新自由主義は経済格差から恋愛格差へ。そして幸せ格差へと移行する

米国バイデン大統領が、本当に「小さな政府」と決別し、「大きな政府」に回帰するのかは注目されている。言い換えれば、1980年代レーガン政権以降長く続いていた新自由主義からの脱却である。今まで民主党政権であっても、新自由主義を踏襲していたわけだから。

日本においても、同時期に新自由主義に舵を切った。しかし、奇しくも、同じように恋愛の新自由主義時代にも突入していった。1980年代の日本は、恋愛至上主義時代と言われる。

自由に恋愛や結婚相手を選択できる時代というとよく聞こえるが、そこから日本の生涯未婚率は急激に上昇した。お見合いが廃れ、婚姻数も初婚に至っては1970年代の半分に減った。間違いなく自由恋愛は婚姻数を減らした。自由恋愛が結婚というものを滅亡させていったともいえるのである。

経済の新自由主義によって起きたのは経済格差ですが、恋愛の新自由主義がもたらしたものも現在の未婚化であり、結婚できる者とできない者との格差を生んだのです。そんな記事を東洋経済オンラインに書きました。ぜひお読みください。

タイトルでは、有名な「ガードナーの法則(36.8%の法則)」にちなんでいますが、決して3.68人以上恋愛しないと結婚できないという話だけをしたいわけではありません。ここから見えてくるのは、80年代までの皆婚時代、お見合いや職場婚がいかに恋愛苦手な男女を結婚させていたかという過去の事実です。

ただし、勘違いしないでほしいのは、だからといって、恋愛の新自由主義が悪いと言いたいわけでもないし、もちろん結婚を推奨する気もさらさらありません。

結論からいえば、「小さな政府」から「大きな政府」になったところで、極論すれば、日本が社会主義国になったところで、未婚化も少子化も変わらないでしょう。とはいえ、日本は、国民皆保険ですし、社会保障もそこそこ充実している。アメリカから見れば、半社会主義的な国に見えると思いますが。

とにかく、この未婚化、少子化、人口減少の流れは日本にとどまらず、アフリカと中東を除く全世界的な傾向で、それを止めることはできないでしょう。それは以前、こちらの記事に書いた通りです。


さて、最新の記事ですが、おかげさまで、非常に多くの方に読まれまして、ヤフコメがなんと1190件を超えました。1コメ100字として全部で12万字相当。一冊の本に匹敵する量です。全部読んだので以下おもしろいもの、変なものをご紹介していきます。


この記事は全く日本の現実に向き合って無いクソ記事だ。30年給与が上がっていない、これこそが問題。その間に物価も上がってる、税金は無茶苦茶上がってる。こんなんで結婚なんて出来ないだろ!少子高齢化なんて解決しないだろ!

大層お怒りのようです。そんな事はわかってますよ。貴殿こそあなたの現実に向き合っていないだけでは?そして、一番抜け落ちている視点とは「少子高齢化は解決しない」ってことです。間違いなく進み、2100年には日本の人口は今の半分の6000万人になります。誰が政権とっても、です。

私は恋愛未経験の50代未婚ですが、実際にそういう人に大勢会ってよく取材してから記事を書いた方が良いと思いますよ。何かいろいろとずれてる。

なるほど。お言葉ですが、僕は実際のそういう男性と少なくとも100人以上サシで取材していますよ。ひとつ言えば、彼らの多くは自己の客観視ができていない人多い。ズレてるのは僕でしょうか?あなたでしょうか?

私、背も低いしデブで最近禿げてきた。収入も低下したんですけど、それでもなんかいいなぁという女性は出てくるんですよね。
で、どうにかしなきゃと。
恋愛は戦略で、とにかく己と相手を知ること。
それでなんとかお付き合いまで漕ぎ着けます。
結婚はその先ですね。結果というか。
とにかく、いいなぁと思ったらうまく接近しないと。でも、今の時代ストーカーとか言われるんですよね。
言われないキャラ作りも大事ですね。
明るく笑ってることです。積み重ねです。
こう考えると私、めんどくさいことしてきてますね。
でも、好きな人と一緒にいられるのは間違いなく幸せなことですよ。おすすめします。

こういう人はチャーミングなのでモテると思う。男女関わらず。上の方と違い自己の客観視ができてる。素敵です。

よく自分は不細工だからモテないと自虐する方がいますが、それは客観視ができているということではありません。大体が抽象的なんです。上のコメントの方のように具体的にどこが欠点だと思っているのか?を抽出した上で、その欠点を変えるのではなく、他の部分で補うという視点が大事なのです。上の方はそれを「笑顔」で補おうとした。

変えるのではなく補う。そういう考え方ができる時点で、もう人とのつながりは実現したも同然です。

恋愛ができないだけではなく、仕事でもプライベートでも友達ができないという人は、「欠点を変えよう」とか、「隠そう」とします。無駄です。そんなものは他人の方がお見通しです。そして、残念なことに、そういう人は、他人の欠点も変えようとします。大きなお世話です。

大体、そういう思考が減点主義思想で、コミュニケーションできない人間の特徴です。減点主義は、相手の義務を求めます。少しでも義務を果たさなければ、それは減点対象です。そんなことやり続けていたらどうなりますか?いつしか、相手の減点すべきポイントばかり探すようになるんですよ。

減点なんかしなくていいんです。加点だけ。そうすれば、人の良いところだけが目に入ります。

恋愛とか男女の問題だけではなく、人とお付き合いするってそういうことじゃないですかね?

以下のようなニュースもありますが、 

なんでもかんでも自分を被害者にして他責しまくって、一体どうしたいんだろう?こういう人、ツイッターのとある界隈にもたくさんいますね。人間だろうと、国だろうと、こんなことしまくっていたら、結局、孤立するだけじゃないんですか?

減点主義の人間と加点主義の人間、その間の格差はますます広がっていくでしょう。その格差は「寂しさという不幸感」として顕在化します。

誰かのせいにして、誰かの欠点ばかり指摘する人間は、無意識に自分に対しても同じことをしています。他責する人は自責しないといいますが、違います。他責する人というのは、自責をごまかそうと他責するのです。激しく他人を非難する人間ほど、激しく自己嫌悪している人です。

自己嫌悪の苦さをごまかすために、砂糖まみれの甘い物を摂取し続ける(他人を叩く)。甘い物は一瞬で多幸感を得られます。しかし、そんな食生活を続けていたら、やがて糖尿病になって死ぬだけです。

かわいそうに。そういう人は、たとえ金をもっていようが、家族がいようが、世間的には良いとされる会社で働いていようが、タワマンに住んでいようが、決して満たされることはなく、永遠に幸せを感じることはありません。

恋愛の新自由主義の後にくるもの。それは、幸せ格差の時代かもしれません。

いいなと思ったら応援しよう!

荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。