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国家のリーダーに私たちは何を求めるか

 自民党総裁選の話題が連日紙面を賑わせている。菅首相が、内閣改造とか解散総選挙を総裁選の前に行うとか、権力を維持するために様々な策を弄して動かれていたのを見ながらものすごく違和感を感じていたが、ここにきて、菅さんに代わる総裁選候補がだいぶ出揃ってきて、これはこれで健全な姿なのかもしれないが、ここにも違和感を感じながら今日に至っている。

 最初に申し上げておくと、この状況は私は楽しんでいる。そして、現時点では岸田さん、高市さん、河野さんの候補者三名が、政策を打ち出し、メディアを通して私たちに訴える姿は、昨年の総裁選には感じなかった風を感じ、どんどんやってほしいと思う次第だ。昨年の総裁選は、安倍さんから菅さんに禅譲されていくことが見えていたから、政策論争はほぼ全く見えなかったということだろう。改めて私も、去年どうだったっけかな、と調べてみたくらいだ。

 で、様々な争点に基づき総裁選がフラットに行われるのは、昨年の総裁選と比べると国民に開かれているように思うし、コロナという国、いや世界を揺るがす有事に国民も政治について関心が高まっている中、

 ・そもそも争点はどこであるべきなのか(例えば靖国参拝が論点になるのか)
 ・各候補者がどんな政策を持っているか、それはどうか
 ・各候補者がリーダー(首相)になったら、この国はどう変わるだろうか

ということを注目しながら総裁選を見定めていくのは、国民としてとてもいい政治を学ぶ題材になるし、そこからの衆議院議員選挙がどうなっていくか、を通じて、より深い国会への認識とつながるだろう。

 もちろん、自民党員でなければ総裁選には参加できないわけだが、「国民の声」として間接的には参加できる。それは総裁選に影響を与えることも可能だ。だから私たちは対岸の火事ではなく、この総裁選をしっかりと見定める必要がある。

 そんなわけで今、政策に関する打ち出しが始まっているので、これはこれでとても注目して見ているわけだが、ではなぜ違和感を感じているか、というと、

 「自民党の方々は、なんで総裁選になるとこんなに盛り上がるのだ?
ということである。

 選挙というのは権力闘争。だから、綺麗事を言っても仕方なく、「勝つ」ことが大事なんだと。そして自民党は権力にむちゃくちゃ執着するのである。だから強いのであると。そう言う方がいる。確かにそういう要素はあるのかもしれない。

 菅さんは、とにかく権力闘争を勝ち抜くことだけを考えられていたような印象がある。首相として活動されていた時には全く想像がつかないようなエネルギーがそこには感じられた(あくまで様々な記事から伝わってきた印象にすぎないが)。その「権力のために権力を求めた」結果、自民党内部で全力で羽交い締めにあい、退任を余儀なくされたということなのだろう。

 この記事にあるように、小泉元首相も同じような状況にある中で、郵政民営化という論点をしっかりと出し、その旗印で押し切ったと。その論点を出して目的のために権力闘争を行うか、単に権力に執着するために権力闘争を行うか、の違いは大きい。首相の権力はなんのためにあるのか、というと、国をリードしていくためなのだ。その目的がないと存在価値はなくなってしまう。

 そして国民からすれば、菅内閣を支えるのは政権与党である自民党である。菅内閣の成果は、一義的には菅首相及び内閣の責任ではあるが、自民党の議員たちは、この内閣が最後これだけ支持率の低下を招いた中で、内閣を支えるなり、逆に不満があるなら批判するなり、政治家として意思表示している様子はあまり見えず、ただ浮遊している印象だった。それは岸田さんや高市さんのことというより、自民党全体として現状をどうしたいのか、エネルギーが感じられなかった。

 それが、総裁選になるといきなりエネルギー全開かよと。コロナ対策やオリンピックどうする、みたいな時には何も見えなかったことが、派閥がどの候補者を推す推さない、ということは国民にもすぐ入ってくるわけだ。もちろん総裁選であるから派閥とか候補者にフォーカスされるのは当然として、それにしてもこの1年、政権与党としてこの難局をどう乗り越えていくか、自民党としてのエネルギーはもう風前の灯火なのかな、と感じるくらいだったのに、総裁選になるとやおら「ギラギラ」エネルギー満開の印象だ。権力闘争、選挙は手段のはずなのに、目的なのか、と思えてくる。

 そして河野さんは現在、コロナワクチン対策担当大臣である。菅さんが「コロナ対策に専心するので総裁選には出ない」と言っているのに総裁選出馬、とはどういうことだっけ?と感じる。もちろん菅さんがそう仰ったのは方便であるだろうし、それによって河野さんが総裁選に出る出ないが影響するのはおかしいが。

 要するに内閣だろうが、そうでなかろうが、政権与党の「政治家」としてちゃんとエネルギー発揮しようぜよ、と思うわけだ。こんなにエネルギーがあるのなら。そしてそれが僕ら国民の観察不足、ということなのだとしたら、総裁選を勝ち抜き、総選挙を終えて首相に就任した暁には、この選挙におけるエネルギーを、国政にいかしてほしいと思っている。総裁選は盛り上がっていたが、新体制になったらまた浮遊しているような状況は、首相にせよ、内閣にせよ、自民党にせよ、避けて欲しいのが国民の声なんだと思う。

 それがまさに、この世論調査にあらわれている。

 第一位が説明能力、第二位が指導力。
説明能力、とは単に「話のうまさ」ということではない。オープンマインドで、国民の感情を理解したうえで、国民がどう考え、どこに向かうべきなのかをしっかり向き合い、寄り添いながら言葉の力をもって進めていく能力だ。

 菅さんはそこが弱いと感じた。有識者の中には、政策実行力としては菅内閣は非常に高いものがあり、成果を出したと言う人は多いし、それは否定しないが、説明能力がないと国民は信頼しづらい、ということだ。だから、官房長官として本当に素晴らしい能力を発揮されても、そして首相になられて様々な政策を実行されても、支持率は低水準に終わった、ということだ。

 それは「指導力」=リーダーシップにもつながる。
これが平時だったら、おそらく菅内閣の評価は違ったものになったと思う。しかし現在は圧倒的な有事だ。

 リーダーシップの要諦は、
「有事はFollow Me、平時はAfter You」
だ。今は、Follow Me、すなわち「淡々と仕事するぜ!」ということではなく、「おいらについてきて!」というリーダーシップが必要なのだ。そのFollow Meは「ここに」行くからついてきて!とうことで「説明能力」とセットなのだ。

 派閥争いや権力闘争に終始するのではなく、そこは手段と割り切り、これからの日本をどうつくり、どう導いていくのか、そしてそれをどう、国民に向き合ってコンセンサスを得ていくのか、Follow Meのリーダーシップを、新総裁(そしておそらく新首相となる)には期待したい。

 国民を信じ、国民と向き合い、国家を果敢にリードしてほしい。

(Photo by Aflo)

 

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