謎の減税方針ーー「綸言汗のごとし」の呪縛
岸田首相肝いりの所得減税...1人あたり4万円の減税or非課税世帯への7万円の給付の方向で検討との報道が出ています.そして,この定額減税は来年半ばに始まり,時限的な措置(というか1年限り)となりそう.
もう頭が混乱してくるくらいの迷走っぷりです.定額給付政策の有効性や規模感の話は後回しとして……この方法は「1度限りの減税」のために法改正が必要になり,そのため実際の負担軽減まで時間がかかる.
1人4万円とか非課税世帯7万円の負担軽減を行うならば,給付でよいのです.これならば補正予算の審議によって可能となり,実施までのラグも短い.同じ政策目的を達成するためにわざわざコストの高い方法を選んでいる.これは全く合理的ではありません.
なんでこんな非合理的なことになってしまったのか……
訂正できない岸田政権
第一の背景は岸田内閣の支持率の低さ.発足後じわじわと上昇し,2023年半ばには59%(に達した岸田内閣の支持率は今年8月には33%にまで低下しました(NHK世論調査,他社も傾向は類似).支持率のてこ入れを図るには,今次の経済対策は大きな意味を持ちます.
低下した支持率のなかで,これまで一部のネットスラングに過ぎなかった岸田首相を揶揄する呼称……「増税メガネ」がマスメディアにも登場するようになってきました.このあだ名に苛ついてか,払拭を狙ってかはわかりませんが財政再建派と目されてきた岸田首相は経済対策の方針として9月頃から減税を強調するようになります.
やや唐突感のある「減税方針」について,9月から10月半ばまで多くのメディアは賃上げ促進税制を強調するものと受け止めていました.しかし,下のエントリで言及したように,賃金を上げた企業の法人税を減免することだけでは賃金の引き上げにはつながりません.予算規模も現行で6000億円,倍に拡大しても1兆円少々と経済対策としても小さい.
さらには法人税の減免を「税収増を国民還元」というのは「ピンとこない」というのが正直なところ.そのためか,岸田首相の減税への言及は次第に「所得減税」に向かうところとなります.
経済対策について報道の順をおっていくと……
・減税と言ってしまった
・所得減税をすると言ってしまった
ので,税収増の国民への還元は「減税」によって行わざるを得なくなった.その一方で,
・恒久減税はしたくない
ことから,どう考えても給付で行うことが合理的な政策を「形式上は減税と言える」手続きによって行うことになった.つまりは,過去の発言を訂正しないためにわざわざ政治的なコストのかかる選択をすることになっている.これは非常にマズい状態です.
本当の心配は……
日本の政治シーンにおいて,前言を撤回または訂正することは大きな失点と見なされます.状況が変化しても,より合理的な手法がみつかってもとにかく最初に言ったことを貫き通す(?)ことがやたらと評価される.
私はこの傾向は非常に危険だと思います.最初の主張と正反対の決断をする……というのはいかがなものかと思いますよ.しかし,大目標さえ同じならばその実行手法や形式はより合理的なものを選ぶべきだ.今回の問題で言えば「税収増の国民への還元」や「物価高に対する生活防衛」が大目標です.その方法の1つが減税ですし,別の手法が給付金なわけ.そして落ち着いて考えてみたら給付金の方が合理的なわけですから……ここは「スピーディーな対応のために今回は給付金方式」と主張を改定していくべきでしょう.
(そもそも恒久減税を行うべきだ/消費税下げるべきだ云々の話は本稿の論旨とは関係ないので別のエントリを参照ください)
日本での貴人の発言には「綸言汗のごとし」との印象がつきまといます.
「綸言」は元々は中国での皇帝の発言を指す.そして,皇帝の発言は「汗のように」一度出てしまったら引っ込めることはできない,ありえない・・・・というのが「綸言汗のごとし」の意味.
現代においても,この格言が日本の政治家・言論人等の発言を縛っている.元々は皇帝の発言を訂正・修正すると,その神性・絶対性が損なわれるため訂正できない/すべきではないという主旨の格言なのですが・・・これが転じて「発言を修正・訂正するのはよくないこと」という評価方針が生まれてしまっている.
そもそも,首相(ましてや学者や評論家)は神性もなければ絶対の存在でもありません.首相の発言は「綸言」なんかじゃないのです.本来ならば経済対策の具体案を示す前に「しれっと」訂正するべきでした.そして今でも何らかの方法で,減税から給付に論点をスライドさせるべきだと思うなぁ...この程度の訂正が出来ないリーダーには不安を抱かざるを得ない.
そして,この状況は現在の日本の政治・言論・メディアで嫌われる「訂正」が出来ないほど岸田政権が追い詰められているのではないかという点にもいても岸田政権の今後が心配されるところではあります.
おまけ:一律給付の経済効果
なお,一律給付型の政策は景気対策としては実効性が薄いです.実質的に同じ分配になる一時的な減税も同じ.このあたりは下記エントリを参照ください.
おまけ2:訂正可能性の哲学
日本社会における訂正可能性の低さについて,訂正の必要性について哲学的に思索しているのが下記の2冊.人文系不要論に対する人文系からの提言でもあるので,ご興味の向きはご一読されると良いかと思います(書評は来週のどこかで書きます)
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