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人は食べる時に情報も食べてるから。 --- お題「なぜ国内のものを国内で食べる国消国産か?」に答える。

食べ物を食べる時に、人は何を摂取しているだろうか?

味。栄養。はもちろんのこと。

ビジュアル。匂いや香り。

そして、一緒に食べてる人、食べてる場所なども含めた雰囲気や楽しい気分も食べてるかもしれない。

それと同時に情報を食べていると僕は思ってる。

今まで仕事で(仕事と称して?)たくさんのところでいろんなものを食べてきた。それこそ、デンマークのnomaも、サンフランシスコのシェパニーズで、日本上陸前のblue bottleやその界隈のサードウェーブのコーヒー屋も、ニューオリンズの街角のビストロも、ベナンのめっちゃ美味しい川魚料理店も、唐津の川島豆腐や高松のイサムノグチが常連だった香川料理のお店、などなどなど。これは僕の場合で、それぞれの人にとって、語りたくなる今まで食べた場所は星の数ほどあるだろう。

その時、味についてまず話すのだが、トータルで長く話すのは、基本その周辺の情報。味は人から人へ、口移しできないし。何が出てきたか、産地がどうだったか、どんな料理だったか、雰囲気はどうだったか、そのお店のコンセプトはどうでこう言うストーリーがあった。などなど。

味自体も体内で記憶という情報として残して、自分の中でその後の人生で何かしらの形で使われていく。うまいまずいの尺度や文化の違いなどはそこからその味の情報記憶引き出しから出して使うものだろう。

さて、国消国産についてだが。

多くの人が語っているように、もちろん、有事に輸入が途切れると大変、と言うことはある。そして、エコロジーの観点からも長距離移動させるから、カーボンフットプリント的にどうだろうと言うこともある。

あと僕がそこに足したいのは「国内のことを知らないと何も新しいものを産めない」と言うことを、ここではあげておきたい。

何かにつけて、外ばかり見てる日本ってのをそろそろやめないと、もうこの先はないと思う。

外を見てる=西洋文化大好き。
外を見てる=他と比べてしか自己評価できない。自信がない。
外を見てる=外国に追いつけ追い越せ、しか、幸せの尺度を持たない。

それを止めるのは急務だと思う。

海外の人と話しても、やっぱり僕らから知りたいのは日本のことだ。そして話すと、へー!っと驚いてくれる。

食材についても同じことが言える。

普通の食材でも、人参や玉ねぎなどの国内の生産地上位3つを知ってたとしたら、例えば兵庫に行った時に、「ここはさー、玉ねぎの産地だから、玉ねぎはなんか食べようぜ」と言ったとしたら一緒にいる外国人(じゃなくても日本人でも)は、いいね!そうなの!となるだろうし、一生その街で食べた玉ねぎのことは忘れないだろう。そして、そのテーブルでは玉ねぎでビジネスするとしたらさあ、とか、玉ねぎについての危機やチャンスについても語るんじゃないだろうか。

特殊な素材ならもちろんなお面白い。

作り方が面白い野菜の話。例えば、雪の下ニンジン。

絶滅危惧の地場の野菜の品種を守る話。


そんな話を知っていたら、生活上でもビジネス上でも雑談上でも未来を語る上でも発想が変わるだろう。

それを輸入物の野菜の話ばかりだとしたら、、何とも味の薄い話になりそうじゃないか。

そして、アイデアもイノベーションも情報と情報の新しい組み合わせで生まれるのだから、遠くのものしか知らないのはとっても効率が悪いし、何よりも自分のところのオリジナルを生めない。= 価値を生み出せないということにつながる。

フットボール批評の2019年9月号で、オシム監督はこう言っている。

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「日本人の頭の中にはまず列強のコピーがあって、オリジナルがある。その考えは止めるべきです。自分自身がコピーする必要が無いオリジナルなのだから。」

「日本の歴史は鎖国が長かったからかもしれないが、他国に追いつこうとするきらいがある。別の固有なものを認めるという寛容さは大切だが、自分をしっかりと鏡で見て自信を持つことも重要だ。」


また、2019年12月23日の日経朝刊、日経discover japan アカデミー開催のレポートで、こう言わせてもらった。

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国内のものを食べることによって、自分の国のことを知る。
そして、その情報を持っているからこそ、その強さ、ユニークさ、良さを何かしら新しいものと組み合わせて、発想も経済も文化も豊かにする知恵や魅力が生まれる。

より面白く生きるための簡単な入り口として 、毎日の3食をなるべく意図的にmade in japanを食べる。というのが僕の提案である。



#日経COMEMO #国消国産なぜ必要

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