涙もろくなった中年は、今日も美術展を目指す
涙もろくなった。
確かにそうだと思ったのは、つい最近のことかもしれない。これまではどうってことなかったできごとに、いちいち目をうるませる。再開した海外出張中の機内で見ていたPerfumeのドキュメンタリービデオ。ひたむきに頑張る姿に号泣してしまう。通りかかったCAさんの怪訝な表情が痛い。慌てて手元の毛布で顔を覆う。Netflixで世界デビューを果たした「はじめてのおつかい」なども、かなりくるものがある。
40歳も半ばとなり、確かに若い頃とは違うのだという現実に直面する機会も増えた。幸い健康ではあるものの、朝起きたときの腰のこわばり。小走りしたときの足のもつれ。体は正直とはよく言ったもので、認めざるをえない。
年をとって涙もろくなったというのは、要するに脳機能の衰えということらしい。
科学は事実を容赦なく突きつけてくる。そうですか。
脳は衰えど、感受性は保ちたい。昔から美術展やアートは好きで、週末に出かけることも多い。知識や経験が増えたせいだろうか。同じものをみても違った印象を持ったり、新たな発見があったりする。アートも情報も生み出された瞬間からそれ自身が変化することはない。変化しているのは、受け手である自分自身なのだ。
この週末は東京都美術館で開催中の「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」 を鑑賞してきた。実に30年ぶりのシーレ展。前回東京では渋谷のBunkamuraで行われたようで、今回一緒に行った人がそのときの様子を教えてくれた。
その前の週は、東京国立近代美術館に「大竹伸朗展」を見に行った。これも16年ぶりの大回顧展ということで、充実のラインナップ。前回、東京都現代美術館で開催された「全景 1955-2006」は広大な美術館すべてを使い切る圧巻の展示。いまでも克明に記憶しているが、今回はインスタレーションや音の展示をうまく組み合わせた素晴らしい企画だった。
自分にとってのアートとは、自身にない新しい視点を提供してくれるものであり、また自身の変化に気づく羅針盤でもある。その意味で、常設展示や直島のようなアートサイトは大変貴重である。
長引くコロナ禍の影響を受け、大量動員で収益をあげていた特別展は厳しい状況にあるという。また、物価高の影響がここにもきており、海外からの輸送費はもちろん、美術品のコンディションを保つために必須の空調に必要な電気代の高騰も課題だ。
ときに、産業資本と社会文化資本は対立構造となる。しかし、多くの人々に門戸を開き続ける努力を続け、多様な視点に触れる機会をつくり続けることが、特に不確定な今の世の中には大切なのではないかと思う。
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※ タイトル画像は筆者撮影
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