ピラミッド型の組織は、それ自体が女性を不利な土俵にあげている

筆者が勤務してきた会社のいくつかでは、「役員(部長・店長などということも)の女性比率目標」が定められ、女性が積極的に登用されていました。

ダイバーシティ&インクルージョンは組織が強くなっていくのに有力な戦略だということはわかるし、性別は多様性の大きなフィルターになり得ることもわかります。

とはいえ、人には他にも色々なカテゴリーの切り方があるし、全体の人数比を見ると歪だし(女性社員の人数に対して比率目標が高い)、随分と雑なやり方だなー、と感じたことを覚えています。

しかしこれは、女性を登用しないでいい、という意味ではありません。

むしろ「登用」という概念で「活躍」を定義している、その考え方・規範自体が、男性的な思想で設計された社会や企業組織の仕組みを女性に強いているのではないか、と感じます。

というわけで、今回もコメモのお題に乗っかって考えてみたいと思います。

企業にしろ、行政にしろ、組織は基本的にピラミッド型、すなわち社長を頂点に、業務種別や機能などにより組織をカテゴリー化し、上位下達で指揮命令が行き渡る仕組みを採用しています。

この仕組みが機能するためには、論理的・演繹的に、漏れダブりなく業務の細分化が設計されること、部下は上位者の指示に従うことが必要です。

これは、組織全体を一つの方向に向け、リソースの集中により組織の力を最大限発揮するために、一見有利に見えます。

しかし、意思・情報の流れが上から下方向の伝達ばかりになると、

(1)現場の智の活用(=ボトムアップ形の戦略策定)が起きない

(2)上位者が発するコミュニケーションは下位にいくにつれ伝言ゲームが発生し、意図の曲解、仕組みが機能しない

(3)中間層が官僚的になり、現場に届く熱量が低減し、腹落ち感の欠落によるサボタージュややっつけ仕事が起きがちになる

といった弊害が起きます。ので、これを防ぐために組織は社長を一番下、顧客を一番上においた逆ピラミッド型の組織図を描いたり(社長は全体にサービスする、というわけですね)、サーバントリーダーシップを導入して、各メンバーの心理的安全性を確保しようとしたりします。

しかし、人間はポジションという決め事に弱く、上位者には従う性質があり、忖度や同調といった上記弊害の原因になる行動は簡単には解消しないですし、現場から声をあげるような逆方向のコミュニケーションは相当程度奨励しないと起きません。

さて。

このピラミッド型の組織というのは、男性向けに設計されたものである、と私は感じます。なぜなら(数値的な根拠はありませんが、実感として)演繹的な戦略設計・上位下達による運用は、総じて男性の得意分野だからです。

これに反して女性の得意分野は、総じて共感、感情の察知、対話による合意形成などです。

ピラミッド型の組織では、女性の得意ポイントは、ともすれば上位下達という組織設計の意図と逆側に作用するので、ポジティブに捉えられない可能性がある一方で、上記(1)ー(3)の解決のためには、(女性の得意)ポイントから生み出される共感力の高いコミュニケーションが必要になります。

これが「女性」を主語にしたダイバーシティが取り沙汰される構造なのではないか、と筆者は考えます。

つまり、ピラミッド型の組織は、原則として男性が活躍しやすく、そのより良い運用のために女性の強みが発揮されるような構造を内包しているのではないか、ということです。

本稿のはじめに「「登用」という概念で「活躍」を定義している、その考え方・規範自体が、男性的な思想で設計された社会や企業組織の仕組みを女性に強いているのではないか、と感じます。」と記しました。

「登用」というのは、上位ポジションへの職責変更、という意味であり、ピラミッド型の組織を前提にした概念であり、それは女性に不利な土俵での話になっているのではないか、というのが、ここで主張したい点です。

筆者の周りでは最近、インナーブランディング、企業カルチャー醸成の重要さについての議論が盛んに交わされています。

これらはミッション・ヴィジョン・バリューなど、言語化された決め事を、それぞれのメンバーがどれだけきちんと言動で体現するか、ということが成否を分ける経営の一大テーマであり、女性が得意とする感情に寄り添ったコミュニケーションや対話による合意形成が要諦になります。

この点から、これからしばらくはピラミッド型の組織においても、女性の「登用」の重要性が増していき、その活躍が求められるのではないか、と考えます。

しかし、女性が真に力を発揮できるのは、ピラミッド型から脱却した、例えばティール組織(組織を一つの有機的な生命体のように捉え、ヒエラルキーを排した形で考える)のような中でなのではないか、とも感じます。

これらの形態の組織が増えていくにつれて、女性の活躍は加速度的に進んでいくのではないかと思います。

最後に。念のために申し添えますが、女性の中にも男性的な強みを持っている人もいるし、その逆のこともあります。上記に記した「総じての強み」は網ですくった時のざっくりした傾向です。

「強み」「弱み」というのは、本来は一人ひとりの特性を観察した上で個別に語るのがもっとも解像度が上がるわけですが、それは理想主義的・非現実的なので、性別を軸にした見方にも一定の価値がある、との考えから、このコラムを記しました。

読者の皆さんは、どのように考えられますか?

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