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アカデミア人材を活かすには「専門性への尊重」と「共通言語」が重要

 どうも。弁護士の堀田陽平です。

 今回は、「どう活かすアカデミア人材」というテーマについて、少し思うところがあるので、書いていきたいと思います。

 今回はあまり法律っぽい話はなく、専らの雑感になります。

ゼネラリスト重視の雇用慣行による「価値観」

 以前、ある大学教授の先生とお話していたとき、その先生は、「日本(企業)は専門性への尊重がない」ということをおっしゃっていました。

 このことをよく考えてみると、根っこには日本型雇用慣行の下で醸成されてきた価値観があるのだろうと思います。

 日本型雇用では、特定の専門スキルをもたない新卒生を職務無限定で雇用し、様々な部署でのジョブローテーションを経ていくことを前提としていました。つまり、そこでは「色々な部署でジョブローテーションを受けながらも、どこでも成果を上げられる人材」であるゼネラリストであることが重視されてきたといえます。

 もちろん、こうしたゼネラリストが評価され企業のトップに上がっていくこと自体は、何ら問題ではないでしょう。

 ただ、社会にはアカデミア人材のように専門性を追求する道を選択する人もいるなかで、ほとんどの人がゼネラリストとしての能力を期待されて採用され、そのゼネラリストとしての能力を競争することになるという構図が、「ゼネラリスト>スペシャリスト(専門性)」という価値観をなんとなく醸成しているのではないかと思います。

“専門性への尊重がない”とは

 アカデミア人材のように専門性を追求する人は、「色々なことを一定程度知っていて、一定程度こなすことができる」という点ではなく、まさに「専門性」という点において価値を発揮しているはずです。

 しかし、「ゼネラリスト>スペシャリスト(専門性)」という価値観が社内に根付いていると、アカデミア人材にまで「ゼネラリスト」であることを要求し、「あの人は〇〇にはとても詳しいけれども、それ以外は知らないね」と、(不当に)低く評価され、価値が発揮されないことになるのだと思います。

 おそらく上記の大学教授がおっしゃっていた「専門性への尊重がない」というのは、こういうことではないかと勝手に解釈しています。

まずは「なぜアカデミア人材を必要とするのか」を明確にする

 上記のとおり、アカデミア人材には「専門性」という価値があるのであり、実際には、「ゼネラリスト」の能力と「スペシャリスト(専門性)」の能力は、どちらも優劣のあるものではないと思います。問題は、光の当て方、つまり「企業が何を求め、どう評価するか」ということだと思います。


 したがって、アカデミア人材を活かすために、まず抽象的に重要なのは、自社の経営上の課題を明確にしたうえで、そのアカデミア人材に何を求めるのかを明確にし、それに対して適切に評価をするということになるかと思います。つまり、光を「スペシャリスト(専門性)」の能力に当てあげるということです。
 ただ、私は、アカデミア人材を活かすには、より現実的に重要なことがあると考えています。

企業、アカデミア双方が「専門用語」を使わない

 私が、より重要であると考えるのは、アカデミア人材側、企業側の双方が、「専門用語」(社内用語、業界用語)をできるだけ使わないということだろうと思います。要すれば、「共通言語」で会話をするということです。

 私自身の官庁での出向経験も踏まえると、この点は意外と壁になっていると感じます。

 そもそも、会話のなかで各々の世界でしか通用しないような用語を使用することは、お互いがお互いの世界への理解がなく、一緒に働いているのに、それぞれの世界に閉じこもっていることを象徴しているといえます。
 また、そうした専門用語を使用していると、実はその言葉の意味について小さな誤解がありながらも何となく分かったような感じで仕事が進み、いつかその誤解が重大な問題につながることもあると思います。

 ずっと同じ組織、同じ領域に属していると、自分が使い言葉が「専門用語」であることの認識が薄いこともありますが、「共通言語」で会話をすることが実は大事であると思います。

アカデミア人材に限ったことではない

 こうしてみると、アカデミア人材を活かすために必要なことというのは、実はアカデミア人材に限らず専門人材、外部人材、兼業・副業人材といった多様な人材の活躍にとって広く必要なことでもあるように思います。


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