100年前から続く「祖母→母→娘」へのミーム
1980年代まで皆婚時代と呼ばれるのは、1920年から1985年まで生涯未婚率が男女ともに5%以下だったからだが、だからといって、それ以前の日本がずっと皆婚できていたわけではない。
遡れば、江戸時代の江戸の町人の独身率は高く、農村地域も次男坊・三男坊は「厄介者」として独身が多く、自分で土地を持てない隷属農民は生涯未婚のまま死んでいった者も多かった。
今だけを点で見るのではなく、歴史を俯瞰してみると、案外いつの時代の人々も同じようなことを考えていることがわかる。
バブル全盛期に「3高(高身長・高学歴・高収入)」の男が結婚相手の条件として流行したが、何もある時代の女性だが異質だったわけではない。当時の20代の女性が生まれたのは1960年代。つまり、彼女たちの母親が結婚した時代は1960年代なのだが、1960年代の結婚の条件として流行語となったのがが「家付き・カー付き・ババア抜き」というものだ。
むしろ、母娘通じて一貫しているといえる。
その1960年代に結婚した母親が生まれたのは、戦前の1930年代頃になるが、その頃の結婚の条件もまた「学歴なんかなくてもいいからとにかく金!」というものだった。
祖母→母親→娘と連綿と続くミームのようなものを感じる。
そして、「3高」の後、1990年代に生まれた女たちは、もう30歳にならんとしているが、彼女たちもまた出生動向基本調査によれば、「男の経済力」が重要といっている。
そうした視点でみると、時代がかわれど、それぞれの人の考えることというのはたいして変わらないのだと痛感する。
そんなことをまとめたのが以下の記事です。
記事内にグラフを掲出していますが、大正時代の1920年から昭和初期の1933年にかけて婚姻率がダダ下がりしている。この時期と前後して、1918年には米騒動があり、1923年には関東大震災もあり、1929年には世界恐慌があり、庶民の経済環境は悪くなる一方の時代でもある。
一方で、貧富の格差は拡大していて、当時、財閥が第一次世界大戦でボロ儲けをし、一部の富裕層はとても裕福だったが、ジニ係数は0.51と欧米並みの水準だった。東京のど真ん中には貧民街といわれる場所が多数存在していた。今や金持ちの町でいわれる港区の赤坂や麻布、芝なども貧民街だった。
そんな世相をあらわす流行歌もあった。添田唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)が歌った「金々節」である。1925年ごろの作品といわれている。
こうした経済環境の格差が広がると、どうしても「俺達はこんなにみじめな生活をしているのに…」という妬みや憎しみが生まれる。それがテロとなって顕在化したのも子の頃だ。安田財閥の当主安田善次郎が暗殺されたのは1921年、三井財閥総帥の団琢磨が暗殺されたのは1932年である。
令和の今と昭和のこの時代、あんまりかわらないと思ってしまうのは私だけだろうか。
経済環境の話を書いていると「お前は嫌儲主義者」とかいう見当違いのクソリプをよこしてくる変なのがいるが、私は嫌儲ではない。むしろ、儲けることは否定しない。そもそも儲けることは別に悪いことではない。資本主義社会なのだから当たり前の話である。逆に「みんなで平等に貧しくなろう」という赤毛のおばちゃんの理屈の方が嫌いだ。「脱成長」とか論外でもある。
金を稼いで儲けようとすることを下品だとか、悪だとかいいたがる清貧主義を唱える輩に限って、自分だけは儲けを得てニマニマしているパターンが多いのも皮肉な話。格差は共産主義国家の方が酷いのは歴史的事実。
大体「利他」とかを押し付けてくる輩にロクなもんはいない。「あなたのためだから」と言って近づいてくる奴は大体詐欺師である。
拙著『「居場所がない」人たち』の中でもまるまる一節をさいて「利他」のまやかしについて書いている。
自分の利益を考えることや、損得を考えることは決して悪くない。むしろ、自分の利益や損得を考えられない人間こそが害悪。自分の利すら考えられず、自分自身を幸福にもできないような者が、他人に何かを分け与えたりできようはずがないのだ。
そういうと読解力のない人間がまたクソリプ書いてくるが、「自分を利益を考える」ことと「自分の利益しか考えない」こととは別だ。そして「自分の利益を最大化しようとすれば、自然と他者や社会の利益も同時に考えないならない」ということも人間関係と経済的原理の本質である。近江商人のいう「三方良し」とはそういうことだ。利他は結果であり、効果であり、目的ではない。
こういう言葉がある。
当たり前だが、他者に分け与えることができるのは自分が持っているものだけに限られる。つまり他者云々の前に自分の利益が大事であり、その順番を度外視しているのは単なる夢物語でしかない。
また、自分の利益と他者の利益は相反するものではない。「公私一如」とは、「公」に思えることも「私」に通じ、この二つは相反せず一つのものであるという意味である。
西洋的な二元論に毒されているとすべてを白か黒かに分けようとするが、白も黒もない。すべては違うようでいてどこかでつながっているものであるという東洋の考え方に立ち戻った方がいい。
そして、この言葉は財閥のひとつである住友財閥の事業理念でもある。
ちなみに、今年2023年は関東大震災からちょうど100年目。