グローバル化という矛盾を越えて
ここ数年に渡り、世界中でハピネスに関する講演を行った。
講演したのは、フィリピン、韓国、ベトナム、タイ、シンガポール、スリランカ、オーストラリア、ドバイ、アブダビ、イタリア、イギリス、スイス、ドイツ、ポーランド、フィンランド、そして米国(ワシントン、ニューヨーク、カリフォルニア、テキサス他)、日本である。
そこで印象に残ったこと。
それは反応がどこも一緒なことである。
どこも熱い期待を聴衆から感じた。
おそらく、それらの国の生活や経済の状況は大きく異なる。
しかし、一方で、人々の幸せを求める期待は同じだ。
経済発展や国の実態が違っていても、人々の
幸せになりたいという期待は普遍的である。
実は、「状況の多様性」と「期待の一致」との共存こそが、グローバル化だと思う。
それぞれの国や地域で、文化や歴史、生活や経済の状況は異なる。
それぞれに文化と多様な発展が起きる。
未来へと進む手段や形態は様々である。
しかし、幸せへの期待は変わらない。普遍的である。
多様性と普遍性は、この意味で、なんら矛盾せず、共存しうる。
実は、多様な世界を統一的な法則で理解してきたのが科学である。
そこには一見矛盾する多様性と普遍性を共存させるヒントがある。
例えば、物理学では、物体の動きがモノや状況によって極めて多様なことと、それらが皆、普遍的な物理法則に従うことを明らかにしてきた。そこに矛盾はない。
生物学では、ミジンコやタンポポからヒノキやサクラまで、ネズミやゾウからイグアナやヒトまでの生態が多様なことと、それらが、普遍的にDNAによる遺伝や進化の普遍法則に従うことを明らかにしてきた。そこにも矛盾はない。
その意味で、多様性と普遍性との間には何の矛盾はない。
出発点が異なれば、普遍的かつ共通の法則に従っても、
全く異なる状況に発展するのだ。
この科学的思考における多様性と普遍性の共存は
もっと多くの人に広く認識されていい。
それこそが科学の根幹にあるともいえる。
今、世界ではグローバル化に対する見直しが起きている。
手放してグローバル化を礼賛したこれまでの30年に一大転換点が来ているのだ。
この議論は、ともすれば、グローバル化か、否かの二分論の議論になりがちだ。手元にある米国の外交誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」でも、(2021年5月号)グローバル化が今後進むのか、否か、がまさに論じられている。
しかし、上記の議論のように、国毎の多様性と期待の普遍性は、共存する。
目指すべきグローバル化の姿は、この二者の共存にある。
そこに矛盾はない。