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Google Pixel 6で見えてきた、カメラと写真の未来(コミュニケーターとしての写真)

今日の記事はPixel 6という、Googleが10月末に発売した新しいスマートフォンにまつわる話です。ただ、発売して半月が経った今、たくさんのレビューがすでに世に出ており、いまさら屋上屋を架す意味はほとんどありません。ですので、今日の記事では、Pixel 6を半月間、ほぼ肌身離さず使う中で徐々に形作られきたある予測についてお話ししたいなと思います。その予測とは、Pixel 6を通して見えてくるカメラと写真の未来です。具体的には「写真は今後コミュニケーターとなっていくだろう」という予測です。

(註:長めの記事ですので、本論だけという方は、下の目次から「(4)記録とアートの先へ: コミュニケーターとしての写真」へ飛んでください。)

(1)写真の本質:「記録か、アートか」

写真はその出自のタイミングから、「記録かアートか」という二項対立で語られる宿命を背負ってきました。そこに含意されているのは、写真というメディアが極めて現実再現性の強い記録を可能にする媒体であったという事情です。感光した像が現実そのものの姿形として、ネガに、プリントに、そして今ではデジタルに定着される。その「現実の記録」の機能ゆえに、長らく、世界の事実と真実を担うメディアとして、写真は独特の立ち位置を築いてきました。

その一方、写真はまたアート、特に絵画との類縁性を、その出自のところですでに帯びています。今のカメラのルーツであるカメラオブスクラ、その原理は春秋戦国時代の墨子の記載からもわかるとおり相当古代から知られていましたが、この原理を使って、15世紀頃には西洋画家たちが風景の描写にこのカメラオブスクラを利用していました。

一方、製作と応用については順調な発展があった。カメラ・オブスクラが絵を描くための装置として芸術家の間で活用されるようになったのは15世紀頃である。レオナルド・ダ・ヴィンチは写生に利用し[14]、科学研究などを書き残したアトランティコ手稿の中でカメラ・オブスクラを描いており、また理論的な側面にも省察を加えたが、これは1797年まで公開されず、図解第一号の栄誉をゲンマ・フリシウスに譲る結果となった[14]。ゲンマ・フリシウスは1545年にアントウェルペンで『宇宙の電波と幾何学的作用』を出版し、この中でイブン・ハイサムの記述をもとに図解した。(上記記事より引用)

このように、カメラは画家たちの補助器具として、その歴史の原点の部分ですでに「アート」との親和性が強かったのです。そして19世紀に今のカメラの直接の祖先であるダゲレオタイプが1839年にダゲールによって発表され、一気に今の写真の世界が切り開かれるのですが、そこからわずか50年にも満たぬ間に、カメラの世界には「ピクトリアリズム」という潮流が生まれます。単なる記録としての写真ではなく、写真をアートとして独立させようとしたこの一派は、今の感覚に直すと「レタッチがっつり入った写真」といえます。彼らが目指した写真とは、

・空気遠近法を意識し、実際に肉眼に見えるように、近景にコントラストのはっきりしたものを置き、遠景を曖昧にする。
・地平線の位置などを厳密に合わせたうえで、表現のために風景写真に雲などを合成する。
・過剰な細部を省略して、表現したいモティーフや感情を表そうとする。
(上記記事より引用)

この三つの項目だけでも、「事実」を記録する写真というよりは、人間重視の世界観、そのためには合成も厭わない、モティーフや感情を事実そのものよりも優先するという、今なら「映え写真」と言われそうな特徴を持っていたことがわかります。

長々と書いてきましたが、写真とはこのように「記録かアートか」という問いを、その歴史の中でずっと繰り返してきました。現在SNSなどで、過剰にレタッチした写真が批判されたり、逆に「撮って出し写真だって、各社の画像エンジンが解釈してレタッチし終えた写真で、ストレートな写真なんて存在しない」というような議論がなされたりしますが、実はそうした議論の全ての原型は、すでにもう何十年、あるいは100年以上も繰り返されてきた議論なんです。突き詰めると、その問いはたった一言、「写真は記録なのか、アートなのか」となるんですね。そしてその答えはもう出てるように思います。

どっちでもいい。

100年やって明快な方向性が出ないんですから、これはもう、そう言うしかない。メディアの中に、その両方の可能性が存在している以上、どちらかが正しいとか間違っているとか問うのはナンセンスです。写真を撮る各々が、自らの立ち位置を選んで使えばいいのでしょう。

ただ、こうした問いが、今改めて形を変えてSNSで俎上に載せられている気がするのは、この問い自体がカメラと写真にまつわる、ある「地殻変動」を指し示しているのではないかというのが、今日話したいことに繋がってきます。そしてその地殻変動を引き起こしたのが、SNSとスマートフォン(のカメラ)なんです。まずはSNSに関してお話ししたいと思います。

(2)SNSと写真

もう何度も何度もこの話を僕はいろんな形で書いています。この記事をご参照いただければ、SNSにおけるカメラと写真の趨勢について、僕が考えることがまとまっています。

一言でいうと、写真も含めたあらゆる表現は、SNSにおいてコモディティになるということです。SNSは全ての情報を白日の元に晒すツールなので、これまで10年かかって循環していた情報が、たった1日で回るような状況を現出します。これまで資本主義下において技術やプロダクトという形あるもので進んできた「コモディティ化」が、情報や表現にまで押し寄せてきます。あらゆるアウトプットは、「誰が作っても(撮っても)、その差がわからないほどに高品質になる(ので、誰に頼んでも良いし、安い方に流れる)」と言う状況を迎え、技術と特異性は一瞬で飽和します。

この傾向は5Gが進んでいくに連れて、さらに強まるでしょう。情報が回れば回るほど、高品質なモノ、高品質な情報、高品質な表現が溢れかえります。そのことはもう10年以上前に、瀧本哲史さんがグローバル資本主義の宿命として指摘していたことですが、まさにその高精度の未来予測がそのまま現実になったのが今です。モノのコモディティ化、情報と表現のコモディティ化、そして最後には「人間のコモディティ化」へと突き進みつつ社会は、ある意味では究極のユートピアであり、究極のディストピアです。碇ゲンドウがこの世界の全ての悲しみを消すために、人類全体の融和を画策したのが「人類補完計画」でしたが、エヴァを必要とせず、ロンギヌスの槍もカシウスの槍もないままに、我々人類は今や、コモディティという形で自らの差を消失させ、補完計画を遂行している途中だと考えることもできるでしょう。人類補完計画が救済でもあり破滅でもあったように、この「コモディティ化」という現象が、ある意味では高品質が溢れかえる天国でもあり、物も人も簡単に置換可能な地獄でもあり得ます。

話がだいぶずれましたが、そう、SNSにおいて、写真はもはや記録でもアートでもあり得ないほどコモディティ化しつつあるということです。誰が撮ったかわからない写真が、あたかも事実であるように流通し、逆に事実と見紛うばかりのフェイク写真が、事実と誤解されて流通する。

上のような騒動はまだしも微笑ましいですが、

通天閣を反ワクチンのためにフェイクを埋め込んで使われた事例は、極めて悪質です。これら全てが、写真という「事実記録性が高い」という我々の思い込みを逆手に取った事象であり、もっと見逃せないのはSNSがなければここまで大ごとにはならなかったということです。写真の事実記録性と、後もう一つ「デジタル以降のお手軽さ」とが、SNSという場を与えられることで、写真そのものが担ってきた「記録かアートか」という二項対立そのものが崩壊し始めていることを、これらの事件は伝えています。

(3)スマートフォンと写真

そして写真とカメラの地殻変動を引き起こすもう一つのファクターは、スマートフォンです。正確には、スマートフォンに搭載されるカメラです。iPhoneが高性能のカメラを売りにし始めて以降、全てのスマートフォンがその販売の目玉として宣伝に最も力を入れる項目がカメラです。通信端末としての本質からは逸脱しているように思えるこの状況は、実際には本質からは全くずれていないんです。それが今日最もお伝えしたい部分。つまり、スマートフォンのカメラは、もはや「写真を撮るためだけに使われるのではない」ということです。それどころか、スマートフォンが担うコミュニケーションとしての機能の、いわば「入口と出口」を、カメラと写真が担いつつある、それほどまでにカメラとスマートフォンというのは、その根幹の部分で結びついている。

例えば最新のスマートフォンであるGoogle Pixel 6を見てみましょう。例えばGoogleレンズという機能を使えば、驚くほどたくさんのことができます。

目の前にある「現実」を理解し、それがどのような情報を包含しているのか、人間の目の代理として、世界を解釈するためのツールとして、カメラが機能します。例えばカメラに何か花が写っていたら、その花が何か教えてくれます。駅が写っていたらルートを示してくれます。テキストが写っていたら、OCRも顔負けの精度でその画像から文字を起こしてくれます。それが異国語だったら、ちゃんと母国語に直してくれます。かつては「QRコードを読む」程度のことしかできなかったのに、今やスマホのカメラは、目の代理であり、脳の出先機関であり、我々が世界をより詳細に把握するための、強力なコンパニオンなんです。そしてそれを司るのがカメラであり、その技術の結晶と華やかな出力が、スマートフォンの写真なんです。

僕は数年前からGoogleさんとお仕事をしているのですが、今回ももちろん端末をお預かりして、その機能を徹底的に使い込む機会を与えていただきました。Twitterに連続して載せていった、Google Pixel 6 Proで撮った写真とその機能を、ここからいくつかみてもらいましょう。

1. 望遠ズーム

2. 天体撮影モード

3.モーションモード(長秒露光効果)

4.モーションモード(アクションパン)

5.消しゴムマジック

どうだったでしょう。Pixel 3から導入されてきた「コンピューテーショナルフォトグラフィー」が、このPixel 6によって、まずは第一段階の頂点に来たかなという気がします。その核心には、GoogleがPixel 6用に設計した新チップTensorがあります。これまでソフトウェア中心に革新を起こしてきたGoogleのPixelシリーズですが、ついに物理部分にも手を入れてきました。これは大きな転換だと言えます。結果、既存のカメラでできることの大半を、スマートフォンで完結できるようになったのです

(4)記録とアートの先へ: コミュニケーターとしての写真

すでに申し上げたように、カメラに蓄積されてきた知見が、「目の代理」「脳の出先機関」として、世界を解釈する役割を担い始めたスマートフォンが、その最も華やかで艶やかなプレゼンテーションの場が、いわば写真です。スマートフォンの写真は、その華やかな機能の背後に、恐るべき多量の情報と機能を抱え込み、人間の「伝達欲求」を形にします。それはこれまで分業されてきたことでした。人間が自分の目で見て、自分の脳で取捨選択し、カメラという単純な機械で向き合い、写真という事実記録性の高いメディアを使ってさまざまなアウトプットを試みてきた。その全てを、スマートフォンが担うようになりました。

つまり、写真はもはや、SNSとスマートフォンによって、「記録か、アートか」という領域に止まらないほどの、根源的な人間の欲求を任されるようになったのです。それが何か。最初に書いた結論ですね、「コミュニケーション」です。

世界を見て、世界を解釈し、凄まじい精度で天の川を映し出し、これまでカメラで必死に撮ってきた飛行機の流し撮りや、本当なら三脚に乗せて何十秒もシャッターを開けなければならなかった長秒露光の写真を、指先一本で撮れるようになったスマホ。それらを撮って僕らは何をするんでしょう?それを誰かに見せるんです。どこで?SNSで

「こんなのを見た!」
「これを見て!」
「こんな風だったら面白いよね!」
「こういう風に撮りたい!」

あらゆるレベルの「世界をこんな風に見た」「世界をこんな風に見たい」「世界をこんな風に作り替えたい」という僕らの表現欲求は、それを人に発信することで初めて意味を生み出します。もちろん、SNSに投稿しないような写真もこれまで同様に存在することは確かですし、フィルムカメラやデジタルカメラの写真も、もちろん残っていきます。でもそれらがこれまで担ってきた領域の全てを包含しつつ、カメラと写真を「目の代理」「脳の出先機関」として作り上げ、コミュニケーションツールとしてスマートフォンは今後のカメラと写真の趨勢を決定づけていくことでしょう。

その全ての始まりを、僕は今回、Pixel 6 Proの中に感じることができたんです。そしてそう感じるのは、僕だけではないんだなあというのが、日経の記事を読んで思いました。

文章の末尾に、こういう風に書かれてました。引用します。

Pixel 6シリーズはグーグルが培ってきたクラウドのチカラをスマートフォンに落とし込んだデバイスだ。まさにオンデバイスAIの可能性を広げてくれる次世代スマートフォンの先駆けと言えそうだ。(上記記事より引用)

今回のPixel 6は、久しぶりに「次世代」という表現がふさわしいスマートフォンでした。ここから先に、再び写真もカメラも変わっていくのでしょう。そしてかつて「記録か、アートか」と問われた写真は、「記録か、アートか、コミュニケーションツールか」と問われる時代が来るのかもしれません。

そして、その先に何があるのか。かなりの確度で予想しうる未来として、メタバースとの合流が考えられます。コミュニケーターとしてカメラと写真を変容しつつあるスマートフォンは、おそらく、世界自体を行き来するための「トランスポーター」へと変容していく。その時もやはり、カメラと写真は大きな役割を担うようになるはずです。

それについてはいずれまた。

(5)番外編&ミニPixel展示(冒頭の写真について)

2年前にPixel 4で撮影した、タイのチェンマイで開催されるランタン祭りの写真です。実は縦長写真を横にぶった切ってます。元はこれ。

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他にもPixelで撮ったえぐい写真、載せときますね。全部Pixel!!

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別所隆弘
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