結婚、出生、人口…。あらゆるものが減り続ける未来へ
20年後…。
2040年の未来がどうなっているか。
主に、人口動態の面からは、僕はずっと言い続けていますが、「人口の半分が独身者となるソロ社会が到来」します。ここでいう、独身者とは未婚に限らず、離婚や死別で独身になった人も含みます。
社人研の推計(2018年)によれば、15歳以上人口の47%が独身者、53%が有配偶者です。これは、出生中位死亡中位に基づく推計ですが、実際死亡率は増えることが確実視されているので(有配偶のどちらが死別で独身になるパターンが増える)、両者は限りなく半々になると考えます。
日本は超高齢国家と言われてますし、事実その通りなんですが、2040年時点での65歳以上高齢者人口は約3900万人と推計されているのに対し、独身者人口はそれを大幅に上回る約4600万人です。つまり、日本は超高齢国家以上に「超ソロ国家」なのです。
この問題については、多分誰よりその事実を書籍化し、メディアに向けて発進したのが僕なのですが、これは日本に限らない現象であることも最近の統計を見ると明らかになっています。一人っ子政策の影響で、歪な出生男女比となってしまった中国などでは、すでに結婚適齢期の人口では3000万人~4000万人の男余り現象が起きています。結婚したくても物理的に相手がいない男性が、欧州の一国分くらい存在するということです。ちなみに、中国の10分の1の人口である日本も、丁度300万人の男余りです。インドでは5000万人の男余りですし、アメリカも900万人の男余りです。
なぜ、こうした男余り現象が起きるかといえば、医療の発達によって、男児の乳児死亡率が激減したことによります。そもそも出生は平均して5%くらい男児の方が多く生まれます。それは、男児の死亡率が高いからです。しかし、先進国ではほぼ乳児の段階で死亡することはなくなりました。多く産まれた5%がそのまま成人男性へとなります。それが10年、50年と続けば自然と男余り現象にいきつくわけです。
そう考えると、結婚支援だなんだと言った所で、もはや女性ベースでマッチングが100%実現できたとしても、この相手のいない未婚男性は必ず余るわけで、世界全体のソロ社会化は必然となります。
ソロ社会化に伴い、もうひとつ20年後は「家族が激減」します。社人研の推計でも2040年は、「夫婦と子世帯」といういわゆる家族世帯が全体の20%強にまで激減します。その一方で増えるのが「単身世帯」で、全体の40%に達します。
20年後の日本は、独身者が5割、一人暮らしが4割というソロ社会になることは間違いありません。そして、そこへ至る今後の20年は、特に消費の世界において、まさに「集団から個へ」という大転換が図られる過渡期となるでしょう。
世帯構造が大きく変わるわけですから、まず何より住居の考え方が変わります。家族中心の生活様式が減ることで、食生活や食文化も大きく変わるでしょう。まさに江戸時代、全国から単身男性が集合したことで、世界に先駆けて外食産業と文化が生まれたことと同様、この20年間において、何百年先まで続くような新しい食文化が日本発で生まれるような気がしています。
結婚しない選択をする人が増えると、家族という所属欲求を満足できない彼らの心の欠落感を埋めるための「エモ消費(精神的充足のために金と時間を使う)」が中心的存在を果たします。それは、現在でも拡大政調している、マンガ、アニメ、ゲーム、アイドルなどのいわゆる「オタクカルチャー」のさらなる発展です。
その一方、人口の半分は結婚をし、子を産み育てていくことも消滅したりはしません。これも何度も言っていますし、統計上も明らかなのですが、男女とも「恋愛強者3割の法則」が存在します。異性と恋愛をし、結婚をし、家族との時間に幸せを感じる人たちです。1000組の夫婦調査の結果、そんな3割の彼らによって、世の中の夫婦の45%が成立しています。それは、恋愛強者が恋愛強者だけと結婚するわけではないからです。恋愛強者が恋愛が得意でない恋愛弱者とむすびついて結婚する。夫婦のうちの3割はそういう形態です。有配偶となる残りの5%は、何らかの偶然性によるものでしょう。
かつての皆婚時代は、お見合いという社会的システムによって実現されてきました。いつの時代も恋愛強者はいましたが、お見合いによって救われた層が5割いたことで皆婚が実現したわけです。決して最近の若者が草食化したからではありません。
こういうことを言うと、すぐ「少子化で国が滅びる」「子どもが生まれないと人口減少する」ということを言い出す人がいるのですが、子どもの数が増えようと確実に人口は減少します。日本はまもなく多死時代を迎えます。年間150万人以上が50年間継続して死亡していきます。実に50年間で8000万人の人口が自然減少するのですから、人口減少は不可避です。
少子化といっても、考え方の視点を変えれば、少ない子どもたちを多くの大人たちが支えられる社会になるとも言えるのです。65歳以上が高齢者などと言っている場合ではありません。働ける大人は働き、納税し、消費をし、そうした行動で、結果として見知らぬ子どもたちを大人全員が支えていける未来になっていけばいいし、そうなるべきたど思います。
それと人口減少は日本だけの問題ではありません。世界の人口は確実に減ります。出生率もアフリカ以外はほぼすべての国で2.0以下となります。よくよく考えれば、現在の70億人の人口の方が異常なのです。
家族とか、会社とか、地域とか、そんな古臭いしがらみのような「所属するコミュティ」の呪縛から一人一人が解放され、血縁や地縁や職縁に関係なく、価値観や考え方で刹那につながり、自由に誰とでもつながれる「接続するコミュニティ」を作っていく時代になると思います。
人口動態や社会環境がどうなろうと、未来は一人一人の人間の行動の積み重ねの結果です。記号化された人間ではなく、数字化された人間ではなく、感情を持ち、血の通ったあたたかい一人一人の「歴史的には名もなき普通の人々」が作りあげていきます。名もなき人間同士のつながりは決して可視化はされませんし、歴史の教科書にも載りませんが、そうしたつながりの複合体(「接続するコミュニティ」の拡散)が、見知らぬ人同士を図らずも助け合う「お互い様」の社会を作り上げていくのでしょう。
もしかしたら、旧態依然とした考え方の人には、異次元の未来のように映るかもしれません。しかし、どうかご安心を。
人間は適応します。結婚が減ろうが、出生が減ろうが、人口が減ろうが、そんなことは決して暗い未来ではないのです。減った中でどう適応するかが求められていますし、きっと適応するでしょう。減るということをマイナスとしかとらえられない偏った脳の方が害悪です。
今回の記事は、日経未来面との連携第2弾「#延長線上にない日々」より書きました。