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最低賃金1000円は諸刃の剣。喜んでばかりはいられないアルバイト

中央最低賃金審議会が、2019年度の全国の最低賃金の目安を27円引き上げて時給901円にする方針を決めた。東京都と神奈川県は初めて1000円を超え、我が大分県も762円の時給が788円に上がる。このニュースを聞いて、多くのフリーターや大学生は喜んだことだろう。

最低賃金の上昇は、世界的な傾向だ。ワシントン州やカリフォニア州の一部の市では時給15米ドル以上であり、大分県の約2倍だ。フランスは時給11.2米ドル程度、ドイツが時給10.3米ドル程度となっている。日本は上昇したとはいえ、米ドル換算でいうと時給8.46ドルであり、英国と同程度だ。

まだまだ先進国の中では低水準であり、厚生労働省としては、もっと引き上げたいというのが本音のだろう。記事にもあるように全国平均で1000円を達成するというのが、政府の目標だ。

それでは、なぜ日本の最低賃金は他の先進国と比べて、そんなに低いのだろうか。企業が内部留保ばかりを増やしているためだろうか?はたまた、経営者ばかりが富を独占しているからだろうか?過去最高の売上高と売り上げ利益を更新する大企業が多い中、給与はもっと上がっても良いはずだという声は根強い。しかし、実際のところとしては、多くの企業にとって「払いたくても払えない」というのが実態ではなかろうか?


見た目ほど儲かっていない日本企業

企業規模に関係なく、零細企業も、中小企業も、大企業も、賃金を決めるときに共通する重要な要素がある。どれだけ売り上げが出ようとも、これがないと、従業員に賃金を支払うことができない。それは、預金口座に入っている現金だ。

財務諸表や有価証券報告書などの公開されている財務情報を見てみると、企業がどれくらいのお金を持っていて、1年間でどれくらいのお金が出たり入ったりしたのかがわかる。この出入りのことをキャッシュフローと言い、特に、営業活動により獲得したキャッシュフローから、事業維持のために投資にまわしたキャッシュフローを差し引いたフリーキャッシュフローが重要になる。売上高が増えていても、このフリーキャッシュフローが安定的に黒字である企業は意外と少ない。

例えば、デンソーは直近5年間(2015年~2019年)で、ほぼ増収増益傾向にあるが、フリーキャッシュフローは安定していない。2015年は約2716億円だが、2016年は約80億円だ。翌2017年は約3597億円と急増しているが、2018年は約289億円と落としている。この上下をしっかりと理解するためには財務情報を読み込む必要がある。しかし、それでも現金の流れが安定しない状態で、おいそれと従業員の給与水準を一律で上げるわけにはいかないことは見て取れるだろう。

また、近年、コーポレートベンチャーキャピタル(CVC)や海外企業のM&Aといった投資活動も活発になってきている。これらの活動も現金が必要になる。つまり、投資をすればするほど、フリーキャッシュフローは一時的に悪化するので、従業員の給与を上げたくても、原資がない。給与を上げたくても、お金が足りない。

下請けや受託業が主な事業となっている中小企業にとっては、より死活問題だ。顧客からのコスト削減の要望と、より高付加価値な製品を創り出すための投資を行う必要があるため、キャッシュフローに余裕があることは少ない。


給与を上げても生産性は上がらない

給与を上げる時の問題で厄介なことの1つが、給与を上げることは基本的に、従業員のモチベーションを高め、成果をあげることに効果が薄いということだ。アメリカの臨床心理学者、フレデリック・ハーズバーグが1950年代末に明らかにした、モチベーションの二要因理論によると、給与は従業員のモチベーションの低下を防ぐ効果はあるが、向上させることがない衛生要因であると指摘されている。給与が上がった直後は、一時的に仕事に対するムードが高まるかもしれないが、それは持続的なモチベーションとはなりにくい。

給与を上げても、成果に変化がないのであれば、それはコストが上がっただけだ。給与を上げるのであれば、それ以上に成果を伸ばしてもらわなければ、経営状況が悪化するだけである。


人に仕事を付ける働き方との決別

それでは、どうすべきかというと、人に仕事を付けるという従来の在り方ではなく、仕事に人を付けるという欧米のやり方に近い方法がとられることになるだろう。支払う賃金に応じて、仕事内容と責任、権限を決めるのだ。給与は個人の能力で決まるのではなく、組織内で果たす役割と職務(仕事内容)、責任と権限で決まる。その流れを後押しするかのように、新しく同一労働同一賃金の法整備もなされたばかりだ。同一労働同一賃金とは、正社員や非正規社員などの雇用区分ではなく、従事する職務内容に応じて賃金を支払おうという制度だ。正社員と非正規社員との間の所得格差を是正することが期待されて導入された。

しかし、前述したように、企業は給与を上げたくても、そもそも上げるためのお金に余裕がない。人件費の上限は、総額人件費と呼ばれ、1年間でどれだけ支払うことができるのか予算が決められる。独立行政法人 労働政策研究・研修機構によると、企業において生産された付加価値全体のうちの、どれだけが労働者に還元されているかを示す割合である労働分配率は、日本は他の先進諸国と比べても低いわけではない。総額人件費を上げることは、簡単な経営判断ではない。

最悪、最低賃金が上がったからと、アルバイトの仕事量や責任負担が増やされ、正社員との差別化のために業務が完全に切り離されるという、労働環境が悪化するシナリオも想定すべきだろう。労働環境改善のために、最低賃金上昇と同一労働同一賃金が行われたのに、逆効果となる可能性もある。


最低賃金上昇と現場のテクノロジー化はセットで進める

順当に考えて、総額人件費に大きな変更を加えず、最低賃金を上げるということは、現場の労働力を減らすしか選択肢はない。当然、そこで現場の人員数を減らし、ワンオペレーションを導入しようものなら、提供するサービスの質が低下することは避けられない。また、そのような労働環境で働きたいと思う人も少ないため、採用難と人手不足の深刻度合いも増すだろう。

そうすると、現場の業務負担を減らし、効率を上げるためのテクノロジー導入が必須となる。幸いなことに、AIやロボット、ドローン、IoT、ICT、VR/AR、自動運転技術、Fintech と、業務を効率化させるための技術は世の中に溢れている。

問題なのは、導入する人の心だ。特に2つの障害があると思われる。

第1の障害は、現場からの反発である。現場の立場からすると、これまでの慣れ親しんだ業務プロセスを否定され、行動変容をすることになるために当然抵抗がある。導入するテクノロジーは、極力、現場の負担にならないようにする。アルバイト初日でも直感で操作ができるほど、操作を簡易なものとする。現場の人たちへ現場責任者が理解を求めるコミュニケーションを図る。テクノロジー導入のために、混乱と負荷を減らすことに経営層は手を抜いてはならない。当たり前のことだが、意外とできていないことが多い。近年増えてきた、スーパーやファストファッション店における無人レジでの混乱を思い出して欲しい。経営者が伝えるべき現場へのメッセージは、「テクノロジーを使ってもっと効率化しろ」ではなく、「テクノロジーで面倒で大変な仕事はしなくて良いよ」というポジティブな色合いが濃くなくてはならない。そして、空いた時間で、顧客が過ごしやすい店舗作りやイベントの企画など、楽しい仕事がアルバイトであっても実現できるよと示してあげる必要があるだろう。

第2の障害は、経営層の当事者意識の問題だ。テクノロジー導入の問題で多いのは、若い人に任せっきりになってしまい、経営層が理解していないために重大事案が起きてしまうケースだ。経営層が「自分はできないよ」と諦めているのに、意思決定権を持っているために、見逃してはいけない重大な問題を見落としてしまうことがある。見落とすだけなら良いが、企業倫理に反した意思決定をしてしまうこともある。某コンビニのQR決済サービスや某新卒求人サービスの個人情報取り扱い問題など、テクノロジーの活用について、経営者が当事者意識を持ち、ガバナンスが機能していれば防げたであろう事件が相次いでいる。

PwCの調査によると、世界のCEOの約7割が従業員のスキルセットを改善すべきだと考え、特にテクノロジーに関するスキルを身に着けるべきだと危機感を抱いていると報告されている。

しかし、テクノロジーを活用する企業の在り方は、従業員だけではなく、経営者にも変革を求める。テクノロジーに対してオープンな姿勢を持ち、受け入れ、活用していくスタンスは、今やすべての働く人が持つべき必要条件となっている。


最低賃金を本格的に上げたいのであれば、テクノロジーの導入と活用に二の足を踏んではならない。また、多少の失敗が出たとしても、それでブレーキを踏んでいられるほど、悠長な状態にはないと言える。テクノロジーの活用による、業務改革と組織変革、働く人々の意識改革及びスキル開発なくして、最低賃金だけを上げた先に待っているのは、悲惨な労働環境と疲弊した日本企業の現場サービスだけだろう。

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碇 邦生(大分大学)

大分大学経済学部の講師(人的資源管理論)をしています。採用や育成などのタレントマネジメント、地方創生・地方発ベンチャーなどの話題を中心に取り上げていきます。自動車メーカーやシンクタンクを経て、30代で大学教員とジョブホッパーです。 ※日経のキーオピニオンリーダーに選出されました。

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