五感が伝送でき、コピーとしてのアバターがつくられる時代。人間の本質とはなんだろうか
こんにちは、電脳コラムニストの村上です。今回は最近よく聞くワード「メタバース」に関連した話です。
メタバースは「仮想空間」と訳されるように、サイバー空間上につくられた世界です。そこでは現実のように人々が交流したり、一緒に仕事をしたりできると言われています。いわゆるVR(バーチャルリアリティ)端末は2016年に相次いで発売されました。一部の熱狂的な愛好家に普及しましたが、利用のハードルの高さなどの理由により一般層までは届きませんでした。ここ最近ではVR端末の軽量化と高機能化、またPCやインターネットの性能が向上したことなどを背景に、Meta(旧フェイスブック)をはじめとする大手企業が続々と参入してきました。いよいよ一部のエンターテイメント用途を越えて、ビジネスツールとしての活用が見えてきました。
さらには、身体の拡張とも言える技術や、触覚を伝送・再現する技術なども登場しています。長らく視覚と聴覚のみに頼っていたコンピューティングの世界に、残りの三感が入ろうとしています。(実現の順番的には、触覚→嗅覚→味覚という感じでしょうか)
「もう一人の私」というコンセプトをみて、若干の懐かしさを感じた方もいるのではないでしょうか。ちょうど20年ほど前に、インターネットでのエージェント技術が盛んに議論されていた時代がありました。W3Cの「セマンティックWeb」標準化の話と共に、Web上のデータの意味理解とその処理の自動化をするための技術でした。まさに自分の分身となるクローラーがインターネット上から情報を自動で集めてくる、個人用に作られたGoogleとも言えるでしょう。当時は実現が難しかったものですが、今の時代であればできるかもしれませんね。
さて、本当にこれらの技術が実現したとしましょう。すると、自分ではない自分が商談を進めているという不思議なことが起こります。当初は意思決定まではしないでしょうが、例えば定価で売れるのであればアバターが意思決定してもいいというルールにしたら? 本当に売上をあげてくるときがくるかもしれませんね。その場合、リアルな自分の存在価値が毀損されると感じるのか、元ネタが自分なのだから拡張されたと感じるのか。おそらく人によって捉え方は相当な幅があると思いますし、企業としての判断も分かれるでしょう。
このような世界が間近に迫っているいま、改めて「何が人を人たらしめるのか」という本質について思考を巡らせる必要があります。特にサイバー空間では(現代科学全般に言えることですが)、定量的に計測できるものをベースにすべてが組み立てられています。例えば、クリック率、ページビュー等々によりランク付けがされ、よりリアクションが起きるように最適化されていくようなことです。これは結果を一部を数値化して捉えているだけであり、なぜクリックしたのかといった行動の背景については考慮されていません(もちろん仮説はたくさんあるでしょう)。3Dの世界を2Dに投影しているようなものです。
メタバースも同じ方法によりつくられています。そこで表現される人間の意思や自由をどう扱うのか。このような本質を考える上で思い出すのは、哲学者スピノザの『エチカ』です。
アリストテレス以来、ものごとの本質はエイドス(形)であるとされてきました。これを解体してコナトゥス(力)こそが本質ではないかと説いたのが、スピノザです。リアル世界の中にある「空気を読む」「背景を探る」といったことはサイバー空間にもあるにはあるのですが、その構造上「形」が強くなります。
仮想空間がリアル性を帯びるほどに、倫理や人文学的な専門家も関わる必要性を感じています。ITを専門とする私への自戒も込めて、継続的に意識していこうと思います。
余談:なんと、岩波書店から『スピノザ全集』が9月ごろに刊行されるそうです。たのしみですね!
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タイトル画像提供:metamorworks / PIXTA(ピクスタ)