反乱でも破壊でもない。「新橋一揆」とは命を守る行動だ。
明日5月25日には、首都圏と北海道の宣言解除がようやく実現しそうです。しかし、東京都は、独自のロードマップなるものを出して、段階的な解除を行うとして、引き続きダラダラと休業要請を継続するという。これでは一体なんのための解除なのかわからない。
そもそも、休業要請とは、あくまで、要請であって、店を開けることは違法行為ではない。現行の特措法45条のどこにも、要請や指示に従わなかったとしても罰則規定はない。それでも緊急宣言以降ほぼほとんどの店はそれに素直に従い、歯を食いしばって耐えてきたではないか。それもこれも、こうして我慢していれば、「5月末には再びお店を開くことができるから」と信じていたからだ。
もちろん、感染の第二波を心配する気持ちはわかる。とはいえ、いつまでも引きこもってばかりいたら、それはそれで死活問題であることも明らかだ。
そんな中、「もうもたない」と深夜営業再開した店もある。
「感染症対策は十分にやっており、夜10時も11時も変わらない。これ以上、自粛を続けていたら、従業員を守れない」。宣言解除で街の経済が回り出さない限り、厳しい状態は続くと覚悟する。都は休業や時短営業など要請に応じた事業者に今月から協力金50万~100万円の支給を始めたが、「家賃分にもならない」とこぼす経営者は少なくない。(中略)「(協力金を受け取れなくても)少しでも営業時間を延ばす方がまし」と話す。
こういうニュースに触れると、コロナ脳に侵された自粛警察は、馬鹿げた行動をするのだろう。しかし、自粛警察がやっていることは、明らかに犯罪行為で、許されることではない。自粛警察が正義ヅラすることにも、個人的にほとほと嫌気がさしている。
TBSの「あさチャン」によれば、「東京都は、休業要請に応じた中小事業者に対して最大100万円の協力金を支給するとしていたが、これまでに協力金の支給完了したのは、申請が8万8千件中わずか1700件(約2%)にとどまる」と報じた。
新橋のある店の店主は、先月22日に申請したが、未だに協力金が振り込まれておらず、都内3店舗の約120万円を大家に頼み込み滞納中だが、従業員の人件費250万円は払わざるを得ないため、1か月で貯金が300万円から30万円へと減ったという。
「約束を守ったのに、2週間ぐらい経っても振り込んでこないのは誠意に欠けている。通常営業をしたい。儲けるとかじゃなくて、生き残ることで精一杯」
店主は、顔出しでテレビのインタビューにそう答えていた。偽らざる本音だろう。営業を再開しなければ、従業員もろとも生きていけなくなるのだから。そして、続いて出た言葉がこれだ。
「新橋一揆を起こそうと言ってる」
一揆というと、一向一揆などのように、武力を持って体制に対するクーデターを起こすという意味でとらえられているが、それは、ドイツ語「Putsch」を日本語訳する際に使われたことによる誤用で、本来「一揆」という言葉には、「反乱」という意味はなく、「心をひとつにする」という意味である。
彼らは、議事堂前に行って無意味なデモなんかするわけではない。反政府キャンペーン的にSNS上で運動を起こすわけでもない。彼らがやることとは、「心をひとつにして」ただただ、通常の営業を行いたいだけなのだ。お客さんが来て、酒とツマミを出して、笑顔で喜んでほしいだけなのだ。それが、結果、店の利益にもなるし、従業員の給料にもなる。家賃も払えるから大家さんのためにもなる。納入するお酒メーカーのためにもなる。店を営業するというそのひとつのことは、決して店や店主だけの利益にとどまらない。それが経済というものだからだ。
こういうことを言うと、自粛警察どもはこういうだろう。
「何が一揆だ、ふざけんな。みんなの命を守れないっていうのか」と。
みんなって誰の事?彼らの一揆もまた、みんなの命を守るための行動です。
「自粛は強制ではありません。要請です。お願いです」などと最初は下手に出ながら、約束した休業補償も実施せず(遅れていることは、実施していないこととイコール)、挙句の果てに、いつまで続くかわからない終わりなき不毛なロードマップを提示して、「要請」といいながら事実上の強制の上から目線の指示に誰が従うというのだろう。
勘違いしていないだろうか。都民は小池都知事の奴隷ではないし召使いではない。ましてや再選のための道具であるはずがない。
新橋一揆、支持します。新橋に限らず、もう限界にきているお店もたくさんあると思います。もう無理に我慢する必要はないのではないですか?当然、感染防止に対する対策を何もしないで開店するわけにはいかないと思いますが、なんでもかんでも「できない」「やらない」理由ばかり探し出す作業より、「どうしたらできるか」を考えて実行に移す。それこそが今必要な力なんだと思います。
がんばりましょう! 動きましょう! 微力ながら僕も久しぶりに立ち飲みで一杯やりに行きたいと思います。これに反対される方はご自由にしてください。誰一人誘いもしないし、ソロで僕は行くだけです。会話もなく、黙って酒を飲み、メシを食う。それだけでいい。
国を救うのは国会議員でも首長でもない。ひとりひとりが自分の頭で考え、どう行動したかでしか、誰一人救うことはできない。行動をしないという行動こそ最大の害悪である。
前々回の記事で、無法な「自粛警察」に対する批判記事を書きましたが、それに対して、自粛警察を名乗る人間から反論めいたコメントが来ています。是非ご覧ください。彼らとコミュニケーションすること自体大いなる無駄であることがわかります。