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野中先生の偉大さについて考えたこと

「知識創造経営」の第一人者である一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生が1月25日に亡くなった。御冥福をお祈りします。

「失敗の本質」「知識創造企業」「野生の経営」の3冊は愛読書で、何回も読み返している。

中でも失敗の本質は夏休みや正月休みなど長期休みの度に読み返して、良い仕事とは何かを考えるきっかけにさせてもらっている。

何回も見返している失敗の本質に書かれている7要素

野中先生のファンとして、改めてその凄さ、学びなどを書いていきたい。

武士道・茶の本・知識創造企業

野中先生の偉大さを歴史の中で考えてみると、武士道を書いた新渡戸稲造、茶の本を書いた岡倉天心と似ているのではないか。

新渡戸稲造は1899年に「武士道」を英語で著し、武士道精神を通じて日本文化の倫理観を世界に発信した。

岡倉天心は1906年に「茶の本」を英語で著し(The Book of Tea)、茶道を通じて日本文化の精神性を世界に発信した。

野中先生は1995年に「知識創造企業」を英語で著し、日本企業独自の知識創造プロセスとイノベーションを生み出す構造を世界に発信した。後に世界10カ国語以上で翻訳される。

世界に日本人として与えた影響として、明治・大正において日本独自の美意識を世界に発信したのが新渡戸稲造、岡倉天心であり、昭和・平成・令和において日本独自の美や知の在り方を世界に発信したのが野中郁次郎であったのではと考えている。

3人とも日本独自の考え方を体系化し、最初に日本語ではなく英語で発信し、世界で評価を受けているから驚きだ。

新渡戸稲造、岡倉天心が活躍した明治時代は欧米こそが世界の中心であり、東洋の文化は遅れていると捉えられていた。
野中先生が知識創造企業を出した当時は、日本の経営理論は全くと言って良いほど評価されていなかった中で一石を投じた。

この背景を理解すると、偉大な3人の思想を学ぶことが「日本の独自性とは何かを考えること」に繋がると思えてきた。

いくつか自分自身の学びをまとめていきたい。

科学・客観ではなく、アート・主観

3人に共通しているのは、科学的・客観的な思考を重視する欧米に対し、日本思想は違うと提示したこと。

例えば、岡倉天心は茶道において「不完全なもの」と美の関係を見出している。

真の美は、不完全を心の中で完全なものにする人だけが見出すことのできるものでした。

茶の本

野中先生は、人がもつ「主観」「暗黙知」を入り口とすることからイノベーションを生み出す考え方と似ている。

著書の中で、欧米の効率追求モデルへのアンチテーゼとして、人間的な共感や直観を重視し、3つの過剰(オーバー・プランニング・コンプライアンス・アナリシス)を批判していたことが印象に残っている。

数値データのみから経営の未来を見通すことはできない。どんな環境でも対応可能な、絶対的な経営手法や魔法の道具はないからである。しかし、日本企業は人間一人ひとりの主観や直観といった暗黙知を捨象し、客観的分析モデルをつくることが企業経営だという潮流に傾いた結果、オーバープランニング(過剰計画)、オーバーアナリシス(過剰分析)、オーバーコンプライアンス(過剰規則)という「三大成人病」に陥った。

野中 郁次郎; 川田 英樹; 川田 弓子. 野性の経営 極限のリーダーシップが未来を変える

もう一つ日本人が大切にする「場」の価値についても考えていきたい。

主客一体と知的コンバット

茶道から生まれた「主客一体」の言葉。
武士は茶室の中では、主人と客人が対等の関係となり、人間同士の対話を行ったとされる。

さらに茶道は、主客の身分の上下を問わず、すべてを風雅の道の貴族として遇するので、東洋的な民主主義の真髄を現わしているもの、と言えましょう。

茶の本

野中先生は、「知的コンバット」と表現し、忖度や妥協を許さない、真剣勝負としての知的な対話の場の重要性を説いた。

全身全霊で相手の視点に立ち、何とかしようと悩み、葛藤が生まれます。私は全身全霊での対話を「知的コンバット」と呼んでいます。すると、現象学でいう「フロー状態」になり、高いレベルの共感が生まれ、次のステップである「表出化」に移行できるのです。

野中郁次郎. 『失敗の本質』を語る なぜ戦史に学ぶのか (日経プレミアシリーズ)

知的コンバットは、SECIモデルの共同化のフェーズにあたり、この領域は日本の哲学者・西田幾多郎の影響を受けているとのこと。

SECIモデルと哲学の関係を筆者図解

改めて考える日本らしさとは?

身体知・暗黙知を育て、活用することが生成AI時代に求められることなのだと考えている。

野中先生は一人称の大切さを説いている。

組織の中で1人称の発想が薄れると、面白いことが生まれず、変化も起きにくくなる。

筆者図解

そして、海外に日本独自の美・知の在り方を伝えた先人の姿勢から学びを一言でまとめると、「中途半端に米国から輸入したフレームワークや理論にありがたがって頼るのではなく、日本人らしく考えること」ではないだろうか。

改めて、野中先生の著書を読み直しながら、日本人らしく考えることの強みを捉え直したい。