
内容はごくかんたんで、1週間に日常で違和感を感じたシーンを見つけ、スマホで写真に撮っておく、というもの。で、翌週の授業でそれについて簡単にプレゼンテーションしてもらいます。しかし簡単なお題ながら、日常の中で「違和感」を探す、というのはやってみるとなかなか難しいようで、いかに普段世界をよく観察していないかに気づくきっかけになります。
世界をちがう視点からみる
芸術家は、日常の中にも普通の人が気づかない美しさや生の葛藤を見出し、作品として見える化する才能があります。オスカーワイルドはこう言っています。
僕たちはつい、目の前の世界を当たり前のもの、ありふれたものとして見過ごしてしまいます。毎日開け閉めしている家のドアや通学路の風景でさえ、改めて聞かれるとほとんど覚えていないものです。
しかし、見る角度をほんの少し変えるだけでも世界は違って見えてきます。「リフレーミング」と呼んだりしますが、ありふれたものをいつもと異なる視点から見ることで、新しい発想が生まれます。人は一度定着した考え方に依存しやすいので、そうした思考の経路依存を脱し、視点を変える柔軟性を持つことが重要で、新たなものの見方をするためにはある程度訓練する必要があります。
(デイリーポータルZの名企画・『斜にかまえる、かまえないを1分ごとに切り替えるとどうなるか』がめちゃくちゃ面白いのでぜひ読んでみてください。
1分間斜に構え、次の1分はかまえない。それだけで消しゴムのようなごくありふれたものでも意外な観点が出てきます。時々このワークをアイスブレイクでやることもありますがとても盛り上がります)
感性をみがき、自分なりの視点を得る訓練
「違和感さがし」の宿題をすると、自分がいつもどれだけ物事を見過ごしていたか、世界を「当たり前」と一面的に捉えていたか、ということに気づきます。
普段見過ごしていたありふれた風景に潜む「違和感」を見つけようという訓練をしばらく続けていると、徐々に感性が磨かれていきます。一回だけだとまたすぐ元に戻ってしまいますが、何か月か続けてみると、世界の見え方が変わってくるので「違和感さがし」をしばらくやってみることをおすすめします。
また、「違和感さがし」の宿題で出てくるシーンは多種多様です。今年の学生からも、飛行機雲や廃棄される食品、ドンキホーテ、駅の改札、ドア、レストランのおもちゃ、などなど、それぞれが全くちがう観点から違和感をみつけ共有してくれました。(こうしたそれぞれ異なる視点はお互いに触発になるので何人かでやってみるのもおすすめです)
「違和感さがし」は、一般的な善いこと・悪いこととは異なり、それぞれの視点からとらえたものなので、独自の視点が浮かび上がるのが面白いです。ほかの人は気にも留めないようなことが自分にとってはすごく違和感だったり、逆に他の人の視点はまったく自分がなかったことにびっくりしたり。
そして違和感を感じたシーンを見つけたら、その背後にある理由を掘り下げてみることをお勧めします。なぜそこに違和感を感じたのか?と深掘ることで、自分がなにを当たり前と考えていたのか、社会システム上常識と思われていることに対する疑問などに気づくことができます。
「違和感」を起点に思考を深めることで、自分と他者や社会の仕組みとのズレに気づき、自分らしさを見直すきっかけにもなるのです。
違和感起点のアクションと社会彫刻
違和感を見つけたら、それをそのままにせず、さらにその違和感を起点とした問いやアクションを起こせると最高です。
といっても、大きなこととか特別なことではなくても構いません。
例えば僕は、ここ数年ジェンダーに関することで取材や登壇を依頼されることがとても増えたのですが、それは数年前に一本の記事を書き、想像以上の反響をいただいたのがきっかけです。
起業してしばらく経ち、当時徐々に色々なイベントに呼ばれるようになっていたのですが、そこで感じていた「イベントの登壇者が男性ばかり」という「違和感」がそもそもの起点でした。
といってもすぐアクションを起こしたわけではなく、しばらくは違和感をただ感じてはいても特に何もしていませんでした。「女性比率もっと上がっていかないといけないよね」と結局はやや他人事にしか捉えられていなかったのかもしれません。
しかしある時、自分が無自覚に登壇を依頼されて引き受けることで、女性の登壇枠をひとつ奪っているわけで、問題をまさに再生産している当事者じゃん!と気づいて、「男性ばかりのイベントには登壇しない」というマイルールをつくって宣言したわけです。
それ自体は小さなことですが、それでも色々な変化が起こりました。まず、僕自身多くのジェンダーやダイバーシティに関するイベントに呼んでいただくようになり、課題の解像度があがりましたし、ダイバーシティ系のイベントでは逆に女性が多く男性がそもそもあまり来ない、という問題にも気づきました。
お誘いいただいてもこれこれこういう理由で、とお断りしたことも何度かありますし、自分ではなくて知人のこの方はどうですか、とご紹介することも少なくありません。また一度お断りした時、主催者の方から企画から見直していただいて「ジェンダーバランスクリアしました!」と言っていただけたこともたくさんあります。
それからだいぶ後でお会いした男性の方から「実はあの宣言を読んでからだいぶジェンダーバランスに気を付けるようになりました」というように言っていただけることも結構あり、これもとてもうれしいです。
小さなことでも違和感を見過ごさずに行動することで、社会に少しずつ影響を与えることができるのです。
イノベーションには、必ずしもテクノロジーの発明が必要なわけではありません。日常に潜む小さな「違和感」を見過ごさないことで、社会を少しずつ変えていくこともできます。そういう意味で、小さな違和感はイノベーションの種でもあります。
現代アーティスト・ヨーゼフ・ボイスは「社会彫刻」という概念を提唱しました。
日常の慌ただしさと膨大な情報量の中で、つい経路依存のロジックや誰かの意見に流されがちな現代、まずはちょっとした違和感をみつけることからはじめてみましょう。
それはもしかしたら、自分らしさを見つけ、自分の人生や社会を変える社会彫刻の種になるものかもしれません。宝探しのように「違和感さがし」を楽しんでみませんか。