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人生100年時代の「パラレル・エイジング」と「エイジングのポートフォリオ」

お疲れさまです。メタバースクリエイターズ若宮です。

今日はちょっと「パラレル・エイジング」について書いてみます。

みなさんは「パラレル・エイジング」という言葉を聞いたことはありますでしょうか?

…え、無いですよね?

それもそのはずで、僕の勝手な造語だからです。最近感じているキャリアの感覚を「パラレル・エイジング」と呼んでみているのですが、これは年を重ねることを一つの軸だけでなく、複数の軸で捉えた方がいいのではないかという考え方です。


メンターと駆け出しのスタートアップという二つの顔

昨年の4月に新たに『メタバースクリエイターズ』というスタートアップを立ち上げ、もうすぐ1年になります。いわゆる「シード」と呼ばれるまだまだ赤ちゃんのフェーズです。

人間でもそうですが、赤ちゃんの時は変化が早く、か弱くて不安定です。40代の人を数日ほっておいても大丈夫でしょうが、赤ちゃんを1日ほっておいたら死んでしまいます。スタートアップのシード期は毎日めまぐるしく試行錯誤の連続で、思うようにいかないことばかりですが、その分とてもエキサイティングでもあります。


自らチャレンジャーとして起業家として走っている一方で、女性起業家のアクセラレータープログラムでメンターをお願いされたり、大企業で新規事業の戦略のアドバイスをしたり、大学や大学院では客員教授としてアントレプレナーシップを教えていたりもします。

チャレンジャーとメンターの「二足のわらじ」を履いて走っていて、実は昨年はちょっと居心地の悪さというか、自己矛盾めいた気分になることもありました。

自分がまだまだスタートアップの初期段階でもがいているのに、先のステージに進んでいる起業家や大企業にアドバイスをするのはおこがましいんじゃないか?とすごく僭越な気持ちになるわけですね。



もちろん、実行とメンタリングは異なります。スポーツでも選手とコーチや監督のスキルはちがいますし、一流選手の指導をする人がそれを越える一流のプレイヤーでなければならないというわけではありません(でなければ誰が大谷選手に教えることができるでしょう)。

というかもっと言えば、アドバイスをするためには必ずしも経験が必須といういうものですらありません。理論的にはサッカーしたことがない人でもサッカーを教えることは可能です。医師が診断や治療のアドバイスをするためにいったんその病気になってみる必要はないですよね。

とはいえ、一般にはアドバイスというのは経験に基づいてなされるものでしょう。実際、僕がメンタリングをする時にも、これまでの事業の経験や失敗をもとに話していて、だからこそ説得力を感じてもらえるのだと思います。

なので両方を同時にやるとどうも居心地が悪くなります。学校や塾の教師が教え子と一緒に模試を受けてもし子どもたちより点数が悪かったら…
どうも説得力がないですよね…。

で、そういう感覚について色々考えていて、自分がまだ駆け出しなのに人にアドバイスをしていいのか?と矛盾を感じるのは、経験の積み重ねを「一つの年齢軸」で考えすぎているからではと思ったのです。

平野啓一郎さんの「分人主義」のように、僕たちは多面性を持っています。であれば、人を一つの時間軸で考えるよりも様々な「経験の時間軸」があると思うほうがいいのかもしれません。


エイジングは一つではなく、複数あっていいのでは?

「分人主義dividualism」とは、人は一つの人格統一体ではなく、その時々色々な存在であるという考え方です。

分人主義(ぶんじんしゅぎ)/dividualism(ディヴィジュアリズム)。 たった一つの人格indivisualを持つのではなく、対人関係ごとに異なる人格dividualを分けることができるという考え方のこと。

「分人主義」は「個人」の対義語として考えられます。「個人」は英語では「in-dividual」といいますが、これはdivideの否定形であり、「分けられないもの」という意味です。これに対し「分人主義」は人は「分かれている」という風に考えます。


「分人主義」と同じように、人の中にはさまざまな「年齢」が併存しているというのが「パラレル・エイジング」の考え方です。


僕らは普通、「一つの年齢」で人を定義してしまいがちです。「まだ子どものくせに」とか「もういい歳なんだから」とか。でも物理的な年齢が必ずしも経験と比例するわけではありませんし、その蓄積は同時でもなければ同じスピードでもありません。

僕はこれまで色々な事業の経験がありますし、メンタリングの経験も豊富です。しかし一方で「メタバース起業家」としてはまだまだ赤ちゃんで試行錯誤な部分もあります。これは別に矛盾せず、それぞれ別の時間軸として併存しているのですよね。

年齢軸が一つしか無いと考えると、歳をとって知らないことがあっても謙虚に学べなくなったり、あるいは相手の年齢が若いと低く見るようなことになりかねません。でも物理年齢に関係なく、若くしてある分野では圧倒的に経験豊富であることもあります。


年齢の軸を分けて考えないと「老害」になる?

たとえば歳を重ねた政治家は政治ノウハウについてはベテランかもしれませんが、ダイバーシティの観点ではまだまだ「赤ちゃん」かもしれません。それにもかかわらず、実年齢と経験の時間軸を分けて考えることができずに年齢だけでマウントする人も結構多い気がしますが、これこそいわゆる「老害」ではないでしょうか。

経験を積んできたことに価値が無いといっているわけではありません。その分野について蓄積された経験や知見は尊敬に値します。しかし、時代が変わったり新しいテクノロジーが生まれたら、それに触れる時また「0歳」から学ぶべきことはたくさんあります。本当はまだまだ初心者なのに、別でそれまでに重ねた経験や年齢を頼みにして、したり顔で指示を出すから「害」になってしまうのです。

僕は最近メタバースにいることが多いのですが、メタバースにおいては「物理年齢」はあまり関係ありません。しょっちゅう遊んでいた海外の友達が実は物理世界では中学生だった、ということはよくあります。しかしメタバースでの経験は僕よりも長くて、そこではいわば「年上」だとも言えます。物理的な世界では見た目や身体の衰えもあるのでエイジングを身体から完全に切り離すのは難しいかもしれませんが、メタバースでは物理身体の年齢とはすでにエイジングの概念は分かれているといってもよいかもしれません。


企業の事業のように、エイジングもポートフォリオで考えてみる

僕は大企業で新規事業を多くやってきましたが、企業の中には実はたくさんの時間軸の事業が並行して存在しています。母体が大企業だからといっても、事業によっては「赤ちゃん」のものがあったりと時間軸は異なります。これらを一緒くたにせず、それぞれの事業の年齢に合わせてマネジメントすることが重要です。

そして事業をポートフォリオとして考えた時には、むしろ複数異なる時間軸の事業があることが大事なのです。どんな事業も永遠に成長はせず、成長期から衰退期に入ります。もしひとつの時間軸しかなければその企業は一気に凋落してしまうでしょう。ある事業が成熟してきたら衰退期に入る前に新しい時間軸の事業を起こしておくことが必要です。

同じように、人生100年時代と言われる時代、キャリアの上でも一つの時間軸しか無いと考えるのはもはや無理があるのではないでしょうか。事業のポートフォリオと同じように考えるなら、経験を重ね熟練してきた時にこそ、あえて「素人」として新しいチャレンジを始めるべきかもしれません。

その時には事業ポートフォリオと同じく、時間軸がちがうものをいっしょくたにしないように注意が必要です。成熟した分野があるとしても、新しい領域は全く別で、それぞれが別の時間軸で育っていくのです。


とはいえ、時間軸がそれぞれだからといっても、全く無関係というわけではありません。企業の事業間のようにそれぞれにシナジーもあるのです。

新しいチャレンジをして「素人」を経験することは、すでに慣れきっている領域にも新たな息吹を吹き込みます。熟練の知は固定化されると古びていってしまいますが、新しい視点からみると発見があるかもしれません(「リフレーミング」)。

また、積み重ねた経験がそのまま再現されるわけではありませんが、未経験の領域に「転用」することで新しいチャレンジに活用することはできるでしょう。

これからは個人のキャリアにおいても、企業の事業ポートフォリオのように複数の時間軸を併存させ、それをポートフォリオのようにマネジメントしていくことが重要なのでは、と感じています。

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