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高学歴低賃金の日本でAI人材が育つか

土曜日の昼下がり、都心から少し離れ、さほど混んでいないカフェでこれを書いているのだけれど、隣には父娘が座っている。子供は宿題だろうか、問題集と思しきものに鉛筆で書いては消しゴムで消したりしながら、時折父親に質問をする。父親は分厚い本を読みながら、子供に声をかけられるとそれに応じて解き方を教えているようだ。

カフェでそのようなことをすることの是非はともかくとして(自分もまた、同罪なのだが)、こういう光景って、日本では見かけない気がするな、と思っていた。

日本は、平均的な教育レベルは高いものの、教育に関して決して積極的な国とはいえないようだ。OECDのまとめたリポートから抜粋すると、

日本の国内総生産(GDP)に占める教育支出の割合は、OECD 平均を下回る。OECD 加盟国では平均して GDP の 5%が初等から高等教育段階の教育機関に充てられるが、日本の場合、その割合は 4.1%である。初等・ 中等教育段階では特に低く、OECD 平均 3.5%に対し、日本は 2.7%である。
日本はまた、他の OECD 加盟国に比べ、一般政府総支出に占める教育支出の割合も小さい。OECD 加盟国平均8%に対し日本では、公財政支出総額の 6.3%が初等・中等及び高等教育以外の中等後教育に費やされる。OECD 平均との差は高等教育において更に顕著で、その割合は公財政支出の 1.7%であり、 これは OECD 加盟国平均 3%の半分をやや超える程度である。
OECD 加盟国の 3 分の 2 と同様、日本でも、初等及び中等教育段階での教育支出の 90%以上が公財政支出によるものである。一方で高等教育段階では、私費負担に著しく依存している。同段階の支出の68 %が私的に賄われており、これは OECD 平均 30%の 2 倍を超える。私費負担の 4 分の 3 以上が家計による直接負担である。

とある。なぜそうなるのか。

学歴差は就業機会の多寡と結びつくが、日本の場合、学歴レベルと就業機会の結びつきはそれほど顕著ではない。25~64 歳人口について、後期中等教育修了者よりも高等教育修了者の方が雇用されやすい 傾向はみられるにせよ、就業率の差は 5%に過ぎず、この差は OECD 加盟国平均の半分である。
日本では、高等教育修了者の多くが学歴に見合わない仕事に就いている。2012 年時点で、少なくとも 1 つの学士号を持つ成人のうち、後期中等教育修了資格で十分な仕事に従事する者の割合は 29%に上る。 有する学歴以下の仕事に従事する高等教育修了者の割合は、全 OECD 加盟国中、日本が最も高く、 OECD 平均 13%の 2 倍以上である。

これはつまり、勉強したところで、あるいは親からすれば教育を受けさせたところで、それに応じたリターンがない、ということを示しているのではないだろうか。また、日本特有の「平等意識」が、高等教育に税金を使うことを良しとしない風潮を生んでいるのかもしれない。

「学歴社会」や「受験競争」などを、よくないもの、忌避すべきものとしてきた日本だが、ある意味ではその目指した通り、何の意味もないものとなった、ということかもしれない。

この記事で気になった、というよりは、仰天したという方が正しいのは、

英人材サービス大手ヘイズの18年転職時給与調査によると、日本のデータサイエンティストの最高額年収は1200万円。中国の100万元(約1646万円)、シンガポールの18万シンガポールドル(約1470万円)より低い。

とあったこと。

平均額の間違いではないのか、と思うし、この調査がどの程度信頼に値するものなのかはわからないが、最も旬な職種といってもよいデータサイエンティストの年収が最高1,200万円では、それを目指そうとは思わないのではないか。

そして、そういう人材が(少なくても報酬の面で)評価されないなら、そのような「スターとなる人材」をめざすより、そこそこの教育レベルで、そこそこの仕事をこなしていた方がラク、という状況の結果として、上に紹介したOECDのリポートのような状況が生まれているのではないだろうか。

そういう根本的な状況をそのままに、AI人材の育成を目指したとしたところで、教員の不足もさることながら、そのような「人材」となることを目指す動機付けに薄く、教員が足りたとしても、学ぼうとする人が足りない、ということにならないだろうか。

このブログの考察によると、45歳以上をリストラする東証一部上場企業が続出している理由は下記の通りだ。

人手不足によって低賃金労働力の獲得ができなくなってきているために、身内の高賃金労働力を整理することで成長の原資を確保しようとしているためだと思います。
大企業が利益を維持できているのは、低賃金の労働力を確保できていたためで、これが確保できない、もしくはできなくなる状況では利益水準がぐっと下がり、ようやく身内、特に給与が単純に高い45歳から上を狙い撃ちにした、という理屈です。

この考察が正しいとするなら、現経営陣は目先の数字を追っているだけで、長期的には何の解決にもならないどころか、むしろ長期的に見れば組織を毀損する方策を取っている、と言ってもいいのかもしれない。

開国をした明治の時代、日本は欧米列強に追いつくために「お雇い外国人」を迎え入れ、当時としてはかなりの高給で遇したようだ。その例にならうなら、AI教育の人材も、ちゃんとした給料を払って外国人かどうかを問わず優秀な人材を教員側に迎えなければいけないし、またそこで学んだ人にも国際的に見て相応の報酬を用意しなければ仕組みが回らない。

大企業の経営陣がリスクをとって、人材(人件費と教育費)に投資をし、またそういう人材が活躍できる組織に作り変えて、そのリスクに応じたリターンを目指さない限り、政府戦略も「笛吹けど踊らず」という結果になるのではないだろうかと懸念するのだが、ではどうやって経営陣がリスクをとるようになれるのだろうかと思うと、考え込んでしまう。

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