「世界を変えた書物」に見る「多能の人」が再び現る可能性
今週の月曜まで上野の森美術館で行われていた「世界を変えた書物」展にいった。ガリレオ、ケプラー、ニュートン、デカルト、ゲーテなどの科学に関わる基本的な書物の初版本が、きら星の如く展示されていた(関係者のご努力に深い敬意を示したい)。
よい言葉が多かった。例えば化学の創始者ラボアジェの言葉「過誤を防ぐ唯一の手段は、(中略)、常に実験を行う事である」。間違いを起こしてはならないことこそ、実験的なことを常に行って、過誤を表に出さなければいけない。我々は、ともすれば過誤を避けようとして実験を止める判断をしてしまう。これこそが大きな間違いにつながる。
ここで科学書として知られている書籍群を見ると、実は、科学、技術、数学、哲学が渾然一体になっている。これが大変新鮮だ。
ダビンチは万能の天才と呼ばれるが、上記のようなニュートンやゲーテ他にも、このような多能/万能が随所に見られる。ところが、20世紀は、あらゆる分野で専門化が進み、多能や万能の天才は見られなくなった。
今後はどうだろうか。私は歴史は揺り戻す可能性が高いと思う。
実は、これらの書物を見ている時に思い出したのが、落合陽一氏や石川善樹氏のような新世代の才人たちである。書物という形態で、情報が飛躍的に拡散しやすくなったことで、ルネサンス以降の科学が花開いた。今、ネットや人工知能やクラウドの支援を受け、人は、これまでの専門化の壁を越えて、万能・多能な人に変わっていく可能性がある。その端緒が落合さんや石川さんではないだろうか。
AI時代の人間についての記事は多いが、従来の専門化の制約の中で、仕事が機械化される議論が多いと思う。おそらくこの論理は間違っている。
むしろ、あらゆる人において、情報や知識や実行の限界費用が極端に低下し、誰もが「多能の才人」になっていくのではないか。専門化には、専門の数しか選択肢がない。排他的にその中から一つを選ぶ問題になる。それに対し、多能の人には、爆発的な組合せの可能性が生まれる。N個の専門性があれば、それから3つ選ぶ組合せは元のN個より遙かに多い。
すなわち、AI時代とは、多様性の時代になっていくのだ。このような議論をしっかりとメディアを含めて深めていきたい。「機械に仕事を奪われる」という浅い議論をそろそろ超える時がきたと思う。
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