日本が直面する新しい外貨流出源の今~デジタル、コンサルそして研究開発~
重要性では「その他サービス収支>旅行収支」
本稿執筆時点では訪日外国人観光客(インバウンド)需要が急回復している様子が日々報じられており、旅行収支黒字が経常黒字の確保に寄与することが期待される状況にあります。インバウンド依存の状況には副作用も伴うと思われますが、今や日本が能動的に稼ぐことができる外貨の経路は旅行収支くらいしかないため、その動向は日本の未来を語る上で非常に大事であることには変わりないでしょう:
日本の経常収支を語る上では実態として黒字を支える第一次所得収支や旅行収支、そして赤字の行方が着目される貿易収支などが話題になりやすいと言えます。このうち旅行収支はサービス収支を構成する3項目の1つであり、残り2項目が輸送収支とその他サービス収支です。サービス収支を議論する上ではどうしても旅行収支の動向に注目が集まりやすく、これら2項目は軽視される傾向にありましたが、サービス収支全体ひいては経常収支全体に与える影響という意味では旅行収支よりもその他サービス収支の方が遥かに大きな影響力を持ち始めている実情があります。
今回のnoteではこれを紹介してみたい。キーワードはデジタル、コンサルティング、そして研究開発です。
先般明らかになったばかりの2022年度を例に取ると、サービス収支の赤字は▲5兆2765億円に達しています。このうち旅行収支は+1兆4303億円、輸送収支は▲9271億円、その他サービス収支は▲5兆7797億円でした。もはやサービス収支の帰趨はその他サービス収支が握っていると言って良いでしょう。ちなみに旅行収支が最も大きな黒字を稼いでいた2019年度でも+2兆4571億円なので、仮にピーク時までインバウンド需要が回復してもその他サービス収支赤字の半分程度しか相殺できない計算になります。旅行収支黒字が往時の勢いを取り戻し、サービス収支全体が押し上げられるという構図は2018~19年には見られたものですが、今後は難しいように思えます。10年前の2012年度と2022年度を比較した場合、旅行収支が▲1兆69億円から+1兆4303億円へ黒字転換しているのは特筆されますが、その他サービス収支の赤字は▲1兆9026億円から▲5兆7797億円へ3倍弱に膨らんでいます:
変化の速度や規模で言えば、どちらに注目すべきなのか議論の余地はないものの、後述するようにその他サービス収支拡大の要因が多岐にわたるためか、これまであまり注目されてきませんでした。
より俯瞰すれば、2022年度の経常収支がピーク時(2017年度)の+22兆3995億円から+9兆2256億円まで縮小していることを思えば、サービス収支だけで▲5兆円以上の赤字に達しており、その殆どがその他サービス赤字で説明できる状況はやはり看過できるものではないでしょう。
新たな外貨の漏出、デジタル・コンサル・研究開発
その他サービス収支赤字の拡大要因は多岐にわたります:
新聞報道等で注目され始めているように、デジタル赤字と称される項目の影響は確かに大きいものです。上述したように、2012年度から2022年度の間にその他サービス収支赤字は約3.9兆円(▲1兆9026億円→▲5兆7797億円)拡大していますが、このうち通信・コンピューター・情報サービスが約1.4兆円(▲2892億円→▲1兆6610億円)と増分の4割弱を占めます。このほか専門・経営コンサルティングサービスは2012年度からのデータが入手できないので最も古いデータである2014年度と比較するとやはり約1.4兆円(▲4585億円→▲1兆8477億円)拡大している。この専門・経営コンサルティングサービスにはインターネット広告への支払いも含まれており、いわゆるデジタル赤字の性格も含むものとして紹介されます。しかし、近年、日本で事業拡大する外資系コンサルティング企業が日本で売上を記録した場合、その一定割合が本国への上納金として送金されているはずであり、その寄与も相当に大きいのではないかと推測されます。その意味で通信・コンピューター・情報サービスは紛れもなくデジタル赤字ですが、専門・経営コンサルティングサービスをそのようにラベリングするのは難しいと言えます。後者のデジタル関連割合を特定することは公表統計からでは難しいものがあります。
ちなみに研究開発サービスの赤字も2012年度から2022年度の間に約1.2兆円(▲5395億円→▲1兆7671億円)拡大しています。日本おける民間部門の研究者数は全く伸びておらず、これが諸外国対比で見ても異様な状態であることは既に文部科学省の報告書などで指摘されています:
研究開発拠点としての脆弱性も増す中、研究開発サービスの受取よりも支払が増えるのは必然です。これまで「モノ作りは海外だが、頭脳労働は国内」という暗黙の了解があったように思われるものの、統計を見る限り、頭脳労働についても流出が始まっているようにも見えます。
唯一の黒字も頭打ちか
ちなみに、その他サービス収支で唯一の黒字を稼ぐ知的財産権等使用料も楽観はできません。知的財産権等使用料は特許権などの産業財産権等使用料と音楽や映像の使用権などを含む著作権等使用料から構成されます:
図に示されるように、日本の知的財産権等使用料は産業財産権等使用料で黒字を記録する一方、著作権等使用料で赤字を記録する構図であり、近年、著作権等使用料の赤字が膨らんでいます。産業財産権等使用料とは日本企業が海外子会社等から受け取るロイヤリティであり、親子間取引の結果です。日本企業の海外生産移管の結果であり、アジアや北米からの受取が多いことで知られています。
片や、著作権等使用料は「ソフトウェアや音楽、映像、学術を複製して頒布するための使用許諾料」と言われ、近年利用の増える海外企業による音楽や動画配信サービスを利用した時の支払いはここに記録されます。この点でややデジタル赤字のフレーバーもあると言えるでしょう。著作権等使用料の増勢が続けば、知的財産権等使用料の黒字は徐々に水準が切り下がることが予想されます。
円相場の先行きは金利だけからでは占えず
以上のように、デジタル関連分野やコンサルティング分野、そして研究開発分野といった、これまでさほど注目されていなかった項目から外貨が漏出する構造が根付き始めているのが近年の日本の対外経済部門の実情と言えます。昨年来、為替市場では「春には米国が利上げを停止する。これに伴い米金利も低下し、ドル安・円高が進む」という見通しが支配的でした。以下の記事に出てくるグラフは象徴的です:
筆者は今回や過去のnoteでもご紹介してきた国際収支上の変化がどうしても気がかりで、果たして米国の政策金利動向だけで円相場の現状や展望を語るのは難しいと考えて参りました:
実際、年初4か月半が経過しても円高は全く進んでおらず、ドル/円相場は年初来高値を更新するような状況にあります:
米金利に関する市場予想(春先に利上げ停止)がほぼ的中しているにもかかわらず、です。日米金利差とドル/円相場の安定した関係性から先行きを占うという目線も引き続き重要なアプローチだとは思います。しかし、今回紹介したような論点も踏まえながらストーリーを作っていくことも重要になりつつあるというのが筆者の基本的立場でもあります。