教育の未来:100年前の議論に学ぶ

 コロナによって始まった在宅勤務は、大事なことを気づかせてくれるきっかけだと思います。その例を一つ紹介したいと思います。

 人生100年時代と呼ばれ、AIやデータの時代に教育をいかに変えるかは大変重要かつ関心の高いテーマです。
 いろいろな議論はありますが、リンダ・グラットン教授の『ライフシフト』の議論が有名です。すなわち、テクノロジーの発達と長寿化によって、従来の3ステージモデル(教育・仕事・引退)は時代に合わなくなり、生涯100歳まで学び成長し続けることが必要というわけです。

 私もこの議論には共感していましたが、最近、在宅勤務で生まれた可処分時間を使って、ジョン・デューイの『哲学の改造』(Reconstruction in philosophy、1920、清水幾太郎、清水禮子訳) を読みました。実は、見方が少し変わりました。
 著者のデューイは、東大の招待で約100年前の1919年に来日し、その際の講義をまとめたものが本書です。哲学の書物にしては大変読みやすく、古典的な名著ぞろいの「岩波文庫100冊の本」にも選ばれています。
 この本を読んでハッとしました。デューイは「児童期は成人の生活の準備に過ぎず」、「将来に備えて知識や技術を習得する時期」と考えてはいけないというのです。むしろ、年齢を問わず、人は継続的に成長すべきで、教育は、「年齢とは関係ない」もので、成長という「経験の絶えざる再構成を唯一の目的と見る」べきで、「 後に起こることのための準備ではない」と強く主張するのです。
 
 これを読むと、何も変わっていません。上記の主張は100年以上前から行われてきたわけです。テクノロジーや長寿化は、実は、上記の「3ステージ論 vs 継続成長論」には関係ないのです。これを読んで思い出しましたが、ドラッカーも同様なことを、グラットン氏より前に書いているのを思い出しました。

 それでは、何故、それが今も実現していないか、考えてみました。
 その本質は、むしろ、世の中全体が、規格大量生産によって物質的な豊かさのために必要なものを提供さえすれば、売れる時代だったからというのが本質的な理由と思います。
 このために、社会が求める働き手は、大量生産の指示を理解でき、マニュアルに従うことのできる人材だったのでしょう。最近コロナ禍によってマスクが品不足になり、モノさえあれば売れる時代を、久しぶりに思い出すことができました。
 しかし、そのような100年前でも、人は死ぬまで成長できるし、成長を通した生きがいを求めていたわけです。そこは変わっていないのです。
 しかし、人が成長をつづけ、要求が高度化すると、大量生産社会が必要としていた、言われたことを愚直に行う人が不足してしまいます。そこで、社会の仕組みでは、人の成長や生きがいよりも、生活に必要なモノを行き渡らせることを優先し、そのために、人が本来持つ成長やいきがいの追求を我慢させてきたのだと思います。その代表が「定年制」です。

 今の時代、AIを含め、我々は新しいことを学ばなければいけません。学ぶべきことはますます増えているようにも見えます。
 しかし、上記のように、人間に関する重要なことは、過去の人が既に論じてます。それを古典と呼ぶのでしょう。その中には普遍的な真理がすでにあるのです。
 このような時代だからこそ、我々はもっと古典に学ぶことで、時間を有効に使い、本質に立ち返った議論が可能になるかもしれません。
 コロナによって始まった在宅勤務は、このような大事なことを気づかせてくれるきっかけになっています。


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