見出し画像

「書く」ことは人間の証明になるのか?

「いま読んでいるブログ記事、いい文章だなと思ったら実はAIが書いたものだった。」そんなことが普通になる時代が、実はもうすぐそこまで来ているのかもしれません。

このような予測は、ほんの一昔前までならまだ夢物語に近かったように思います。しかし、最近では本当にそういう時代の到来を予感することが多くなってきました。


上記は、AIを使って執筆した小説が、星新一賞に入選したという記事です。星新一賞は、応募規定で「人間以外(人工知能など)の応募作品も受け付けます」と、AIを使った作品の応募も認めている文学賞です。今回の応募総数は2603編で、そのうちAIを利用した作品はなんと114編もあったそうです。

記事中では、AIによる現時点の文章は「長くなると次第に意味がずれてくる。当面は自然な文で1000字書くのが課題」と指摘されています。しかし、これは裏を返せば、AIによる文章作成が「もうあと1歩、2歩」のところまで来ているのだとも解釈できるでしょう。


「AIに人間の仕事を奪われる未来が来る」という懸念、そして議論は絶えることなく続いていますが、一方で「AIが得意なことはAIに任せ、人間は、人間にしかやれないことをやればいい」というポジティブな意見を目にすることも多くなりました。その方が、時間を有効に活用することができ、より人間らしい生活を送ることが可能になるはずだという主張です。

しかし、もしAIが本当に流暢な「文章」まで書けるようになったとしたらどうでしょうか?文を紡ぐという行為は、人間だけに与えられた最後の特権のようにも思えます(正直、思いたいです)。しかし、その「特権」さえいずれはAIに奪われてしまうとしたら、人間にはいったい何が残るというのでしょうか。


時代の進化や社会の流れを憂うだけではしょうがないと思います。単に変化を嘆くのではなく、私たち人間にできることをきちんとやって、持てる価値を社会に提供し続けるしかない、そのように思います。そしてそれこそが、少し大げさに言うと人間にとって「生きる」ということなのかもしれません。

しかし、もしAIがすばらしい文章を書く時代が到来したとして、人類が楽をして全員が「読む」側に回ってしまったとしたらどうでしょう。社会そのものはAIの力を借りて進化を続けるとしても、「人間の進化」自体はそこで止まってしまうかもしれません。

人にとって、「何かを書く」ことはとても大切なことだと思っています。しかしながら、AIが文章を書く時代の到来を待つまでもなく、すでに「読む」だけの側に安住してしまっている人も少なくないと感じます。これは、とてももったいないことだと思うのです。

コミュニケーションは、常に双方向性があることが望ましいと考えています。もし仮に、自分が一切の言葉を発せず、ひたすら人の意見だけを聞くようになってしまったとしたらどうでしょうか。他の人の意見を、ただ受け身で聞き続けるという望ましくない状態を招く可能性もあります。

それは、「発信しない側」が、自分からの積極的な進化を諦めている状態に近いかもしれません。何かを発信することはとても大変ですが、読むだけ、聞くだけなら楽です。だから、どうしても「インプット」するだけの立場に甘んじてしまう。

実際に、自分から一切アウトプットはせず、インプット専門になっている人はものすごく多いと感じます。しかしそれでは、一部の権力者やインフルエンサーの意見だけを、ずっと受け身で聞き続けることになるのかもしれないのです。


筆者は長らく、SNSやブログ、寄稿、著作を通じて「文を書く」ことを続けてきました。書くことは、本当に大変です。心身ともに大量のエネルギーも消費します。

しかし、振り返ってみて、やはり文を書くことで得られるものは本当に大きかったと思うのです。文を書き続けることで、多くの人に自分の存在を知ってもらえるようになりました。さらには、「自分の考え」も知ってもらえるというありがたい状況です。

これは、本当に大きなアドバンテージだと感じています。普段から自分の文章を読んでもらっている相手とは、会ったその瞬間から深いコミュニケーションが可能になります。通り一遍の自己紹介をして... というプロセスをスキップし、話をする時間がものすごく濃密なものになるのです。


今や、SNSやネットメディアなど、個人として「発信」できる場はいくらでもあります。それらを、使わない手はないと思うのです。発信を続けることが、自分の人生にとって大きなプラスとなる時代です。

新しく人と会うとき、企業として人を採用するとき、新しいお店に行こうと思うとき、まずはネット上で相手のことを調べるという行動様式が普通のことになりました。そのとき、もしその対象に関する情報がまったく見つからなかったとしたらどうでしょう。「本当に大丈夫なのだろうか?」と不安になってしまうことでしょう。まさに、そういう時代です。

大げさにいうと、発信しないと、「存在しないのも同じ」となるかもしれないということです。これは少し大げさに聞こえるかもしれませんが、たとえばソーシャルリクルーティング(SNSを使った人材採用)の世界では、すでに実際に起こっていることです。

何も発信しない人は、転職活動の局面でも、普段から発信を続ける人に比べて不利な立場に立たされることになるのです。発信する人には企業から声がかかりますが、発信しない人には、声のかけようもないからです。


発信することは、自分の存在証明になります。そして、自分の持つ「価値」を、より多くの人に共有することができます。

AIにはまだできない、人間ならではの「感情」や「共感」を込めて文を書くこと。それは、コミュニケーションの促進という意味で周囲に対する貢献になりますし、さらには、社会全体を少しづつ良くすることにもつながると思うのです。

そのような気持ちを持って、あらためて、しっかりと文章で発信することをこれからも続けていきたいと思っています。


#日経COMEMO のキーオピニオンリーダー(KOL)に選任いただきました。がんばって書いていくつもりですので、次回以降もぜひどうかよろしくお願い申し上げます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?