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回復の場所としての「職場」 ー映画『夜明けのすべて』

ベルリン映画祭にも参加した映画『夜明けのすべて』、試写を見た友人に勧められて公開2日後にTOHOシネマズ日比谷で、パートナーと観賞しました。

自分自身を重ねて見る映画

ぼく自身の話になってしまいますが、昨年から心の調子を崩し、疲れ具合によって、育児に対して強烈にイライラしてしまうようになりました。イライラしそうになったら自室に篭り、気持ちを落ち着けてまたリビングに戻る。時々メンタルクリニックに通って医師の方に相談し、漢方薬を処方してもらいながらイライラと向き合う日々です。

そんな日々は、上白石萌音さん演じる「藤沢さん」がPMSの症状でどうしようもなく苛立ってしまう姿に自分を重ねざるを得ません。また、もう一人の主人公である松村北斗さん演じる山添くんの、強がって自分の症状を周りに隠すような姿にも自分を重ねてしまいます。

そんな状態だったので、ずっと目に溜まった涙越しに映画を見ていました。山添くんがプラネタリウムの話をする姿を楽しそうにしているのを見て、渋川清彦さん演じる辻本課長が堪えきれず涙を流す場面がありました。悲しい過去を抱えた辻本課長が、何か許されたように震えて泣く姿にはもうたまらず、頬を伝ったぼくの涙は鎖骨のあたりに池をつくっていました。

看る/看られる映画体験

そんな体験もありながら、原作小説が「映画」になっていることの意味を感じさせられました。

「撮る」つまり「見る」ということが映画を映画たらしめる条件だと思います。映画における「見る/見られるの関係が反転する」といった構造は、「見るという暴力」を明るみに出す時に威力を発揮する構造だと感じます。

しかし、この映画は、「見る」ということのなかに「看護」の「看」のほうの「看る/看られる」という関係性がが内包されているのです。

イライラする予兆をたたえている藤沢さんは、もうそのときには自分のことが見えなくなっている。だけど、そんな藤沢さんの姿を「看る」山添くんは、藤沢さんを助け、お茶を買ってきて一緒に飲み、洗車をすることで、気持ちを落ち着けることができる。

山添くんと藤沢さんがお互いを「看る」「看られる」関係になることで、お互いを助けることができるようになっていく。こんなふうに「ケアし、ケアされる関係」として「看る・看られるの関係」を作り出した映画があったでしょうか。

同時に、ぼくたち観客も、山添くんと藤沢さんを「看る」ようになっていく。「あ、そろそろイライラしそうだな」「あ、このままいったらパニック症状がでてしまうんじゃないかな」と、心配しながら映画のなかに出てくる彼らを「看る」ようになっていくのです。

藤沢さんがひとりでみかんをたべながら線路沿いを歩く場面や、山添くんにあげるまえに自転車を丁寧に洗う場面、その自転車にのって忘れ物を届けにいく山添くんが風を浴びながらふと微笑む場面。こうした何気ない場面を見ながら、観客であるぼくたちは、彼らをケアし、その人生の幸せを願うようになっていくと同時に、「自分もまた、誰かに看られて、ケアされて、ここまで生きてきているんだな」ということを思い知ってしまう。

ぼくの苛立ちをいつも横でケアしてくれているパートナーが、ボロボロ泣くぼくを看て、ハンカチを渡してくれたことをきっとぼくは忘れません。

回る自転車、物語を動かす

ぼくがもうひとつ唸ったのは、自転車を巡る描写です。山添くんが藤沢さんの家にスマホを届けにいくところで、道路脇に、植物に覆われた放置自転車と、まだ覆われる前の放置自転車と、山添くんの自転車の3つが描かれてて。

「回る」と言うことがこの物語全体を貫いてるモチーフの一つだと思っています。自転車、プラネタリウム/ビデオカメラ/プロジェクター、そして地球。

最初のほうでは山添くんがエアロバイクに乗りながら辻本課長にZOOMで話している。まさにエアロ、空回る回転だった。そこで管を巻いても物語は進まなかった。

藤沢さんが唐突に渡した自転車、そのときに髪の毛を切ったことで山添くんの物語が動き出していく。藤沢さんの家にいくほどに、人との関係をとりもどしていったことを、動く自転車が象徴していた。他方で、それができなかった場合、山添くんは植物に覆われた自転車になっていたことも暗示されてた。

最後の最後、エンドロールで流れる栗田科学の中庭で、山添くんは衛生のように、いろんなひとのところに自転車で回って「コンビニ行きますけど何か買ってきますか?」って聞くんですよね。タイヤを回して、自分自身が回って、人に声をかけ、たずねる。藤沢さんがつくったきっかけから開かれて、こうやって回っていく宛先があることが、彼の人生をまた動かしていくんだなと思うと、映画館が明るくなっても涙を止めるのが間に合いませんでした。

「職場映画」として、多くの人が職場での挫折や人間関係に苦しみ、その職場を離れざるをえなくなるほどの状況を経験している昨今、職場が抑圧の場ではなく、職場が回復の場所になることを提示したこの映画は、希望そのものだと感じています。


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