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ユーロ、「第二の基軸通貨」という見果てぬ夢

欧州復興基金が補強する基軸通貨性
為替市場ではドル全面安が続いています。7月に入り発生したドル安は10年ぶりの幅を伴うものだったと言われています:

こうした中、ユーロは対ドルで3月の安値から+12%近くも値を上げました。もちろん、円も対ドルで騰勢を強めたが、年初来高値(101.18円)の更新には至りませんでした。この動きを欧州における復興基金合意と絡めて解説する向きは多いようです。ユーロの上昇は5月末から始まっていたので7月下旬に合意した復興基金の件だけで説明できるとは思えませんが、確かに今回の合意がユーロ買いの背中を押した可能性はあるでしょう。これは単純に「EUの結束が示された」とか、「感染拡大第二波到来への備えができた」とかと言ったようなざっくりとした理由からではありません。ユーロ誕生以来、ドルに次ぐ「第二の基軸通貨」を期待されながら精彩を欠いてきたユーロの基軸通貨性が補強される材料として復興基金の存在意義を論じるべきと筆者は考えています:

最初に断っておきますが、筆者は「ユーロがドルを凌ぐ存在になる」とまでは全く思っていません。欧州委員会自身、10年前に『EMU@ 10 Successes and challenges after ten years of Economic and Monetary Union』(成功と挑戦、経済通貨同盟から10年)と題したユーロ導入10周年記念論文の中でそう論じています。その論文の中でも「一部の評価軸に照らせばユーロはドルを上回る分野もあるものの、その歩みはある程度、EUと経済・政治関係を持つ地域に限定されている。ユーロの国際化を考えてみると地域・制度との結びつきが極めて強いことが分かった」と結論付けられています。筆者もこの論文の執筆陣の1人であったのでよく覚えていますが、EUとしてユーロがドルに伍する存在になれると本気で思っている節は感じられませんでした。
確かに、2年前(2018年9月)、欧州委員会のジャンクロード・ユンケル委員長(当時)が、欧州議会で行われた施政方針演説の場で、「ユーロはドルに取って代わる基軸通貨になるべき」と述べたことが話題になりました:

「EU外交の全会一致原則見直しを」 欧州委員長演説【ブリュッセル=森本学】欧州連合(EU)のユンケル欧州委員長は12日、仏ストラスブールの欧州議会で施政方針を演説した。外交www.nikkei.com

しかし少なくとも今までのところ、具体的な戦略性を持ってフォローされているような案ではありません。

ユーロの基軸通貨性を点検
とはいえ、ドルを凌ぐ存在になれないからと言って、ユーロの帯びる基軸通貨性が全否定されるわけではありません。シンプルに言えば、「もっと為替市場で使われる存在になる余地」はあるはずです。この点、ユーロ発足以来、断続的に注目されてきた「ユーロは第二の基軸通貨になれるのか」という論点を点検しつつ、復興基金誕生と関連づけて現状把握に努めてみたいと思います。


まずは「基軸」となる通貨の条件を改めて提示しておくことが必要でしょう。基軸通貨の条件を大まかに挙げると、①国際的な貿易・資本取引における決済手段であること、②ドル以外の通貨間の価値尺度の基準となること、③各国政府の外貨準備通貨として保有されることの3つが挙げられます。
まず①。人口で見ればユーロ圏は約3.4億人と米国の約3.3億人をやや上回るものの、名目GDP(国内総生産、2019年)で見れば約13.3兆ドルであり、米国の約21.4兆ドルには距離があります。ユーロ圏19か国からEU27か国までベースを広げても約15.6兆ドルと及びません(離脱した英国の約2.8兆ドルを加えても追いつきません)。

しかし、仮にユーロが加盟国を増やし続け、経済規模で米国に追いつくことがあったとしてもドルを超えて「①国際的な貿易・資本取引における決済手段」となる展開は難しいように思えます。中国や日本を含むアジア地域、あるいは中南米地域が決済通貨をドルからユーロに切り替えることがあるでしょうか。決済通貨の選択は「規模の経済」が働く世界です。いったん「現在の基軸通貨」という既成事実ができると、その慣性(inertia)が強みとして作用すると考えられます。米国やドルの地位を揺るがすようなショックでもない限り、崩れることはないと考えるのが自然でしょう。

「ドルの敵失」に期待する状況
要するに、①の観点からは「米国(ドル)の敵失」を待つしかありません。近年の様子を見ていると付け入る隙がないわけではなさそうです。周知のように、米国の財政赤字は今年、経験の無い領域に突入しており、GDP比で30%程度の規模が視野に入っています。7月以降のドル安について、そうした「ドルの過剰感」に原因を求めようとする論調はあり、それは踏み込んで言えば「ドルの信認」がテーマ視された結果という見方でもあります。これは立派なドルの敵失です。この点は以下のnoteでも述べました:

また、コロナショック以前から中銀デジタル通貨(CBDC)を突破口としてドル一極集中の現状を打破しようというムードはありました。その代表格がデジタル人民元を通じて自身の通貨圏拡大に意欲的な中国の動きですが、ユーロ圏もデジタルユーロへの関心を隠していません。来たるべきCBDCの時代において技術的な規範(先行者利益)を獲得したいという思いは当然あるでしょうが、ドルの基軸通貨性にチャレンジしたいという思いをユーロ圏も少なからず抱いているかもしれません。いずれにせよ、現状を「ドルの一極支配に風穴を空けるチャンス」と捉えるムードは元々あって、①の点について、つけ込む余地は多少出てきているのが近況と言えます。

片や、「②ドル以外の通貨の価値尺度・基準となること」という点はどうでしょうか。これは相当難しそうです。例えば、円高・円安の評価基準を対ユーロで判断する時代が来るとは思えないし、原油や金などの商品価格がドルではなくユーロ建てで表示され取引されることが常識になるとも思えません。すでに、多くの経済主体がドルを価値尺度として用いて、多様な相場観もこれに基づいて形成されているというドル通貨圏を変えるのは難しいでしょうし、また、変える理由もないでしょう。

外貨準備需要に見出す変化
しかし、①や②と異なり、「③各国政府の外貨準備通貨として保有されること」についてはユーロの伸びが期待される余地もあります。結論から言えば、復興基金誕生を契機として、ユーロ建ての安全資産市場が新しく生まれることになれば、外貨準備運用を司るリザーブプレーヤーにとって重要なターニングポイントになる可能性があります。

歴史を簡単に振り返っておきましょう。ユーロが第二の基軸通貨と持てはやされ、相場も騰勢を強めていた2000~2009年の約10年間で世界の外貨準備に占めるユーロ比率は約18%から約28%へ、10%ポイントも上昇しました。この間、ドル比率は約72%から約62%へ10%ポイント低下しています(図表)

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上述の①や②の論点はさておき、③の論点に関して言えば、10年間で10%ポイントのリザーブマネーがドルからユーロへシフトしたのは事実であり、「第二の基軸通貨はユーロ」という議論が熱を帯びたのは根拠のない話ではありませんでした。ですが、欧州債務危機を経て、ユーロ圏の瓦解・崩壊を囃し立てる論調が勢いづく中でユーロ比率は19.1%(2016年6月末)まで低下し、足許でも20%程度にとどまります。「第二の基軸通貨ユーロ」に対する期待は完全に剥落したと言えます。

しかし、ユーロがドルを凌ぐ通貨になることは考えられないにせよ、この剥落した10%ポイント分のリザーブマネーがまたユーロに戻ってくる余地くらいは期待しても良いかもしれません。この点、2021年以降に稼働する復興基金の原資7500億ユーロの大部分は欧州委員会がEU債として調達することになっていることが思い返されます。年限や金利、格付けなどは明らかになっていませんが、過去に発行された欧州金融安定ファシリティ(EFSF)や欧州安定メカニズム(ESM)が発行した債券の例を見れば、最高格付けで発行されるはずです。この点、「ユーロ建ての安全資産の市場が誕生する」という期待はあってもよく、それはリザーブマネーを引き付ける一因になり得るものと考えられます。

政府債務残高で比較するドル、円、ユーロ
現在に至るまで、ユーロは安全資産(≒国債)の市場規模という点に関してドルに劣後しています。市場規模を大まかに掴む意味で2019年の政府債務残高を参考にすると、米国は約22.7兆ドルであるのに対し、ユーロ圏3大国(ドイツ・フランス・イタリア)では  約7.6兆ドル(≒6.8兆ユーロ、2019年、1ユーロ=1.12ドル換算)となっており、米国が3倍程度の規模を誇っています。安全資産としてユーロ建て資産の価値を保蔵しようにも「受け皿としての市場規模が比較にならないほどドルの方が大きい」という現実があります。ちなみに、日本は約12.1兆ドルとユーロ圏3大国の合計よりも大きいのですが、周知の通り、この9割が国内で消化されており価値保蔵機能の提供という点ではより小さな規模と言えます。また、世界の為替取引においても円のシェア(約8%)はユーロのシェア(約16%)の半分であることも勘案する必要があるでしょう。

こうした状況を踏まえた上で、最高格付けを得られるであろうEU債が継続的に発行されるようになれば、ユーロに欠けていた価値保蔵機能が強化されることになります。これは中長期的な目線に立つリザーブプレーヤーにとっては立派なユーロ買い要因になるのではないでしょうか。もちろん、復興基金の誇る7500億ユーロ全てがEU債で調達されたところで米債市場の懐の深さには到底敵いません。

もっと言えば、復興基金は文字通り、復興を目的とする一時的なスキームであるためEU債が継続的に発行される未来が来るのかどうかも不明です。かつて一時的なスキームとして設置されたEFSFがESMとして恒久化されるプロセスも一筋縄ではいきませんでした。債務共有化を実現する復興基金(という名称も恐らく変わるだろう)の恒久化はよりハードルが高いはずです。しかし、「第二の基軸通貨」として準備通貨面で大きな拡がりを見せることができなかった過去20年の経緯を踏まえれば、今回の復興基金誕生が新たなユーロ建て安全資産の市場創造に繋がり、ユーロの基軸通貨性を高める、小さいけれども歴史的な一歩になった可能性はあります。

最近のユーロ相場の騰勢には色々な解釈がありますし、正解は誰にも分かりません。正解が1つというわけでもないでしょう。しかし、復興基金と絡めて正当化するならば、上述してきたような大きな視点から解釈するアプローチも面白いと思います

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