妻よりお給料が少ない僕は、恥ずかしい夫だろうか
妻が、管理職に昇進した。
これは、私たち夫婦にとって、とても嬉しいことだった。娘が生まれて以来、夫婦で試行錯誤しながら、喧嘩と議論を繰り返しながら、どうにか家事育児と仕事を両立してきた。正社員とはいえ、同僚たちより遥かに早く業務を終えなければならない妻は、悩んでいた。どうすれば、より短い時間で価値発揮できるか、ずっと考えていたのだ。娘を寝かしつけた後に、お互いに仕事の相談をするのが日課になっていた。
そんなわけなので、別に昇進が目的ではないのだけれど、その仕事ぶりが会社から評価されたというのは、私たち夫婦にとって感動もひとしおだったのである。お給料もあがるしな!
この我が家の一大慶事を、テンション高めに友人に話した。うちの奥さん、すごくない?と。しかし、予想だにしないリアクションが返ってきた。「そうなんだ……(可哀想なものを見る目)」
友人は、僕がNPOで働いていることを知っている。かたや、大手企業勤めの妻が管理職になったとなると、それは、給料を抜かされたということでは?それでは、夫として立つ瀬がなかろう……、というわけだった。(※)
※ : 念の為、弊会の給与は、大企業並みではないにせよ、子育てを加味した生活をするのに、なんら不便はないレベルである。
え、これって、夫して恥ずかしいことだったの……!? 僕は「自分は甲斐性なしです(ニッコリ)」と笑顔でアピールしていた間抜けなのか!?
ホクホクしていた心に冷や水をかけられた気分で、とぼとぼ帰宅。でも、家族で一緒に過ごしていたら、そんな気持ちは吹き飛んだ。これからの新しい挑戦について楽しそうに話をする妻と、そんな妻の隣で、「おかあさんといっしょ」の定番ダンス「からだダンダン」をエキサイトしながら踊る娘。この二人をみていて、そんなわけはない、と確信する。夫して、誇ることこそあれ、恥ずかしいことなんて、1mmだってないのだと。
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そもそも、なぜ、夫が妻より稼ぎが少ないと「恥ずかしい」のか。それは、「男は稼いでなんぼ」という旧石器時代の価値観が、未だにこの社会を覆い尽くしているからだ。内閣府の調査によれば「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」と考えている男性は、未だに約40%もいるし、女性ですら、約30%に達する。実際、恋愛市場においては、男たちは未だに年収によってフィルタリングされてしまうのが現実だ。
でも、夫なら、「稼いでなんぼ」より「家族を幸せにしてなんぼ」ではないのか。手段と目的を間違えてはいかんと思う。
それに、実はこの価値観は、経済的にも損をしている。内閣府の「国民生活白書」では、それまで正社員だった妻が産後にキャリアを継続できた場合、そうでなかったケースに比べて、2億円の差が出ると試算されている。
確かに僕は、大企業に勤める友人と比べたらお給料は低いかもしれない。しかし、夫婦合算なら勝てる場合もあるわけで、それはうちの家族にとって、なんの問題もないことになる。
また、これは「安定した生活が送れる」というだけではない。夫婦どちらかが起業や学び直しなど、一定期間、収入がなくなるような挑戦をする場合でも、例え失敗しても、生活が破綻するリスクはグッと小さくなる。人生100年時代、中長期的に考えて、次の飛躍をする土台作りにもなるのだ。
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それでも、理屈はどうあれ「それでも、男は稼いでなんぼ」と思う人もいるだろう。でも、それはなぜだろうか。
最近、大河ドラマ「青天を衝け」が大人気だ。主人公の渋沢栄一は日本史上屈指の金持ちだし、稼ぎまくった。でも、渋沢栄一は、稼ぎまくったから大河ドラマの主人公になったわけじゃないし、時を超えて、多くの人の心を打っているわけでもない。それはひとえに、渋沢が、みんなが幸せになるには、どういう社会であるべきか考え、そして、実際に行動し、そのように社会を変えたからじゃなかろうか。
思えば、古今東西、どこを見渡しても「稼いでる」という理由だけで尊敬される人はいない。カッコいいのは、断然、困っている人に寄り添い、助けられる人である。そのために、身を挺して、社会を変えられる人である。
では、令和の今、私たちに必要なことは何か。それは数あるにせよ、まずひとつ間違いのは、男女格差を撃滅することだ。僕は、自身が "弱者"となったことで、この重要性を、文字通り肌で感じた(詳細は、ぜひ下記のnoteをご参照ください)。これは個人、家族の幸せに直結するばかりか、日本社会の発展にも必要不可欠だ。
とすると、旧来の価値観からいっても、例え妻よりお給料が低かろうが、妻の昇進に寄与する夫の「内助の功」は、カッコいいのではないか。この時代、夫の「内助の功」は、家族を幸せにするばかりか、家計的にも合理的で、芯食った社会変革のアクションそのものなのである。
🪟
「ガラスの天井」という言葉ある。資質や実績があっても、女性やマイノリティーを一定の職位以上には昇進させようとしない社会の見えない壁のことだ。
多くの人が、この「ガラスの天井」にぶち当たり、どうにか突破しようと努力するも、失敗し、諦め、涙を飲んできた。
でも、思うのだ。そんな時に、男たちは何をしているのかと。そうやって涙を飲んでいるのは、パートナーたる妻なのかもしれないのに。「男らしさ」という謎の規範に縛られて、愛する人が悩んでいるのに手を差し伸べられないなんて、それこそ男らしくない、と思うのは僕だけだろうか。
「ガラスの天井」は、独りで挑まないといけないものじゃない。夫婦で手を携えて、かち割ったっていいのだ。今回の妻の快挙は、そんな分厚いガラスに間違いなく小さな穴を開けたと思う。誰がなんといおうと、僕はそんな妻を誇らしく思うし、微力とはいえ、それをサポートできた自分自身も誇らしい。
あえていおう、僕は、決してイケてなくはない、と!
この令和の時代に、男たちがとるべきアクションとその理由について、実体験とエビデンス、専門家の意見をもとに、まとめてみました!